愚か者の戦争、その23~変化~
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「なんだよ、ありゃあ」
ラインはムスターと一度距離を取っていた。さすがにレイファンを抱えたままでは戦えないし、彼女が死んでは何もかも無駄になる。彼は一番後ろに下がると、レイファンを近くの兵士に預けて撤退するように命令する。
普段なら傭兵の命令など騎士が聞くはずもないだろうが、ここまでのラインの戦いぶりを目の当たりにした者も多かったし、何より状況がそれどころではなくて、誰しもその場から逃げ出したいのが本音だったかもしれない。
レイファンを護りながら数名の騎士が撤退するのをラインは見届けると、改めて変身したムスターをじっと見る。
「醜悪だな。こんなのをレイファンに見せたら、気がどうにかなっちまわぁ」
ラインの目に移るのは、一匹の巨大な芋虫のような生物だった。体はぬらりとした光沢に覆われた、人間の5倍ほどもあるだろう巨大な紫色の毒々しい虫。胴周りで既にラインの身長ほどはあるだろうか。口はないが、4つの目玉はなんと出たり引っ込んだりしながら、体のあちこちに浮きあがっては消えるのだ。だがしかし明確な意志はあるのか、それぞれの目が兵士達を視認している。
そして、目が全ての兵士達を見終えたのか、完全に引っ込んだ。
「ライン」
「無事か、ラスティ」
ラインの元に駆け寄ってきたのはラスティ。彼は最初にムスターに弾き飛ばされこそしたものの、少しの打撲程度で済んでいた。ラインがレイファンを抱えて後退するのを見て、ムスターを囲む指示を出しながら自らも彼の元に来たのだ。
と、いうより。一体これからどうすべきかということに悩んだのかもしれない。ここに魔術士は連れてきていないのだ。戦うべきか、一度引くべきか。レイファンの事を思えば前者だが、足止めならラインの力が確実にいると判断したのだ。そしてラスティは後者を選択した。
「ライン、足止めをするから力を・・・」
「! やばい!」
ラインはムスターであったものの体がびくびくと痙攣するのを見て、慌ててラスティを引き倒した。その瞬間、ムスターであった芋虫のようなバーサーカーの全身から突起物が突き出される。
ムスターの周囲を囲んでいた兵士達の何人かは、反応する暇もなく全身を串刺しにされていた。
「う、うわあっ!」
「なんだこれは!」
ここに連れてきているのは反乱軍の精鋭といえど、一時的に混乱をきたすのは避けられない。ラスティも、ラインでさえ頭の中は混乱していた。
騎士達を串刺しにした突起物が引っ込むと、宙に磔にされた騎士達は事切れ一斉に崩れ落ちる。と同時に、生き残った騎士達の一人が恐慌にかられた慌てて逃げ出した。
「ひいい」
「! ダメだ!」
ラインが声をかけるも、遅かった。走って逃げる騎士に反応したバーサーカーは、目を一つだけかっと見開き一本だけ突起物を伸ばすと、それは生き残った騎士達の間をくぐり抜けるように、その逃げる騎士の頭を串刺しにした。
「あ、ひゅ・・・」
「くそうっ!」
「待て!」
伸びた突起を斬り飛ばそうとラスティが剣を握ったのを、ラインが咄嗟に止めた。その行動を見て他の騎士達も同じように剣の柄に手をあてたまま、その場に硬直した。
その瞬間、バーサーカーは突然胴体に巨大な口を出現させ、巨大な火球を吐いたのだった。硬直した騎士達は何人かが巻き添えになるが、距離のあったものは飛んで避けることに成功した。だが火球は最初に串刺しにした騎士を一瞬で焼き尽くすと、そのまま飛んで行って大爆発を起こす。
爆発の規模に呆然とする一同を尻目に、誰も抵抗が無いと見るや、バーサーカーはそのまま突起物をゆるゆると自分の方に引っ込めた。途中の騎士達は無視しているのである。
「これは・・・」
「こいつは急に動く物に反応するんだろうな。ゆっくりと撤退する事にしよう」
「引くのか?」
「ああ。魔術士を呼んで来て遠距離から攻撃した方がよさそうだ。こんな奴に無理に接近戦を挑む必要なんか、どこにもないだろ?」
「・・・確かに」
仲間をやられて憤懣やるかたないラスティだが、ここはラインの言う事が尤もなので、言われた通りゆっくりと撤退する事にした。もちろんその後隊列を組み直し、徹底的に叩かねばなるまい。
ラインは撤退をしながらバーサーカーを観察する。彼の考えでは、体から伸ばせる突起物の合計は限りがあるはずである。どんな化け物も、物理的な法則を捻じ曲げることはできない。体から伸びる物があるにしろ、それには体積的な限界があるはずなのである。そうでなければ、最初の一撃で全員が串刺しになっていたであろう。
ラインは撤退しながらも、バーサーカーをじっくりと観察する。他に何か特徴はないか、どうやって倒すか。辺境で四六時中戦っていた彼には、魔獣や魔物との戦闘経験も多い。
「(まずはよく観察すること、そして身の安全を確保する事。そのために騎士剣は守備の型から教わるし、いかなる時でも冷静であるように様々訓練を施された。戦場では混乱した者から死ぬ、だったか。その教えのおかげで、なんど窮地を脱したか。感謝してもしきれるもんじゃ・・・ん?)」
ラインはバーサーカーの中に何か蠢く物を見た。それをもう一度確認すると、ラインは撤退する足を止める。目を凝らして確認すると、確かに何かが中で蠢いているのだ。
「・・・なるほど、そういうことか」
「どうした、ライン?」
「ラスティ達はこのまま撤退しろ。俺はこの化け物を倒す!」
ラインが剣を手に取り、化け物の方に一歩踏み出す。それを見たラスティはラインを引きとめ、今度は先ほどと立場が逆になる二人。
「馬鹿な、何を考えている? 先ほど魔術士を呼んでくるといったばかりではないか」
「作戦変更だ、そんな暇はない!」
「何を言ってるんだ? それなら私も残る!」
「馬鹿言ってんな。お前みたいに弱っちいのが残っても、やることはねぇ!」
「何ぃ!?」
「やかましいわよ、お前達!!」
二人の言い争いに割って入ったのは、エスメラルダである。突如として出現した、戦場に場違いなドレスの女にラインとラスティは目を丸くする。
「こんな所に・・・何者?」
「なんだ、この年増?」
「と、年増ですってぇ!?」
エスメラルダは確かに美しいが、20そこそこの婦女子の様な瑞々しい輝きを放っているかと言われれば、それは難しいと言わざるをえない。その代わり彼女には経験と円熟味があるし、以前結婚してはいたものの、まだ子どもはもうけていない。なのでそれなり以上に体の線も整っているのだが。年齢だけは本人も気にしている所である。
遠慮のないラインは、容赦なく指摘してしまった。初対面の人間に気にしている事を指摘され、当然のごとく怒るエスメラルダ。
「こ、この・・・」
「お、お嬢様。落ち着いて! いくら的を得ているかといって、お、怒ってはなりませ・・・」
「うるさいー!!」
エスメラルダから迸る魔力が放出される。その猛烈な勢いで、近くにいた騎士達は後ろに突き飛ばされるようにこけてしまった。ラインも凄まじい魔力の奔流に思わず口笛を鳴らしたが、当然のごとくバーサーカーが彼女に反応した。
「お嬢様!」
バーサーカーの目が見開かれ、エスメラルダに向けて何本もの突起物が迫る。それに気が突きつつも悠然と構える彼女に、またしてもドガロフが彼女の盾になり突起物を止める。
そしてエスメラルダも、それがさも当然とでもいわんばかりにドガロフの後ろに控えているのだ。
「ふん、醜悪な化け物め。ボレアス!」
庭園を破壊しながら召喚獣ボレアスが現れる。先ほど召喚したこの生物を、まだ彼女は維持しているのだった。普通の人間ではわからないことだが、これは召喚術について知識のある者なら考え難い光景である。
召喚術は別世界、あるいは位相を少しずらした世界から生物を召喚するものと、一般的には認識されている。もっと正確な事をいえば、普段は形をとらない精霊や、あるいは遠く離れた生物を召喚して使役するのが召喚術である。
魔王なども魔物や魔獣を召喚するが、直接契約対象と印を結んで契約を行えば、例えば人間でも魔物や魔獣を召喚する事は可能である。エスメラルダが行うのは精霊召喚であるが、これは莫大な魔力を消耗するため、普通は一瞬、あるいは精霊の一部を使役するのが精一杯である。
だが彼女は神にも近いとされるボレアスを使役して、なお維持していた。これは当代随一の召喚士である彼女ならではの芸当である。
そのボレアスが新たな敵を認識し、唸る。
「その醜悪な化け物を引き裂け!」
「ブオオオオオ!」
ボレアスの出現に一同が驚く暇もなく、エスメラルダの命令に忠実にボレアスはその4本の爪をバーサーカーに向けた。そして巻き起こる爆風。同時に辺り一面には緑色の血飛沫が飛んだが、ラインは冷静な視線を崩さない。
――それくらいじゃ死なないよ――
突然耳に入ったラインはその声にはっとした。周囲を見渡すが、どうやら誰にも聞こえなかったのか、彼らは一様に化け物の行方を気にしていた。
「(なんだ? この戦場に、まだ何かいる?)」
ラインが周囲を見渡し続けると、彼は城壁の高い所にネズミが座っているのを見つけた。なぜそのように小さいものが目に入ったのか。それはそのネズミの異常なまでの存在感か。この騒ぎの中、ネズミは逃げるでもなく高い位置から自分達を見下ろしているのだ。そして遠目だが、ラインにはそのネズミが笑っているように見える。まるで楽しい劇でも見物しているかのように。そう思った瞬間、ラインの怒りは頂点に達したのだ。
「ふ・・・ざけるなよ」
ラインはその瞬間、倒すべき敵が誰かわかった。元凶はあのネズミ。本当にネズミであるわけがないのだから、それを操っている誰か。あいつを倒さない限り、何も終わらない。何度でも同じ悲劇は繰り返されるだろう。
「てめえっ!」
「ライン?」
走り出そうとするラインを止めたのはラスティの叫び声ではなく、猛烈な殺気。あるいは邪気。はたまたただの強大な力の塊と言い変えてもいい。
続く
次回投稿は、8/24(水)22:00です。