愚か者の戦争、その17~異形の襲来~
「それ以上を口にしてはならぬ、例え事実であったとしてもな。指導者とはそういうものだ」
「そんな・・・貴方は?」
「馬鹿な、なんでここにいやがる?」
「兄上!?」
驚愕する彼らの目の前に現れたのは、他でもないムスター本人だった。今回の戦争の張本人。少なくともレイファンとラスティはそう思っている。彼は戦装束のまま、まさに今戦場から帰還したばかりの様に、鎧は血に濡れていた。
だが戦いの歓喜に酔った表情をしているわけではなく、むしろその表情はどこか寂しげですらあった。その見た事もないような表情に、レイファンとラスティは戸惑いを隠せない。そんな彼らを務めて無視するかのようにムスターが話しかける。
「世の中には転移の魔術というものがある。知っているか?」
「そりゃあもちろんだが、こことクライアじゃあ結構な距離があるぞ? それにどうやってここに来た? さすがにこの周辺に転移すれば、こちらの魔術士から何かしらの報告があるだろう。あれは膨大な魔力を使うからな。魔術師ならその気配を捕えるのはたやすいって聞くぜ?」
「物知りだな。だが特に問題はない。このくらいの距離を飛ぶ魔力量は確保できるし、王族には隠し通路で脱出するくらいは、発想ができないか? この庭園は元々、そのために作られたものだ。近くまで転移して、脱出路を逆に辿って来たのだよ。別に種も仕掛けもない」
ムスターはさも当然とばかりに淡々と語って見せた。だが彼の話す内容よりも、ラインはムスターとの間合いを気にしていた。今彼とムスターの距離は9歩。ラインが飛びこむにはやや遠く、これ以上踏み込めば、先手を取られた場合ムスターの剣を受け切れるかどうかは微妙になる。その場所でムスターは止まっているのだ。
「(ちっ、難しいな・・・)」
ラインは既に戦闘態勢に入っていた。彼にはムスター自身に用などない。むしろ、不意打ちなりなんなりでも、ここで死んでくれれば願ったりかなったりだ。そんな彼の心中を察しているのか、ムスターは非常に際どい位置で止まったのだ。ラインが次の行動にちょうど困るような位置で。
だがレイファンにはそのような事はわからない。彼女はふらふらと夢遊病者の様に、無防備にムスターに歩み寄った。
「どうして兄上が・・・」
「まだワシの事を兄と呼ぶか、レイファンよ」
レイファンは目の前の現実にうちのめされていた。彼女にとってムスターは出来た兄ではなかったが、なんの打算もなく自分を可愛がってくれた存在でもある。他の兄二人は山のように贈り物をレイファンにしたが、レイファンの寂しさが紛れたわけではなかった。冷たい宝石の山よりも、温かいお茶を共に飲んでくれる人間の方がレイファンにはありがたかったのだ。
だがレイファンの心中も知らず、ムスターが剣を抜き放つ。その行動に、ラインもラスティも覚悟を固めざるを得なかった。とてもではないが、予想した状況ではない。だが、もはや戦闘は避けられなかった。
「ち、先手は取りたかったんだがな!」
「ライン!」
ラスティの言葉と同時に、二人は走った。そしてレイファンの横を一陣の風が走り抜ける。レイファンの目の前で、鋭い金属音がし、二つの剣が交差をしていた。
「早く引け!」
「まだワシを兄と呼ぶとは・・・そなたの覚悟はその程度か、レイファン!」
ムスターから徐々に異様なまでの殺気が漏れ始める。ラスティはレイファンを無理矢理抱え上げ、その場を一目散に後にした。レイファンの命が最優先であった事もあるが、それ以上に目の前のムスターが彼には化け物にしか見えなかったのだ。
「(あの殺気、尋常ではない。あれは、人か?)」
正直、ラスティはその場から逃げ出した。とてもではないが、ムスターとやり合えるような気が微塵もしなかったのだ。
そのラスティを見て、ムスターが漏らした言葉は。
「良い騎士だ。身の程をわきまえ、自分のなすべき事をしたな」
「けっ、何様のつもりだ? 上から目線の馬鹿王子が!」
「何様ときたか。ワシは王様だよ、この国のな」
ムスターはその言葉と共に、ラインを蹴飛ばした。ラインは自ら後ろに飛んで衝撃を逸らし、宙で体勢を整えて着地する。
そのラインを見ながら、ムスターは悠然と剣を構えた。
「そして、今現在この国で最強の騎士でもある」
「ほざけ! お前みたいなのは騎士じゃねぇ、ただの人殺しっつうんだよ!」
「傭兵ごときが騎士を語るか。それこそお門違いというものだ!」
二人は同時に地を蹴り、吼え、剣を交えるべく猛然と相手に突進するのだった。
***
「今頃決着がついてるのかなぁ・・・」
「さぁな、俺達みたいな下っ端の知る所じゃないさ」
ラインとムスターが剣を交える同時刻。外では騎士達が戦闘の後始末に入っていた。通常ならば戦死者は敵味方問わず埋葬するのが礼儀なのだが、今回はそうもいかなかった。
カラミティに操られた兵士達は動きこそ鈍いものの、その機能を完全に停止するまで止まらなかった。そのため必要以上に刃を打ち込む必要があり、かつて味方であり、今回敵であった者達の体は「崩壊」という言葉がふさわしいほど、原形をとどめた者が少なかった。
その惨劇とも言える戦場跡――戦場に惨劇以外の何者もないとしても――あまりにひどいその光景に、兵士達は敵であった者達の埋葬をする気に中々なれないでいた。何せ、臓物一つ一つを集めて人間の様に組み立てるような気力は、戦闘後の彼らにはなかったのだ。
「ひどい戦いだった」
「ああ、もうこんなのは御免こうむるな」
「おかしいおかしいとは思っていたが、どうも最近おかしな事が頻発するな」
「例の、ダークエルフの森に手を出してからか」
「ダークエルフの呪いじゃないだろうな」
「よせよ」
クルムスの軍内では、ムスターがフェンナの里に手を出したのは周知の事実となっていた。それはそうである。50もの兵士が帰らぬ人となったのだ。同じ騎士団内に噂が広まらない方がおかしい。それに秘密任務とはいえ、元々ムスターに人望はなく、秘密任務もムスターの思いつき程度にしか考えていない何人かが口を滑らせていたのだった。
「だがこれで多少はクルムスもマシになるだろうか」
「ムスターでなければ、誰が治めてもましになるさ」
「レイファン様でなくてもいいような口ぶりだな、まるで」
「実際そうだろうよ。あんな子どもに王が勤まるとは思えねぇ」
「おい、不敬罪になるぞ?」
騎士の一人が注意を促すが、その言葉は近くに座っていた傭兵の耳に入っていた。
「へぇ、色々あるんだな。お偉い騎士様にも」
「・・・お前達みたいな気楽な連中と違って、こちらは色々と大変なんだよ」
「面倒なら騎士なんて辞めちまえよ。歓迎するぜ、俺らはよ」
傭兵はげらげらと笑う。その笑い方は騎士達にとって不快そのものだったが、傭兵は心からそう思っていたのだった。彼にして見れば何の悪気もない行為である。
さらに悪びれない傭兵は、話し続ける。
「だけど、確かにあの子どもなら扱いやすそうだもんなぁ。お前達も、無理矢理襲って手籠にしちまえばどうだい? そうすれば何年か先には王様や側近、なーんてこともあるかもよ?」
「無礼な! 貴様、切り捨ててくれる!」
騎士達が色めき立つのを見て、さすがに冗談が過ぎたと傭兵も思ったのか、慌てて立ち上がりその場を去ろうとする。
「っと、これだからお堅い騎士様ってのはいけねぇや。まあラインが提示した賃金の割には楽な仕事だったが、後片付けまで突き合う義理はねぇよ、と・・・ん?」
その場から去りかけた傭兵が、何かを見つけたのか立ちつくす。それは彼に斬りかかろうとした騎士も同じことで、あまりに傭兵が無防備で立ちつくしたので、彼もまた毒気を抜かれてその場に立ちつくした。そして事もあろうに、先ほどまで斬りかかろうとした相手に話しかけたのだ。
「どうした?」
「いや、あれ・・・なんだろうな?」
傭兵が指さしたのは、ふらふらと歩いてくる男。顔だけ見ればそこそこ若いだろうが、頭は剃っているのか完全に髪がなかった。その男はぼろきれ一枚を纏い、ゆらゆらとこちらに歩いてくる。風にぼろきれがたなびけば、彼のむき出しの体が露わにされた。血の気が無く、なのに妙に瑞々しく力強さを感じる体躯。夕陽を背にして歩いてくるので表情こそ見えないが、どうやらまともな存在には見えない。
まだ気を抜き切ってはいない兵士達は、男に気がついた者から順に武器に手をかける。その様子に気付いた者が作業の手を止め、波のように再び緊張感が広がって行った。よく見れば、その背後から太った男と、背の高くひょろ長い女も歩いてくるではないか。
「何者・・・」
騎士の一人がその言葉を言い終わらないうちに、傭兵の男は自分の短刀を先頭の男の脳天目がけて投げつけていた。
短刀は見事男の脳天に命中し、男はその反動でのけぞるように地面に頭から倒れてゆく。そんな傭兵を騎士が咎めた。
「貴様、なんて事を! 非戦闘員だったらどうする?」
「んなわけあるかよ! こんな戦闘地帯に現れて、『僕は民間人です、殺さないで下さい』なんて言い訳通ると思うか!? 味方でなけりゃ、敵だ!」
「そうとは限らないだろうが!」
傭兵と騎士は胸倉をつかみあい、喧嘩を始めようとしたが、騎士の一人が男の方を指さしたので、ちょうど相手に掴みかかった所でその手が止まる。
「おい、あれ・・・」
「ああ?」
「何だ!」
喧嘩を始めようとした二人は、仲良く同じような返事をする。そして彼らが目にしたのは、後ろに倒れたはずの男だった。彼は倒れ切らず、体が完全にのけぞった状態で停止していた。およそ人間の筋力では無理なような体勢である。そして、男はその姿勢からおもむろに起き上がって来たのだ。
「・・・なんだありゃ?」
最初に言葉を発したのは傭兵だった。男は額の短刀を引きぬくと、その傷口からはとめどなく血が溢れた。そう、緑色の血が。
そして引きぬかれた短刀は、男の手の中でひしゃげてつぶれた。
「・・・!」
その光景を見た傭兵の動きは早かった。腰の剣を抜き放つと、一直線に男に斬りかかったのだ。だがその目にもとまらぬ動きも、男には無駄だった。傭兵の剣は力いっぱい男に打ち込まれたが、なぜか剣は浅い部分で止まっていたのだから。
そして始まる、男の変化。
続く
次回投稿は、8/18(木)20:00です。