愚か者の戦争、その8~不安を抱いて~
ラインはなおも続ける。
「今ならわかる。惚れた女なら片時も傍から離してはいけないと思うんだが、当時の俺は焦っていた。その女は本国に帰ると千人長の地位が約束されていた。対して俺は出世無し。まあ平民出身だから当然といえば当然だった。だけどその頃にもなると、俺はその女との将来を真剣に考え始めていたんだ。
俺はその女にふさわしい男になるため、さらなる出世を望むべく辺境に残った。辺境なら戦いが尽きなかったからな。出世の機会も山のようにあった。そして思惑通り、俺は辺境でめきめきと出世をした。18の頃には俺は千人長になっていたよ」
「それは素晴らしいことですね」
「なるほど、地で行く英雄譚だな」
ダンススレイブも素直に称賛した。ラインの方は全く嬉しそうではなかったが。
「その働きが本国でも認められてな。俺は正式に本国でも千人長へと格上げになった。やがては軍団長へ。そんな噂も周囲では囁かれるようになっていた。
だから有頂天になっていたんだ。俺は何にもわかっちゃあいなかった。自分の思いや気持ちで精一杯だった。結果、俺は全てを失ったよ。失うまで、何一つ気が付きはしなかったんだ。飛んだお笑い草さ!」
「ライン、一体貴方に何が・・・」
吐き捨てるように言い放ったラインの様子に、少しレイファンが怯えていた。ラインも言うだけ言ってその様子に気がついたのか、バツが悪そうに酒瓶をダンススレイブからひったくると部屋を無言で後にしたのだった。
残されたのはラインとレイファン。
「あ・・・」
「ふむ、そういうわけだったか」
「・・・心配です」
「ん? 大丈夫だ。あいつはああ見えて馬鹿ではないからな。大事な戦いの前に体調を崩すような真似はせんさ」
「いえ、そうではなく」
レイファンが胸の前で祈るように手を組んでいた。
「私はあの人の心が心配なのです。一見大雑把で何も気にしないように見えて、ガラス細工より脆い心。それを隠すためにああいった雑な態度をしている・・・でも心を開けない彼は、心を開かない代わりに誰といても決して安らぐ事はないのでしょう。それが心配で・・・」
「公女、貴女は優しいな。長らく生きた我からの助言だ、その気持ちは大切にするといい。きっと貴女は良い統治者になる」
「いえ、私はそんな事より」
「彼の心が欲しい、か?」
ダンススレイブの言葉に、レイファンははっと彼女を見上げる。そこにはいつもの皮肉屋のダンススレイブいなかった。真剣な瞳がレイファンを見下ろしていた。
「ラインに惚れたのか、公女ともあろう貴女が」
「・・・ええ、きっとそうです」
「やめておけ、あれはもうきっと誰にも心を許さない。奴はもう引き返せない泥沼に片足を突っ込んだ男だ。あんな奴に、これから輝かしい未来が待っているであろう貴女が付き合う必要はない」
「貴女は誰かに好きな人を諦めろと言われて、できるのですか!?」
「その言葉は私には不適切だ、公女」
強く反論したレイファンに、ダンススレイブが悲しそうな顔をした。
「私には人を好きになるという感情がわからない。元が元だからな。それに、私にはもはや人を憎むことはできても、愛することなど土台無理だよ。そういう扱いを今まで受けてこなかったからな。今ラインと共にいる事が奇跡なくらいだ」
「そう・・・ですか。では、私はこれからどうすればいいのでしょうか・・・」
「さあ? その疑問も私に投げかけるのは不適切だよ、公女」
部屋を沈黙が包む。盛り場でもある建物の周囲の音は部屋にいても騒がしく、外の喧騒に不釣り合いなほど重い空気が2人の女性を包んでいた。
***
ラインはまた夢を見ていた。
彼の原風景とも言える、騎士達の凱旋風景。白銀の甲冑に身を包んだ彼らが、一糸乱れず凄然と進み、馬上から民衆の歓声に応えている。
幼き日のラインは彼らの横を走り、ついに先頭の一際逞しい騎士に追いついた。子どもだったラインの必死な歓声が騎士に届いたのか、騎士は面体を上げ、胸に手を当てた後、彼に向けて拳を突き出したのだ。
それは騎士達が戦地に赴く戦友に向ける所作だった。
子どもだったラインは思わず同じ動作を返す。すると騎士はにこやかに笑い、再び面体を上げると去って行った。
それが幼かったラインにはたまらなく恰好よく、彼はこの時騎士になる事を心に誓ったのだった。まさかその決意事態をいずれ後悔するとは、少年だったラインは疑いもしなかったのだ。
***
「夢か・・・」
ラインはベッドから起き上がっていた。どうにもあのあとバツが悪く、ラインは適当に娼婦の部屋にしけこんでいた。
「・・・最近よく夢を見やがる。最悪の寝起きだな」
ラインの睡眠は元々浅いが、今回の様に夢ばかり見るのは珍しい。悪態をつきつつも、隣で寝ている名前もよく覚えていない娼婦を起こさないようにそっと部屋を後にすると、彼は裏の小川に足を運び、適当に顔と頭を水で流す。そのまま今度は飯場に行き、適当に食事を漁ると、自分の部屋に戻った。
「おかえり」
「ああ」
部屋では当然と言えば当然だが、ダンススレイブが起きて待っていた。剣に眠りは必要ない。ラインがダンススレイブを傍に置く理由の一つに、睡眠中の守りを安心して任せられるという事があった。
そしてラインはダンススレイブを尻目に、支度を整え始めた。いつもの軽装ではなく小手とすね当てを付けた、簡易だが実践向けの装備へと。
そして彼がダンススレイブの方を振り返る時には、既に顔つきは戦士のそれへと変化していた。
「ダンススレイブ、剣に戻れ」
「了解した、マスター」
ダンススレイブにも、もはや茶化す様子は存在しない。それだけ今回の戦いが大きな意味持つ事も、ラインの真剣具合もわかっている。
彼女は言われるがままに剣の姿に戻ると、ラインは彼女を鍛冶屋にしつらえさせた鞘に収め、レイファンの部屋に向かう。
「公女、準備はよろしいでしょうか?」
「ええ、準備はできています」
「では失礼します」
ラインがレイファンの部屋の扉を開くと、窓の傍にある朝日の当たる椅子にレイファンは腰かけていた。彼女は髪を結い上げ、軽装ではあるが戦装束に身を纏っていた。その瞳は遠くを見つめ、ラインが入るとゆっくりと彼女は目線をラインに向けるのだった。
その雰囲気に、思わずラインは身を引き締めた。幼いながらも、彼女は十分な威厳と誇りに満ちていた。今までの彼女からは想像もできない、いや、一度だけラインは知っていた。自分の部下を庇うため、自ら身分を明かした時。彼女は確かに王族としての威厳に満ちていた。
だがラインが気圧されたのもつかの間。彼はレイファンの前に膝を折ると、正式の騎士の礼を取る。部屋の隅にはレイファンの着がえを手伝ったであろう娼婦が2人ほど控えていた。彼女達もまた普段の華美な服装ではなく、きちんとした女官風の恰好に身を包んでいた。娼館なりの、王侯貴族への精一杯の誠意の見せ方なのだろう。もちろんレイファンの戦所属を準備させたのも娼館の手配である。
「公女、お迎えに上がりました」
ラインが恭しく言葉を放つと、レイファンはゆっくりと答える。
「今日、戦いが始まるのですね」
「はい、ここからは時間との戦いになるでしょう。仮に王城を押さえても、遠征軍を倒すだけの戦力を集められなくては全てが水の泡。手筈は整っているとはいえ、ムスターの軍勢の動きはまさに疾風。現在もっとも早い報告で3日前にはクライアと再度の戦争状態に入ったとのことでしたが、今現在どうなっているかはわかりません」
「なるほど。この後の段取りは?」
レイファンが確認するようにラインに尋ねた。ラインはその問いに澱みなく答える。
「まず王城奪還後は、ラスティが信頼のできる地方軍の司令に直接連絡を取ります。既にいくらかは使者を送って、我々に味方する事を約束してくれています」
「数は?」
「およそ5000。ですが今回の奪回戦には彼らの力は借りません。理由は以前話した通り・・・」
「私の不徳の致すところですね。申し訳ありません」
「いえ、その方がよいでしょう。軍を直接押さえれば、地方貴族達もおいそれと発言できないはず。それに5000あれば一瞬で負ける事はありません」
「本当にそうでしょうか? 各国は全く太刀打ちできなかったようですが・・・」
レイファンが不安そうに呟いた。無理もない。ムスターの最近の進撃ぶりはさすがに誰もが知っている。たかが5000の兵で彼に向かうなど、無謀に近い。だがラインには作戦があった。
「公女、その点はご心配なく。彼らは戦い方を知らぬから負けたのです。ですが、今回は戦い方を知っている私がいます。彼らの弱点は確認済みです」
「本当ですか?」
「はい。まず先頭に立つヘカトンケイルという連中そのものが魔術に弱い。これはトラガスロンとの戦いに直接人を派遣して確認したことです。間違いないでしょう」
ラインはこのためにギルドから人を派遣して、わざわざ確かめさせたのだ。実際にこの事はトラガスロンもまた知ることとなったため、ムスターの軍はトラガスロンを攻め落としこそしたものの、ザムウェドとの戦いとのように圧倒的勝利とはいかなかった。つまり、かなりの犠牲を払ってでの勝利だったのである。だからこそムスターはクライアとは全面勝負に出ず、姑息な手段を用いたともラインは考えている。ムスターの軍にそこまでの余裕は今はないのだ。
さらにラインは続ける。
「もう一つ。ヘカトンケイルは非常に頭が弱い。決められた行動、例えば『視界の敵を倒す』『攻撃してきた敵を倒す』などはできますが、不意打ちなどには非常に弱い。囲んで戦えば並の人間よりも与しやすいでしょう」
「ですが、ムスターには普通の兵士も付き従っているでしょう?」
「彼らは恐怖で無理矢理従わされているだけです。士気は非常に低いと言わざるえない。私達の敵ではありません、公女」
ラインはわざと力強く言って見せた。士気の高い5000の兵と、士気が低いとはいえ、30000の兵士である。結果は戦ってみなければわからない。
それにラインには気がかりなことがもう一つ。今回ヘカトンケイルの弱点がばれたにもかかわらず、この進軍速度。これにはもう一つの要因があるとラインは情報を得ていた。それは謎の巨大生物。時に城壁の高さに近づくほどの巨大生物は、剣もろくにきかず、魔術でも致命傷にならないとか。ラインはこの情報をラスティにだけは話したものの、彼らのこの存在は伏せておこうと判断した。有効な対抗策が練れないからである。ならば余計な不安を皆に与えるよりも、彼らは話さない方がよいだろうと判断したのだ。もちろんそれが正しいかどうかは誰にもわからない。ただこれは隊長格など、10名にも満たない人間しか知らないことである。レイファンにも知らせていないことだった。
今回の王城奪還戦でもその巨大生物が出てくる可能性は十分にある。その不安がラインの胸をよぎるが、その場合は、ラインが全て引き受けるつもりだった。これはラスティも知らないことである。ラスティはもしそうなった場合、一命に変えてもレイファンを守る覚悟でいるだけだろう。どのみちラスティにここで引くという選択肢はありえないのだ。
ラインがそのような決意をする中、レイファンが立ちあがる。
「なるほど、全ての準備はできているのですね」
「はい。後はレイファン様のお声で、全てが動きます」
「では参りましょうか」
「ではお手を、レイファン様」
ラインが手をレイファンに向けて差し出す。その手を取った時、レイファンの手が震えていることにラインは気がついた。
「公女」
「何も言わないでください、ライン」
「はい、それがお望みならば」
ラインはそのままレイファンを促して外に向かおうとするが、部屋を出る直前でレイファンが足を止めた。
「公女?」
「す、すみません」
ラインがレイファンの方を見れば、レイファンの足が震えていた。ラインはそっとレイファンを見下ろしたが、その瞳は戸惑いと恐怖に濁っている。
「わ、笑ってください・・・昨日の夜からずっとこの調子です。昨日は一睡もできなかった。これから戦いが始まる、私の号令一つで何人もの人間が死んでいく。その事を考えると恐ろしくて眠れなかった。私はまだ自分の民に、部下に何も報いてやれない。それだけの実績も実力もない。その私なんかの命令でこれから戦いが始まると思うと、怖くて怖くて・・・」
レイファンはその場にへたり込み、さめざめと泣きだした。我慢の限界を迎えたのだろうか、レイファンは立ち上がろうともしなかった。だがそのレイファンを叱責するでなく、慰める目でもなく、ただ優しい目でラインは見つめると、目線を彼女に揃えるように膝をついてレイファンに向かい合う。
「公女、3つほどよろしいでしょうか?」
「・・・何を?」
レイファンは軽く鼻をすすりながらラインを見返す。そんな彼女にラインはあくまで冷静に答えた。
続く
次回投稿は、8/9(火)18:00です。