愚か者の戦争、その2~とまらぬ戦火~
「でさぁ? レイファンちゃんって、ラインの事はどう思っているわけ?」
「んなっ?」
レイファンと娼婦達が洗濯物を干しながら会話をしている。その中でレイファンがからかわれているのだった。
レイファンがこの娼館で暮らすようになってから、既に一月近くが経過している。ラスティとは既に連絡が取れているが、こちらの方が安全ということでいまだに娼婦達に匿ってもらっているのである。その間に娼婦達はレイファンとすっかり仲良くなっているという寸法だ。娼婦達はもとよりあまり身分にこだわらないし、場合によっては貴族に召しだされることもある彼女達である。それなりに礼儀や優雅な所作を要求される場面も多く、貴族的な思考なども彼女達は理解できる。
またレイファン自体が着飾らない性格なので、娼婦達も好感を持って彼女に接していた。もっとも、全てがレイファンにとって目新しくまた刺激的であり、彼女が驚くその度にレイファンは娼婦達にからかわれているのは否めない。
一般民衆の食べ物、風俗、暮らしぶり。お茶や社交に楽しみを見出す貴族とは違い、多くの民衆はつつましく暮らし、たまに手にする多めの報酬や仲間達との会話、そして少しだけ背伸びした晩餐に楽しみを見出す彼ら。そして気分が盛り上がれば歌い、踊り、楽しみは見ず知らずの者とでも共有する。もちろん全ての者がそうではないが、レイファンが目にした民衆はそういった人間だった。
そして最近では遠慮のない会話をするレイファンと娼婦達だったが、会話の内容はもっぱら「ラインの事をレイファンがどう思っているか」だった。
「好きになっちゃたりとか?」
「な、な、なぜ私があのような者をっ!」
「まあまあいかんせん歳が違いすぎるもんね~それに小汚いし~」
「でもでもぉ、貴族だったらそういう結婚とかもあるもんね~」
「あら。顔を真っ赤にする所を見ると、まんざらでもなかったりとかぁ?」
顔を真っ赤にしながら否定するレイファンを娼婦達がからかう。中には指笛まで吹く者がいる始末だ。
「わ、わ、私は・・・」
「まあどっちでもいいけどさ~? もし誘惑するならレイファンちゃんもこういうのを身につけないとねぇ?」
そう言った娼婦が、洗濯してある自分の下着を見せつける。いやに布地が少なく、しかも半分以上透けているような下着だった。これでは何も付けていないのと変わらないのではないかとレイファンは思うのだ。
「そんな・・・恥ずかしいです!」
「あれま。でも慣れるといいもんだよ?」
「と、殿方はこういうのが好きなのでしょうか?」
レイファンがもじもじとしながら娼婦に質問する。
「だったら聞いてみたら?」
「え?」
と、その時噂のラインが不意に現れたのだ。シーツの向うに見える人影は確かにラインである。
「噂をすればなんとやら」
「ライン~。レイファンちゃんがね~」
「や、止めてください!」
レイファンが娼婦達を止めようとしたところで、風がシーツをまくり上げる。
「あっ・・・」
「へぇ。ライン、髭剃ったんだ?」
「ああ、髪も切った」
そこには今までの乞食の様なむさくるしい顔をした剣士はどこにもいなかった。そこには精悍な顔つきをした、まっすぐな瞳の青年が立っていた。優しそうな顔つきだが、油断なく光る目。時に応じて猛禽の様に光る眼が、娼婦達とレイファンに向けられる。女でなくとも、その目の強さには思わず釘づけになるだろう。
「あんまりからかってやるなよ? 仮にも一国の王女様だ」
「そんなこと言って、自分はなんなのさ」
「俺はいいんだよ。こいつは俺に惚れてるからな」
そういってラインはレイファンの頭の上にぽん、と手を置く。もちろんラインにとって冗談のつもりだったのであるが。
「あう・・・」
「あれま」
「こりゃあ・・・本当に惚れたね」
ラインの手の下で熱病にかかったように彼を見上げるレイファンがいた。その目は完全に恋する乙女の物である。ラインは果たして気が付いているのか、全く気がついていないのか。
***
場所は移る。ここは滅んだザムウェドの領内。グルーザルドとトラガスロンが戦う最前線である。グルーザルド5万に対して、トラガスロン25万。兵法に照らし合わせれば圧倒的な戦力差であるが、戦いを優勢に進めているのはグルーザルドであった。そのグルーザルドを率いるのはロッハとヴァーゴの獣将二人である。その二人は、主だった部下と共にまさに天幕で軍議の最中であった。
「ウーラル姫の様子は?」
「はい。お怪我の様子も順調であり、戦勝の報告にお喜びでございます」
「まったく、剛毅な姫さんだな」
ヴァーゴが一人感心する。ザムウェドは確かに崩壊したが、幸いなことに一人生き残った姫がいたのだ。ウーラル姫というその第四王女は深手を負っていたが、このままの撤退はならじとロッハとヴァーゴの戦いに同行する事を申し出たのだった。
もちろんロッハはおろかヴァーゴすら反対したが、ウーラルの意志は強く、結局は彼らが折れる事となった。たった一人生き残った王族を戦いに巻き込むのはどうかと思ったが、ロッハの一存で決めれることでもなく、渋々と納得せざるをえなかったのだ。
だがそんな彼女でも、ザムウェドのために戦うと言う対外的な言い訳にはなるのだ。ロッハはただでさえ難しい状況の戦闘に加えて厄介を抱え込んだことで頭を悩ませながらも、軍議を続けていく。
「トラガスロンの状況はどうだ?」
「はっ、先の戦闘で多数の死者が出た模様。およそ一日分ほど陣を後退した模様です」
「これで半分くらいは押し返したな」
ヴァーゴが鼻息を荒げて唸る。トラガスロンとの戦争が始まって一月近くが経過した。当初圧倒的な戦力差とみられた戦争だが、戦いは終始グルーザルドに優勢であった。
トラガスロンにしてみればザムウェドと同じつもりでグル―ザルドとの戦争に臨んだのだろうが、グルーザルドとザムウェドでは同じ獣人といえど、いかんせん兵の勇猛さや練度に差がありすぎる。何より軍を率いる大将の質が余りに違う。グルーザルドが誇る12獣将は、何度か代替わりを繰り返しつつも今までほとんど負けたことが無い。グルーザルドの王であるドライアンがその気なら、この大陸の半分はグルーザルドに占拠されていてもおかしくないほどの軍の強さなのだ。
トラガスロンがその事実に気がついた時には既に遅く、グルーザルドはほとんど兵を失わないまま、トラガスロンの死者は既に3万を超えていた。そして夜も昼もないグルーザルドの奇襲に辟易したトラガスロンはろくな勝利もあげられず、既にザムウェド領内の半分近くまで撤退を余儀なくされていたのだ。
この圧倒的攻勢にも、グルーザルドの軍幹部達は冷静だった。獣将の内、最も血気盛んなヴァーゴですらそうである。彼らはただの猪武者ではない。
「で、どうするロッハよ?」
「決まっている。トラガスロンがザムウェドから全撤退するまで戦うさ」
「ではそろそろ使者を送りますか?」
ロッハの意をよく汲む隊長が提案する。武でゆさぶった後は文で揺さぶるのがロッハの常套手段である。
「ああ、これで向こうにも自分達に勝ち目がない事はわかったろう。撤退してくれるならそれに越したことはない」
「ちっ、こんな火事場泥棒みたいな真似する連中は徹底的にやっちまえばいいんだよ」
ヴァーゴのぼやきに何人かは賛同するが、ロッハは冷静に否定した。
「やめろ。一週間後にはヴォルドがさらに援軍を連れてくる。そうすれば俺達ならそのままトラガスロンを滅ぼすことも可能だろうよ。だが、それでは勝ちすぎる。勝ち過ぎれば恨みが残る。恨みが残れば新たな争いの火種になる。奴らを自国内に押し返せばそれで十分だ。少なくとも今回はな」
「正義は我らにありってか? 面倒くせぇな」
「侵略戦争をすれば、今度は関係ない国まで敵に回す。俺達はそれよりもやるべきことがあるだろう?」
「南の魔物と国さえなけりゃな」
「言うな。それは王すら同じ気持ちだろう」
それきり難しい顔をして黙る将軍二人を前に、天幕が重い空気に包まれる。その空気を破ったのは、外からの悲鳴。
「アアアアア!」
「なんだ!?」
天幕の中にいた者が一斉に外に飛び出ると、外では何者かとグルーザルドの兵士が戦っている最中だった。
「なんだこいつは?」
「俺達の爪が利かな・・・ギャアア!」
「何が起こっている? 明りを増やせ!」
ロッハの掛け声と共に、一斉に明りが増やされる。そこに浮かびだされたのは、最初はただの黒い影かと思われた。だが、よくよく眼を凝らせばそこには黒い靄を纏った少年が立っているのだ。
「こんばんは~。はじめまして、かな?」
「・・・何者だ、貴様?」
「てめえらみたいな木端に名乗る名前はねぇ! とでも言っておこうかな? いやいや、そんな顔をしないでよ。この言葉、一回言ってみたかったんだよね」
「貴様、ふざけ・・・」
前に出ようとした幹部の一人を、ロッハが目で制した。同時に手を上げて周囲の部下達に合図すると、少年を一斉に獣人達が取り囲む。
「まあいい、貴様が何者だろうが関係ない。今から洗いざらいしゃべってもらおう」
「できるかな~? 獣人ごときに」
「やれ」
ロッハの冷徹な言葉と共に、周囲の獣人が一斉に動き出す。だが少年は悠然と構えており、かわす気配が一向にない。そこにロッハが直々に率いる精鋭達が襲いかかる。
並の獣人では比較にならないほどの動きの鋭さを見せる精鋭達の攻撃を、ひらりひらりとかわす少年。それでも連携攻撃の中、徐々にかわす余裕が少年には無くなっていった。
「おっとと、こりゃあやばい」
「くらえ!」
「なーんちゃって」
完全に入ったと思った獣人達の攻撃は空を切り、少年は別の場所に突如として出現した。その挙動に全員が呆気にとられる。
「なるほど、魔術士か」
「半分正解かな。それよりも意外と鈍いんだね、獣将ロッハといえど」
「何?」
ロッハが訝しがる間に、少年の陰から袋が沢山出てくる。少年の体ほどはあるだろうか、かなりの大きさだ。形が歪に凸凹であり、それはその少年の奇妙な雰囲気と妙な一致を見せる。
「やっぱり獣人だからなのかなぁ? 頭の中身が知れるねぇ」
「・・・何が言いたい?」
「こういう事さ。そ~れ!」
少年がぽいと重たそうな動作と共に袋を空中に放り投げると、袋の一部を破く。そして重さに耐えきれなくなった中身が、袋から雨の様に降り注ぐ。
続く
次回投稿は8/3(水)16:00です。