愚か者の戦争、その1~ラインの思索~
「ごめんなさい、あの人はどこでしょうか?」
「ああ、彼なら自分の部屋にいるはずだよ」
レイファンは既に顔なじみになった娼婦に言われた方向に歩き出す。もうこの娼館に隠れて一月以上が経過しただろうか。
「まったく、この数日顔も見せないで・・・いつもふらりとどこかに行くのですから」
レイファンは怒っていた。気がつけばいつもあの人はふらりといなくなる。しつこいほど顔を見せたかと思うと、全く顔も見ない日が何日も続くのだ。彼以外に頼る者がないレイファンにとって、これは非常に不安になる扱い方だった。
「もう少し淑女に対する扱いというものを、彼には覚えていただかないと・・・」
「誰が淑女だって?」
「きゃあっ!」
突然天井からぬうと人影が現れたので、レイファンはびっくりして後ろにこけてしまった。さかさまになって天井にぶら下がっていたのはライン。足を梁にひっかけて、腹筋の鍛錬をしていたのだった。
ラインは見事に体を一回転させて着地すると、レイファンを起こしに来る。体は上半身裸で、鍛錬によって体が汗ばみ蒸気していた。
「(す、凄い体・・・)」
レイファンは思わずごくりと唾を飲んでしまった。成人した男の裸を見たのはこれが初めてだが、それでも並の体つきではないことくらい、レイファンにもわかる。昔美術品だという男性の裸像を見たことがあるが、それよりも遥かに鍛え上げられた、鋼鉄の様な肉体をした男が目の前にいた。レイファンの目が思わず釘づけになり、それを感じたラインは意地悪くレイファンの額を小突く。
「いたっ!」
「見とれてんじゃないぞ、ませガキ。それとも俺の胸に飛び込んでくるか? ほれほれ」
ラインが手を広げてレイファンを挑発したので、レイファンは恥ずかしさから真っ赤になりながら手当たり次第に周囲の物を投げだし始めた。
「うおお、何しやがる!」
「この恥知らず! 一度花瓶の中に頭を突っ込んで、窒息すればいいんだわ!」
「やれやれ、凝りん奴だ」
部屋の隅で退屈そうに髪をいじっていたダンススレイブがため息をつく。そのため息と同時にレイファンの投げつけた花瓶をラインが上手く掴む。
「どう・・・わぶっ」
「フン!」
花瓶には水が入っていた。花瓶の口を下にしてキャッチしたラインは、もろにその水をかぶる格好になったのである。ラインがそのまま絶句する様を見て、ダンススレイブは相好を崩すのであった。
「お前も学習せぬやつだな。仮にもあの少女は一国を背負って立つ人間だ。あのようにぞんざいな扱いをすれば当然怒るだろうよ」
「それくらいでいいんだよ」
ラインがふてぶてしくいう言葉に、ダンススレイブが首をかしげる。
「どういうことだ?」
「いいか、今レイファンは俺しか頼れない立場にいる。だが一国の公女が一介の傭兵を頼るなんざ、普通はあってはならんことだ。だからレイファンには俺との楽しい思い出なんかなくてもいいのさ。むしろ俺を嫌って、利用するくらいの気持ちになってくれれば丁度いい」
「・・・意外に物事を考えているんだな、お前も」
「当然だ」
ラインが頭をばりばりとかきむしりながら立ちあがる。手は適当にタオルを掴み取り、頭からかぶった水を拭いていた。
「しかしそろそろ次の行動に移さないとな」
「どうするつもりだ? 確かムスター王子はもう戻ってきているんだろ?」
「それなんだ」
ラインは難しい顔をする。ムスターはザムウェドを滅ぼすや否や、即座に軍を取りまとめクルムスに凱旋した。その動きたるや電光石火であり、クルムスで反乱分子を担ぎあげて内乱を起こそうとした連中の元に一直線に乗り込むと、たった1日で反乱軍を平らげたのである。ラインがその後収集した情報によると、反乱そのものをムスターが促しており、自分に逆らいそうな人間を焚きつけて一斉に処分した格好となったのだ。
「反乱の情報は俺も掴んでいたし、俺の考えではザムウェド攻略にはもう少し時間がかかるはずだった。この隙に乗じて俺は国王とレイファンを接触させて、首都の反乱分子を焚きつけさせるつもりだった。そのためにわざわざザムウェドにまで足を運んだんだしな。そこでこの一連の騒動とも縁を切るつもりだった。だがあまりに話が大きくなりすぎだ。一介の傭兵の手には余るよ」
「それにしても、あまりにムスターの動きが鮮やかだったと」
「ああ、奴が愚物だって考えはもはや捨てた方がいい。だが・・・」
ムスターは何のためにそんな事をしたのか。いかに反乱分子とはいえ、国にとっては重要な人材である。それを一斉に処分するとなると・・・
「違う意味での馬鹿かとも思ったが、もし奴が賢いとして、これから先さらに戦争を仕掛けるつもりなら・・・」
「なるほど。後顧の憂いを断ったと?」
「そうとも考えられる。もしくは」
ラインが唸る。
「こうは考えられないか・・・ムスターには国を運営するつもりが全くない」
「では何のために主権を奪っている? それこそ辻褄が合わない」
「それなんだよな~誰が考えたって国の崩壊は目に見え・・・まてよ」
ラインは何か閃いたようだった。そのまま机に向かうと、何やら手紙の様なものを何通か書き始める。ダンススレイブが何事かと覗きこむも、しっかりと暗号文にしてあるのか、何のことやらさっぱりだった。そしてあっという間にラインは手紙を書き終わると、それを娼婦長に渡し、自分は外に出かける用意をし始めた。
「どこへ行く?」
「ゼルバドスっていう名前を覚えているか?」
「ああ。確かムスター王子のお気に入りで、最近急に出世した後誰かに殺されたとかいう」
「そんな奴は存在しない」
ラインが言い放った言葉に、ダンススレイブは疑問を覚える。
「何を言っているんだ?」
「っと。その言い方は正確じゃないな。正確には、そんな優秀な人間は存在しないってことだ。何せゼルバドスって奴は、俺の調べた所じゃ寒村の出身で、文字も最近まで読めなかったんだからな」
「?」
ラインの言葉に、まずますダンススレイブは困惑する。
「そんな奴がなぜ」
「そいつは俺も疑問だ。ある時身なりのいい男が奉公人を探しているとか言って、そのゼルバドスと何人かを金で身受けしたそうだ。貧しい村だから皆詳しい事情を聞かずに話を受けたそうだが、中でもゼルバドスは自ら志願したらしいな。だが、その後便りの一つもないそうだ。仮にゼルバドス本人が猛勉強して出世したとして、故郷に頼りの一通もよこさないのは変じゃないか?」
「別人の可能性は?」
「人相は一致している。寒村や田舎にしては珍しい都会的な名前だし、いずれ彼は出世するんじゃないかと周囲も期待していたんだが。親孝行な奴で、性格はともかく頭の方はそこまでよろしくなかったようだな」
「ならば一体どういう・・・」
「本人になり済ました別人なんだろ」
ラインがあっさりと答えた。その言葉に、ダンススレイブが一層悩んだ。
「余計わからないな」
「何が?」
「別人だとして、わざわざ誰かになりすます必要があるのか?」
「仕官はそれなりに身元調査も厳しいからな。それに素顔で潜入するのも間抜けな話だろう。加えて変装ってやつは、魔術で行うのはかなり難しいらしい。常時魔術を使用しっぱなしになると魔力の消耗も激しいし、集中力が乱れたら造形が崩れるらしいしな。一番簡単なのは、本人の一部を拝借して使う事だそうだ。まあ外法だから、使ったら魔術士の間ですら軽蔑されるようだが」
「なるほどな。で、ラインはどうするんだ?」
ダンススレイブが足を組み直しながらラインを見据える。ダンススレイブの太腿が露わになるが、ラインはわざと目を向けないようにしながら話を続ける。
「あと知りたいのは、王様の安否さ。これだけは調べられなかった。だからちょっと潜入してこようかと思ってな」
「王宮にか?」
この提案にはさしものダンススレイブも驚いた。まさかここまで大胆な提案をラインがするとは思っていなかったのだ。
「一体どうしたんだ、お前は? そこまでする義理がこの国にあるのか?」
「いや、ない。ないが・・・」
「見捨ててもおけないと?」
「・・・そうだな。いや、違うか。きっと知ってしまったからな」
「?」
見て見ぬふりはできない。それ以上に、ラインは心に引っかかった事を放っておくことができなかった。
「(放っておいて、ろくな事がなかったからな。今度は間違えないさ)」
ラインの秘かな決意。それはダンススレイブすら知らない。そしていそいそと準備を進める中、ラインがふと窓の方を見た。
「おっと、俺も変装をしないとダメだな。さすがに顔を知られているかもしれないし」
「変装?」
ダンススレイブが首をかしげる中、ラインは伸び放題になった自分の髭をしょりしょりと触るのだった。
続く
次回投稿は、8/2(火)16:00です。