天駆ける乙女達、その5~乙女達は天に去りぬ~
そして青ざめるターシャとは対照的に、ニコニコとしながら見下ろすのはエマージュだった。
「お、お姉ちゃん。どうしてここに?」
「愚問だわ、ターシャ。私はあなたの姉なのよ? あなたの行動くらい見抜けなくて、どうして姉が務まるのかしら? それよりも」
エマージュがターシャに顔を近づける。
「部隊を脱走した覚悟はできているかしら?」
「そ、それは・・・そのう」
「お仕置きよ、ターシャ」
いつの間にか後ろ手にくくられたターシャを、エマージュが膝の上で腹這いにさせる。
「ま、まさか?」
「そう、いつものアレよ」
エマージュの手が勢いよく振り下ろされ、ターシャの尻をはたいた。乾いた高い音が店内に響き渡り、客たちが何事かと振り返る。
「いったい! 痛いって、お姉ちゃん!」
「痛くしてるのだから、当然です」
「皆見てるよ、恥ずかしいよぉ!」
「これは罰ですから、そうしないと意味がないでしょう?」
エマージュの手が容赦なく三回、四回と振り下ろされ、その度にターシャの悲鳴が聞こえた。店内の客はなんだなんだと注目をするが、それがまたターシャはたまらなく恥ずかしいようで、顔を真っ赤にしながら涙目になっていた。
「あの、お客様・・・他のお客の迷惑になりますので・・・」
店の娘がおそるおそる声をかけるとエマージュの部下が一斉に振り向いたので、店の娘は少しおびえるようにびっくりしたが、
「大丈夫です、もう終わりましたから。ご迷惑をおかけしました」
と、エマージュが優しく声をかけると安心したように娘は小走りで去って行った。その後にはべそをかくターシャがへこたれていた。
「ううっ・・・17にもなって尻をひっぱたかれるなんて、あんまりよ」
「うーん、確かにあれは恥ずかしいかも」
他人事のように語るアルフィリースの肩を、リサが叩く。
「アルフィリース、明日は我が身ですよ?」
「なんでそうなるのよ!」
そんなアルフィリースの反論もまた、店内の喧騒に紛れていく。
***
そのまましばらくして、今度はターシャを交えて食事や酒を楽しむアルフィリース達とエマージュ達。ターシャはいまだに尻が痛いのか、度々座りなおしている。
「なるほど、アルフィリースはこれから傭兵団を作るのですね」
「そうなの。貴方達はフリーデリンデの天馬騎士隊なんでしょう? 何か参考になりそうな話はないかしら」
エマージュが自分達の出自を明らかにしたので、アルフィリースもまた自分がこれからやろうとしていることを明かし、エマージュに相談に乗ってもらっていた。エマージュはおおらかな外見とは裏腹に、これでも部下を500人も抱える大部隊の隊長らしい。フリーデリンデは5つの部隊で構成されるが、その中の隊長の一人なのだそうだ。初陣は11歳の時。現在22歳となった彼女は、既に10年以上の経験を誇る熟練の戦士である。
そのエマージュが、まだ傭兵としては若輩者のアルフィリースに対して真剣に答える。
「そうですね。私達は傭兵といっても、ほとんどが生活のために世襲的に傭兵となります。男は出稼ぎ、あるいは里の守りにつきますが、女は天馬騎士となる者が多いですから。また世間一般の傭兵とは事情が異なるかも」
「それでもいいの。私は女だけの傭兵隊を指揮するつもりはないけど、女はどうしても多くなると思うから。何か参考にさせて」
「そうですね・・・」
エマージュが少し考え込む様な仕草をする。
「わかっているとは思いますが、女の身で傭兵をするのはとても危ない。何の後ろ盾も保証もない我々は、弱みを見せれば蹂躙の対象となるだけ。だからこそ私達は自衛の手段として『アフロディーテ』と『アテナ』という部隊を作りました」
「言い方は悪いけど、そのう・・・」
言い淀むアルフィリースを見て、エマージュが気づかうように微笑む。
「良いのですよ、素直に言っても。確かにアフロディーテは娼婦としての役割も持ちますが、彼女達は同時に誇りも持っています。彼女達を娼婦と呼んでも、別におかしな事はありません」
「そんなものかな?」
「そんなものです」
エマージュが酒を飲みながらさらに答える。
「実際に戦場を稼ぎ場とする娼婦も存在します。大きな傭兵隊なんかは、戦場に娼婦を連れて行く場合もあるそうですね。騎士団でも、大勝した時には娼婦を呼んで宴会をすることもあるでしょう。ターラムあたりには、そういった娼婦を斡旋するギルドもあると聞きます」
「そうなんだ。男って皆そうなのかな」
少し呆れたような顔をするアルフィリースを見て、エマージュが苦笑する。
「ふふふ。アルフィリース、あなた恋人はいるの?」
「え!? い、いないけど?」
「いつか作ってみるといいでしょう、そうすればその考えも少しは変わると思うから。形は色々あるけれど、男と女は愛し合うものよ」
エマージュが優しく微笑み、なぜかアルフィリースは顔を赤らめた。優雅で余裕のある微笑みを見せるエマージュに、アルフィリースはなぜか気後れしたような思いがあった。
「そう。戦場には色々あるけれど、一番問題なのは略奪行為など部隊の評判を貶めるもの。いいかえれば風紀と言ってもいい。戒律で縛る手もあるけど、傭兵なんて元々そういった意識の低い者の集まりだから。そのあたりは騎士団とは違うわね」
「そうかぁ。そうなると飴と鞭が必要なのかな?」
「それも一案ね。でも、どのような飴と鞭を使うかは貴方次第。そのあたりは隊長の器量と言えるわね。他にも色々な傭兵隊があるから、なんだったら参考にしてみるといいわ。カラツェルの騎兵隊なんかは傭兵だけど規律正しい傭兵隊として有名だし、かの鉄鋼兵なんかの話も参考になるかもね。興味があれば訪ねてみるといいかもしれない。比較的話しやすい人達だから、そう邪険にされることもないはずよ」
「わかった、ありがとう!」
笑顔で返すアルフィリースに、エマージュは何かを感じたのか。彼女の頭にある考えが浮かぶ。その時。
「エマージュ隊長!」
「何かしら、騒々しいわ」
食堂の外から、同じような恰好した女性がまた入ってくる。そして何やらエマージュに耳打ちをすると、彼女の顔色が変わった。
「・・・なるほど。アテナからはヴェルフラとマルグリッテが出張ってきているのね?」
「はい、かなり本気だと思います。朝までには決着を付けたいから、手を貸してくれないかと」
「本来我々の役目ではないけども・・・事情が事情ね。すぐに精鋭を20人ほど連れて向かうとヴェルフラに連絡をしておいて」
「わかりました!」
命令された女性がぱたぱたと走り去るとエマージュは酒を一気に飲み干し、部下を促して先に店を出させた。そして先ほどまでおおらかだったエマージュの顔も、みるみるうちに引き締まっていく。
「さてと、戦場に行きましょうか」
「一体何の? この辺では戦いはなかったはずじゃあ」
「私達の仲間が凌辱された挙句、殺されました」
エマージュは苦い顔で答える。
「我々は団の規則にのっとり、報復行動に出ます。これこそが我々を大陸有数の傭兵団にまで名声を上げた理由。『フリーデリンデの女神を汚せし者には、死の鉄槌を持って報復を』。これは本来なら部隊アテナの役目なのですが、今回殺されたのは私達の家の近くに住んでいた子ですから。あながち私にも無関係ではない」
「お姉ちゃん、それって・・・」
「ええ、殺されたのはイーラよ」
ターシャが思わず手を体の前で握りしめる。
「そんな、イーラが・・・」
「よくあなた達は遊んでいたものね。でもだからこそ、貴方にはしっかりしてほしいのターシャ。貴女は私のかけがえのない妹なのだから。もし貴女が同じ目にあったら、私はきっと気が狂ってしまうわ」
エマージュがターシャを抱きしめながら答える。ターシャもまた自分の姉を抱きしめ返した。そして簡単に姉妹は別れを惜しむと、エマージュはアルフィリースに向き直る。
「そこでアルフィリース、貴方に一つお願いがあるのですが」
「何かしら?」
アルフィリースは突然話を振られたので、きょとんとしている。
「我がフリーデリンデには、外部の傭兵団、ないしは騎士団で1年程度研修させる制度というものがあります。この制度の目的は、どうも世の中から隔絶されがちな我々に世間の常識を教える意味もあるのですが、本来ならそのためには個人で自分の研修先を探します。でも最近は我々の報復を恐れない様な連中も増えてきて、フリーデリンデの新人も及び腰になっているのです。そこで・・・」
「女の多い私の傭兵隊なら安全だと?」
「言ってしまえばそういうことです」
少し決まりが悪そうなエマージュがそこにいた。
「私も多くの部下の命を預かる身。本来なら妹といえど差別は許されませんし、騎士団に派遣するという手もありますが、どうにも嫌な予感しかしなくて」
「お姉ちゃんの勘は本当によく当たるからね」
ターシャが少し自慢気に言うのを、エマージュが目で窘める。
「でも貴女は信頼できそうです、アルフィリース。もしよろしかったらこの話を受けてはいただけないでしょうか? 私の妹はこんな性格ですが、腕は確か。将来は一つの部隊を背負って立つ可能性もあると思っています」
「お姉ちゃん、褒めすぎだよう!」
「いいえ。これは贔屓目ではなく、現在5人の部隊長の一人であるエマージュの意見として述べています。ターシャ、今のフリーデリンデに羽音もなく天馬を操る者が何人いると思って? アフロディーテの隊長カトライアや、我々の総隊長であるミストナ様が若かりし時にでも無理だった事なのよ? あとは貴女の意識次第。それをアルフィリースの所で学びなさい」
エマージュが真剣な顔をしたので、戸惑うようにターシャは黙ってしまった。その彼女に、アルフィリースが神妙な面持ちで話しかける。
「一ついいかしら、エマージュ?」
「どうぞ」
「正直な話、私は天馬騎士を必要としてはいないの。単騎で運用する天馬騎士の役目は、通常なら主に斥候。でも斥候なら私にはこのリサがいるわ。だから私はターシャを本来なら必要としていない」
アルフィリースがリサの肩をぽんと叩いたので、この言葉には全員がびっくりした。フリーデリンデの申し出をアルフィリースは断るつもりだと言ったのだ。フリーデリンデの天馬騎士は世間的にも評判が高い。単騎を雇うだけでも、並の傭兵の3倍近い報酬が必要だと言われる。そのくらい傭兵として、彼女達は重宝されるのだ。
さらにアルフィリースは続ける。
「だからこれは一つ貸しよ、エマージュ。もしターシャの運用がうまくいって、彼女も私の傭兵団を気に入ったならば、フリーデリンデから定期的に研修として、小隊を借り受けるという約束をしたいの。どうかしら?」
「・・・なるほど。ただの傭兵ではないと思いましたが、そうきましたか」
エマージュはどこか楽しそうにアルフィリースの申し出を聞いていた。そこには期待以上のものを得られたと言う表情がある。
「いいでしょう、私の権限で了承します。ただ、確定的な事は何も言えませんよ?」
「もちろんよ。私も天馬騎士を用いた部隊の運用はまだ考えたことが無いし、これから私の傭兵団がどうなるかもわからないしね。全てはこれからだわ」
アルフィリースが腕を組みながら人差し指を立てて見せたので、エマージュは楽しそうに笑って見せた。その時、既に軽鎧をつけて青い直垂を装備したネスネムが入ってくる。フリーデリンデ天馬騎士団の正規の装備である。
「エマージュ隊長、足並み揃いました」
「すぐ行くわ。それではアルフィリース、妹をよろしく頼みます」
「ええ、確かに預かるわ」
「ターシャ。アルフィリースの元で、多くを学んできなさい。成長したあなたを待ってるわ」
「・・・うん、わかったよお姉ちゃん」
食堂から出て行きながら差し出された装備を身につけるエマージュを見送りに外に出ると、そこには精悍な女騎士達が自分の天馬と共に整列していた。天馬は基本的に純白の生き物である。フリーデリンデの傭兵隊の本拠地である、一部地域にしか生息しないと言われる羽の生えた馬。優雅な見かけとは裏腹に非常に気性が難しいその馬は、乙女しかその背に乗せたがらないのだとか。また彼らの育成方法を正しく知るのも、フリーデリンデの乙女達だけである。天馬は彼女達でなければ育てられないのだ。
その純白の天馬が居並ぶその中を、直垂を揺らしながら悠然とエマージュは歩き、自分の天馬に騎乗する。
「上昇!」
エマージュの号令一科、彼女達は振り向きもせずに飛び立っていった。闇夜に天馬の白き羽が映えていて、アルフィリースは彼女達が見えなくなるまで茫として見送っていたのだった。
続く
次回投稿は、8/1(月)16:00です。一日間を開けますのでご注意を。次回より新シリーズです。
いつも閲覧ありがとうございます。また感想・評価などお待ちしています。筆者のやる気につながっております。
次回シリーズは「愚か者の戦争」です。