終戦、その65~発動と覚醒㊻~
「はっ!?」
ダロンが剣を振りかぶったのを見て、まずグレイスは剣筋を見極めようとして後退し、建物の外壁を背にした。全力で駆けるがままに、右斜めやや下段から繰り出される無造作な一撃を受けとめようとして、反射的にしゃがんでしまう。
ヴァルサスやベッツの剣ですら受け止められるグレイスがしゃがんだのは、ただの直感だった。受けとめようとしたら「なくなる」。その直感は実に正しく、グレイスの背後の壁はダロンの斬撃に沿って「なくなって」いた。
破壊した音すらしない。ただ吹き飛ばした残骸が、館の3階の窓と外壁を散弾のように削っただけだった。
「うあっ!」
グレイスが飛び跳ねるように斜め前に離脱し、元居た場所に戦斧が振り下ろされた。雪が爆発したように地面の氷ごと巻き上げ、夏にならないと露出しないはずの土の地面をむき出しにした。
振り落ちる雪塵の中で、ダロンが振り返るのがわかる。
「な、なんて一撃――あっ?」
グレイスは体勢を立て直そうとして、地面が揺れていたことで着地の姿勢を崩した。ダロンの一撃で、まだ地面が揺れていた。思わず尻餅をついたその頭の上を、再度ダロンの剣が通過し、戦場では流れ矢を避けるために使っていた兜の角がなくなった。軽くなった兜は、恐怖に駆られかけるグレイスの意識を無理やり引き戻してくれる。
後転する勢いで跳ね起き、剣を構えて自らを奮い立たせる前にグレイスは無理やり前に出た。暴風のようなダロンの攻撃の、狙うべきは支点だ。いつもベッツにやられるそのままを、ダロンにもやりかえせばいい。力が劣る者も、技術と戦い方次第で強者相手に戦うことができることをグレイスは嫌というほど痛感している。
だけど、ベッツに言われたことをグレイスは失念していた。「その戦い方は、お前には――巨人族には向いてないぞ」と言われたことを思い出したのは、ダロンの攻撃の内側に飛び込んだ時だった。
「がっ!?」
ダロンの剣の柄に近い部分に、いち早く自分の斬撃を当てることができた。理論的には、これを押し返すには相手の10倍以上の腕力差が必要のはずだ。それなのに、押し負けて跪いたのはグレイスだった。
一挙に窮地に陥ったこの状況に、グレイスが信じられないといったように目を剥いた。
「ど、どうして?」
「ガァア!」
戦いに没頭するあまり、半ば狂戦士と化したダロンの猛攻が、グレイスを攻め立てた。片膝を上げる暇もなく、グレイスはその攻撃を受け続ける。全身が軋み、下半身が雪どころか氷を突き破って緩くなった地面に沈められていくではないか。
必死で攻撃を捌くグレイスが思い出したのは、調練の時のベッツの言葉。
「(どうして副長に勝てない? 技術が足りないのか?)」
「(そりゃあお前、年の功ってやつよ)」
「(その技術、どうやった習得できる?)」
「(そうさなぁ・・・お前なら、5年もあれば習得はできるだろ。お前は巨人だが、剣の腕にかけても天才的だ。俺よりセンスもあれば、努力も怠らねぇ。俺が鍛えりゃ、まぁ俺以外の奴にはたいてい勝てるんじゃないか?)」
「(よし、すぐやろう! 0番隊として動いている間は、連日修行を頼む!)」
「(そりゃあまぁ時間がある時は構わんがよ、一つ覚えとけ。お前は数年後、ブラックホークで5指に入る剣士になるだろうが、技術では戦うな)」
「(? それはどういうことだ?)」
ベッツは顎をかきながら答えた。何というべきか、思案するベッツは珍しい。こういう時のベッツは、たいてい耳に痛いことを言うかどうかで悩んでいるのだ。
「(戦いの『あや』ってのは、死線をくぐった経験によってしか培われねぇ。死線ってのにも色々あってな、同じ死線でも相手によってはまるで違う経験になる。俺はヴァルサスには手合わせでは勝てるが、魔獣討伐や戦争では奴ほどにはどうやってもならん。それと同じだ)」
「(では、相手の質を均等にすれば――)」
「(そこに一つ落とし穴がある。お前、自分より腕力があって武器を扱える相手が、世の中にどれくらいいると思う?)」
「(あっ)」
指摘されてグレイスがはっと思い至った先に、ベッツのため息があった。
「(ま、そういうことだ。お前が技術を頼みとするとき――それはお前が戦ったことのない、未知の強敵と対峙しているってことだ。複数で囲むならともかく、一対一は絶対にだめだ。付け焼刃が通用する相手かどうか、見極めもできんだろ?)」
「(なら、副長はどうしてきたんだ?)」
「(俺は腕力も体格も、足の速さも剣も全て中途半端だったからこそ、経験に恵まれた。上にも下にも、対戦相手には事欠かんかったからよ。それに逃げることを恥じとも思ったことはねぇ。ちょっとでも不利なら逃げに逃げて、勝てるときに戦う。そうやってきたんだよ)」
ベッツはそこで一息ついて、悲しそうに言った。
「(お前は幸か不幸か、俺より天賦の才にも体格にも恵まれていやがる。そしてその気性も荒いし、負けることを恐れて修行を惜しまない努力もできる。だからこそ一か八かの勝負では逃げの一手か、もしくは降伏してでも戦うな。引き際の見極めに関しては、お前は二流以下にしかなれねぇ。お前はある意味ではミレイユよりも激情型だからな、流されるなよ?)」
その言葉を思い出すのが遅かった。その時だって強敵と言われて、夫であるダロンの姿を思い浮かべたはずなのに。かつて里の若者どうしで手合わせしても自分が必ず一番だったが、一帯の魔獣が畏れたのはダロンの方だったことを、どうして忘れていたのか。
いつかダロンの元に帰るはずだったのに、どうしてこんなことになったのか。このままでは愛すべき夫に殺される。振りかぶった戦斧か逃げようとして足が動かず、防ごうとして手が痺れて上がらないことに気づいたグレイスは、死を覚悟した。
続く
次回投稿は、4/25(木)12:00予定です。