傍らに潜む危機、その7~遠い距離~
「マリオン!」
「ああ、わかっているよ」
マリオンとミルトレが剣を抜く。彼らはただならぬロッテの様子に、念のために真剣を装備していた。魔獣が学園内で暴れたことで、上級生である彼らは用心のために手元に真剣を置いていたのである。
既に上級生であり実戦も経験している彼らには、学園内でも帯剣が許可されている。とはいえその重みを知る彼らは、いたずらにその刃を見せる事はない。その中でも最も将来を嘱望され、学年の代表の様な役割を務めるマリオンとミルトレが剣を抜いたのだ。それだけ事態を重く見た故の行動である。
そしてジェイクに引き倒されたミルトレが、油断なく体を起こしながら答える。
「貴様、何者だ! 名を名乗れ!」
「ご心配なくおぼっちゃま、すぐに終わりますゆえ。じきに静かになりますよ」
「なんだ、こいつは? さっきから同じ言葉を繰り返して」
まるでうわごとのように同じような言葉を繰り返しながら、一方で動きの鋭さを増して行く相手にミルトレは恐怖を覚えた。そして同時に、ジェイクと同じく「これは斬らねばならない相手だ」と彼は考え始めていた。感じ方こそジェイクとは違うが、ミルトレはこのグローリアに恩恵を感じ、また学園を愛している。孤児である彼の故郷とも言うべき学び舎を、得体のしれないモノに闊歩されるだけでも、彼の腹は火口を覗き見るかのごとく煮え立つのだった。
そしてそんなミルトレの憤慨を感じとったのか、ジェイクが無言で彼の横に立った。息はまだ整わないが、それでもやる気なのか。そしていつの間にか執事の背後にはマリオンが立つ。今や挟みうちの恰好になっていた。
マリオンとミルトレはよくこの陣形で強敵と戦うため、息もぴったりだ。この形に持ち込んだからにはかなりの確率で勝利を得られると確信を持っていた。彼らは学園に籍を置く身とはいえ、既に神殿騎士団と同程度の実力を備える豪の者である。その彼らの実力による、前後同時の斬撃をかわす術はないと2人は確信し、マリオンが剣を手の中で一回転させ、それを合図に三秒後に斬り込むのが彼らの約束事。
そして、
「はああ!」
「ぬん!」
マリオンとミルトレが同時に斬り込んだが、執事はあるいは当然のごとく2人共に半身になるように体を動かし、左右別々の目でそれぞれマリオンとミルトレの動きを捕える。そして手にあるナイフを投げつけたが、マリオンは鮮やかにかわし、ミルトレはやや強引に、ナイフを肉の厚い部分で受けながら突進する。
さらにマリオンは上段から突きへと変化するお得意の剣術、ミルトレは防ぎにくい下段からの斬り上げを行う。これは彼らの最も得意とする戦法だった。これでグローリアの剣術教官から、彼らは一本取った事もある。
だがナイフでやや突進の速度が緩んだのか。マリオンの突きは執事が指で挟んで止め、ミルトレの下段は金属音と共に膝下で防がれた。
「何?」
「こいつ、服の下に具足を?」
「マリオン、離れろぉ!」
一瞬動きを止めた2人に、ジェイクが叫びながら突進する。そしてマリオンは理解するよりも早く剣を離して飛びのき、ジェイクは執事の肘からミルトレに向けて伸びた突起を防ぐことに成功した。
「仕込みか!」
「こいつ!」
庇われたミルトレが執事に斬りかかると、執事は人間にあるまじき跳躍力で身を翻し、空中に飛んだ。だがここは天井のあまり高くない教室である。ダロンなら少し頭を下げるような高さだといえるだろう。着地を狙おうとするミルトレだが、なんと執事は事もあろうに、後ろ手に天井にへばりついたのだ。さながら蜘蛛の様な動きである。
「・・・は?」
「ミルトレっ!」
マリオンが今度はミルトレを抱えるようにして彼に飛び付いた。同時に、180度反転した執事の首が彼らに向かい、口から何か液体を吐き出していた。その液体が地面に触れると、勢いよく燃え始める。
「うっ」
「こいつ、人間じゃない」
「なんだよ・・・なんだよこれっ!」
悲痛な叫び声を上げたのはブルンズであった。今や彼の執事は、既に人間でないことを隠してはいなかった。首は180度あらぬ方向に曲がり、手足の関節も人間では考えられない方に曲がっている。そしてバランスを崩したのか、自分がいましがた燃やした地面に降りると、衣服に火が移る。当然のごとく彼の服は火で燃えるわけだが、その下から出てきた体に、一同は目をくぎ付けにされた。
執事の体からは刃が至る所から生えていたのだ。まず大きいのは先ほどミルトレとマリオンに放った肘の刃だが、そのほかにも、背中、膝、頭にも刃が生えようとしている。その光景を見て、震えているのはブルンズだった。
「何なんだよ、これは!? こいつは誰だ? 俺の執事はどこに行った!?」
「ご心配なくおぼっちゃま、すぐに終わりますゆえ。じきに静かになりますよ」
「やかましいっ! お前なんか、執事であるものか!」
「ご、ごしんぱぱぱぱいなく、おぼぼ、ぼっちゃ、まままっま。す、ぐ、に・・・・」
執事の言葉が徐々におかしくなり始める。火を背に異形に変身を始めた執事を見てロッテが気を失い、とっさにラスカルが彼女を支える。ブルンズも、いつもの威勢はどこへやら。既にすっかり怯えきっており、立っているのが精一杯というところだった。
ミルトレやマリオンですらどうすべきか考えるこの状況で、一番早く動いたのはまたしてもジェイクだった。執事だった者の背後から、無言で火の中をつっきり斬りかかる。
キィン!
だが、完全に不意をついたはずのジェイクの一撃は、またしても執事に防がれた。まるで背中に目でもあるかのような反応。そして執事の頭が、鈍いゴキゴキという音と共に元に戻る。
だがジェイクも負けてはいない。戻りかけた執事の頭を、しこたま殴ったのだ。この攻撃はさすがに意外だったのか、執事はたまらず吹っ飛っとんだ。そのわずかな隙を使い、ジェイクは体勢を立て直す。
「ミルトレ、マリオン!」
「・・・はっ」
「一体あれはなんだ?」
いつも冷静なマリオンの、引きつった表情を見ながらジェイクは答える。
「わからない。でもあれはこの世に存在してはいけないものだと思う。ここで倒さないと」
「具体的にはどうする?」
既にミルトレも正気に戻っている。彼らの目の前には、四つん這いで今にも飛びかからんとする執事の姿があった。
「・・・あいつは多分俺を攻撃できない。なぜかはわからないけど。だから」
「つまりそれを利用すると?」
マリオンの問いにジェイクは頷き、ミルトレは渋い顔をした。護るべき後輩に先陣を切らせるなど、気真面目なミルトレは容認できなかったのだ。同時にそれが最も勝算の高い方法だと理解できていたとしても。
「・・・ジェイク、死ぬなよ?」
「こっちのセリフだよ。アイツは強い」
「僕達を誰だと? このグローリアでも5指に入る実力の生徒だよ? こんな異形に引けは取らない。取るわけにはいかない」
マリオンが地面の剣を足で蹴り上げ、手元に戻しながら語る。
「とどめはミルトレに任せるから。僕とジェイクで隙を作る」
「わかった。じきにクルーダスも来るだろう。それまでに仕留められれば最上だが、まずは足止めを確実にする。ブルンズ!」
ミルトレがブルンズの名前を一段と強い口調で呼ぶ。声をかけられたブルンズは、目に見えぬ枷から解き放れたかのようにミルトレの方を見る。
「戦えとは言わん。だがせめてこいつを外に出すな! 外に出て扉に封をしろ」
「で、ですがそれでは」
「俺は既にアルネリア教会に騎士の誓いを済ませた者だ。正規の騎士ではないとはいえ、いつでもアルネリアのために命をかける覚悟はある。だが貴様にはまだ早い。お前が命をかけるのはここではないだろう?」
「・・・」
ミルトレは目の前の執事に油断なきよう警戒をしながら、ブルンズを背にして言葉をつなぐ。ブルンズは唇を噛みしめたまま、俯いている。これは今まで横柄に生きてきたブルンズにとって、初めての自分への憤りだったのかもしれない。
ブルンズとて人間である。いかに性格が横柄で傲慢とはいえ、幼少の頃より世話になっている執事には多少なりとも恩も感じていたし、信頼も尊敬もしていた。それが全て自分の勘違いだと気づきつつも、認めたくない自分への意気地なさ。そして、彼にとってのライバルであるジェイクが堂々と剣を振るう時に、何もできない自分への不甲斐無さ。さらには、ここ最近で彼に芽生えつつある、騎士としての心構え。以前より多少なりともましな人間になっているのだろうかと、ブルンズが思い始めた矢先の出来事である。
そんな彼の心情を知ってか、ミルトレと、さらにはマリオンが言葉をつないだ。
「恥じるな。敵に背を向けるのは、騎士にとって罪ではない」
「そうだね。剣をとって弱きを護るも騎士ならば、弱き者の手をとって助けてやるのも騎士の務めさ。今自分にできる事をすればいい」
「・・・はい」
将来自分が剣を捧げる相手であるマリオンに言われては、ブルンズとて引き下がるしかない。彼は気絶したロッテを抱えるラスカルを促して、外に出る。扉を出るときに彼は自分の執事の様子を見たが、既に人間とは思えぬ形を成す執事を見て、ブルンズはそれでも悲しい気持ちを覚えずにはいられなかった。
そしてまだ戦いの場に残るジェイクを見る。自分が思うよりも遥かに先を行くジェイクに、ブルンズは嫉妬の念を禁じ得なかった。たかが10歩にもならないこの間が、とても遠い。そんなブルンズがジェイクにかけた言葉は。
「ジェイク」
「・・・」
「死ぬなよ」
「・・・おう」
ブルンズはそれでも、切にジェイクが生きて帰ってくる事を願った。ジェイクに今死なれたら、どうやって彼を越えればいいのかわからない。ジェイクの方はそっけなく答えただけだったが、微かに頼もしさを感じたのも間違いなかった。
続く
次回投稿は7/24(日)12:00です。