終戦、その50~発動と覚醒㉛~
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「王様、本当にやるの?」
ブランシェの質問に、憮然とした表情のまま返事をしないライフレス。滑舌よく会話できるようになったブランシェだが、何度目かの質問に対してもライフレスは一向に返事をしようとしない。
ドゥームの使い魔から連絡を受けたライフレスは、既にローマンズランドの上空に到着していた。
巨大な鳥の使い魔を作製し、エルリッチ、ドルトムント、ブランシェと共に数刻前から眼下の様子をずっと窺っていた。
ライフレスの結界があれば、ローマンズランドの雪風や寒さも全く問題にしない。それでもライフレスの仏頂面は変わるものではなく、それ以上に不機嫌であることを誰もが理解していた。
ただドルトムントだけは、それがドゥームのせいではないことに気づいている。だが一度黙ると話しかけるだけ不機嫌になることを知ってもいるので、ドルトムントは決してこういう時に話かけはしない。ライフレスが思索に耽り、意味のある発言をできない状況を嫌うのだ。こういう時は、レイフレスの考えがまとまるまで待った方がいい。
ブランシェはもじもじとして落ちつかず、エルリッチは眼の光が消えているので瞑想をしているか、居眠りをしているかのどちらかだろう。ドルトムントはひとり、ローマンズランドの雪山を眺めていた。千年前も同じような光景だったと記憶しているが、同じように見えてそこに沈殿する不穏な空気は全く異なるとも肌で感じていた。本来のローマンズランドの空気は、もっと静謐で澄んでいたはずだ。
その時、エルリッチに眼の光が戻る。
「落ち着かんな、ブランシェ。厠は来る前に済ませておけと言っただろう」
「レディに向けてなんてことを言うの、この腐れ骸骨! 蹴落とすよ!?」
「生憎と、骸骨なので腐りきった後でな。寧ろ腐っているよりも清潔で高邁な精神性を獲得し――ぎゃあああ!」
鋭さの増したブランシェの爪が、エルリッチの眼窩の上にひっかけられた。そのまま軽く持ち上げ、エルリッチの体が浮き上がる。
「本当に落とすよ?」
「やめろ、やめぬか! この高さだと死なぬまでも、雪に埋もれて動けなくなる! 意外と致命的だぞ!?」
「そうか、そんな不死者の殺し方があったのか。ぜひとも試してみたいわ」
「洒落にならぬぞ!」
「しゃれこうべのくせに?」
「意味が違う!」
かしましい2人にも、ライフレスは微動だにしなかった。一見無表情にも見えるその顔が、徐々に険しくなっているとドルトムントは見抜いた。
「我が君、いかがなさいました」
「・・・貴様も感じているであろう。ここは既に魔の領域よ」
その言葉にドルトムントは頷いた。
「苛立たれているのはそのせいですか」
「うむ。この土地がここまで変質していることに今の今まで気づかなかった、自らの無能さに呆れていたところだ。ドゥームの奴めの誘いがなくとも竜脈の異常は感じていたが、まさかここまでとは思っていなかった。奴の誘いがなければこの時、この場所に立ち会うことがなかったかもしれないと思うと、自らの間抜けさに無言にもなろうというものだ」
「この土地は元来、『ノーマンズランド』と呼ばれていました。あまりの厳寒に人間に類する種族は誰も済むことができないと、古代の種族が名をつけたのです。それが長い間で少しずつ呼称を変え支配者の土地、ローマンズランドと呼ばれるようになりました」
「宵闇の一族――古い種族最後の生き残りならではの言葉だな。まさにこの下は今、ノーマンズランドになろうとしている」
その言葉に小さく首を垂れるドルトムント。ライフレスの感じた通り、このローマンズランドにはもはや生きている人間はほとんどいない。いや、「まっとうな人間の比率が少なすぎる」とでも呼べばいいのか。
竜脈の乱れだけではない。このままカラミティが覚醒すれば、ローマンズランドが本当の意味で終わることをドルトムントでも気づいていた。
「腹立たしいが、ドゥームの策に乗らざるをえまい。このローマンズランドの大地がその姿を変えることになろうとも、ここでカラミティを仕留める」
「共闘はせぬのですか?」
「ティタニアか? どこにいるかもわからぬ。あれが姿を現すとしたら、確実に大物を仕留めるときだけであろう。カラミティ相手に正面から堂々と行くほど、あれは武人めいてはおらぬ」
「いえ、そうではなく」
「――アルフィリースか」
ライフレスの言葉にドルトムントは頷き、ブランシェがエルリッチを放り投げた。エルリッチは使い魔から危うくずり落ちそうになるのを、必死にしがみついている。
「王様、アルフィリースと一緒に戦うの?」
「嫌か?」
「・・・嫌に決まってる。でも、王様の命令に従う」
「なぜだ?」
「それほど、下の状況がまずいことくらいわかる」
ブランシェはアルフィリースの恨みから魔王化した生物だ。それがわずかでもアルフィリースに利することがあると、その生命の意義にすら関わってしまう。下手をすると、死ぬことすらある。遺跡での共闘後、ブランシェの理由なき体調不良をエルリッチがそのように分析していた。
今もブランシェの表情は青白い。それはここに来てアルフィリースと共闘する可能性があるからではないかとライフレスは感じていた。だが、ブランシェが認める通りに下の状況はそれほどまでにまずかった。
「ここまでなのか、カラミティは」
「ええ。ここまでの生物だとは思ってもいませんでした」
「本当の怪物。何としても殺さないと、全ての生物にとって最悪の結果をもたらす。まさに災厄の名にふさわしい」
「それほどなのですか?」
這い上がってきたエルリッチの質問にブランシェが呆れたが、ライフレスは見下すではなくただ淡々と答えた。
「そうか、感じ取れないのは貴様の防衛本能かもしれんな。それも一つの防御手段だ」
「何がです?」
「眼下に雪に閉ざされた連峰が見えるな?」
「それはまぁ」
「普通は見えぬ。雪に閉ざされたノーマンズランドは冬の間、その全体像を見ることができぬのだ。雪風が治まったのは、カラミティが竜脈を介して精霊の力を吸い取っているからだ」
「なるほど、復活が近いと。で、カラミティはどこなのです?」
「この大地全てがカラミティだ」
「・・・は? 今、なんと?」
「見渡す限りの大地に根を張って、巨大化した生物。それが災厄の本体だ。今からこれと、我々が戦うのだよ」
あまりの規模にぽかんとして我を忘れたエルリッチを揺さぶるように、大地が鳴動を始めていた。
続く
次回投稿は、3/1(金)14:00予定です。