傍らに潜む危機、その5~少年の直感~
翌朝。ジェイクは学校に通常通り登校した。休んだ方がいいのではないかと事情を知る者は助言したが、ジェイクは無理を言って学校に登校したのだ。
それにはおぼろげだが確信めいた理由がある。
「(なぜだろう。まだ悪い予感が治まらない)」
ジェイクは昨日魔獣を退けた後とても強い疲労感に襲われたが、なぜか目は冴える一方だった。いつもの日課をこなしていないからかと、就寝前に自室において一人裸でくつろぐロクサーヌに無理を言って剣技の練習を申し込んだが(突然部屋に押し入ったので殴られはしたが)、それでも寝られなかった。不意をついたとはいえ初めてロクサーヌから一本を取った事も、ジェイクの心を落ち着かせることはなかった。
準備が整ってなかったとはいえ、ジェイクに一本を取られて落ち込むロクサーヌを尻目に、ジェイクはずっと考えていた。戦いの過度の興奮が引き起こす過覚醒ということももちろんあったろうが、ジェイクの本能が告げていたのだ。まだ何一つ終わりではないと。
結局ロクに寝られなかった彼だが、その答えは今朝になって明確な形を成し始めていた。
「(そもそも誰があんなことをしたんだ? 魔獣を解き放って得する奴がいるのか? ミリアザールが自分の学校に敵の侵入を許すなんてことがあるのか? うーん、それよりも何かを見落としているような・・・)」
ジェイクが唸りながら廊下を歩いていると、後ろから彼の肩を叩く者がいる。
「おいジェイク」
「・・・なんだ、ブルンズか」
「なんだとはご挨拶だな。これでも、その・・・心配したんだぞ?」
ブルンズが気まり悪そうにジェイクを気遣う。だがその彼が照れながらジェイクを気遣う様子は、まるで好きな女性を前にしてもじもじする男の子のようで、お世辞にも気持ちの良いものではなかった。それでも純粋な好意であろうことはジェイクも分かったので、どうするべきかと逡巡するも、その後ろからさらにブルンズの肩を叩く者がいる。
「男のデレはいらんぞ、ブルンズ」
「うおおい! ラスカル、俺の好意をそんな言葉でくくるなぁ!」
「・・・アホらし。やってろ」
口論を廊下で始めたラスカルとブルンズを尻目に、悩んだ自分が馬鹿らしいと、ジェイクはため息をつきながら教室に向かおうとする。すると、ジェイクはブルンズの事を廊下の陰からそっと見守る彼の執事に気がつく。その瞬間、ジェイクの頭の中で霧がさあ、と晴れたような気がしたのだ。
「(アイツだ! どうしてかは説明できないけど、アイツが魔獣をこのグローリアに持ちこんだ犯人だ!)」
言葉では説明できない確信がジェイクを襲った。全身の毛が逆立つように、ジェイクの体が戦闘態勢に入る。周囲から音が消え、周りの動きが手に取るように把握できるような感覚を得る。昨日一匹目の魔獣を倒した時と、ほぼ同じ感覚だ。
そして今日の彼は、真剣を背中に布に包んで持参していた。真剣の重さと怖さに早く慣れろというミリアザールの方針から、普段はアルベルトやラファティ相手にしか使わない真剣をジェイクは持参していたのだ。
そしてジェイクの背中にある真剣が、ずしり、と重みを増すような気がしたのだ。
「・・・アイツを斬らないと」
「へ?」
「何か言ったか?」
いつの間にか、口論を終えたブルンズとラスカルがジェイクの前に立っていた。彼らは自分達の声に反応しないジェイクを不思議そうな顔で見ている。
「おい、本当に大丈夫かジェイク?」
「顔が真っ青だぞ?」
「ああ・・・何でもない」
ジェイクはそれだけ言うと、教室に再び向かい始めた。後ろからは顔を見合わせるようにして、ブルンズとラスカルがジェイクの後に続く。
ジェイクがここでブルンズの執事に斬りかからなかったのは、人目を気にしてのことではない。邪魔が入るのを恐れて、あるいは他の生徒を盾に逃げられるのを防ぐためだった。
「(後で行くか。でも、もし俺の勘違いだったら?)」
ジェイクの胸を一抹の不安がよぎる。証拠はない。一つ間違えればただの人殺し。そして迷惑は周囲の者全員に及ぶだろう。だが、そんな常識的な考えはすぐに彼の頭から吹き飛んだ。
「(その時は・・・リサに二度と顔向けできないな)」
ジェイクの思考にあるのは、いつもリサが第一。自分の事や他人の事は二の次だった。この時もジェイクが恐れたのは、自分の判断が誤っていればただの人殺しになることではなく、リサが悲しむだろうということだけだった。
結局、ジェイクは一つ目の授業が終わっても決断することができず、決意が固まったのは二つ目の授業中の事であった。
「(やらないで後悔するよりも、やって後悔しよう。それに、俺の勘がさらに正しければあいつは・・・)」
ジェイクの腹は決まった。そうとなれば行動は早い。
「先生!」
「なんだね?」
授業中であった魔術基礎学問の教師である、アラネスがジェイクをじろりと睨む。彼は40そこそこの男だが、ジェイクがしょっちゅう授業中に居眠りをするので、あまり良い印象を抱いていなかった。
「気分が悪いので、救護室に行ってもよろしいでしょうか?」
「今度は救護室かね。気分が悪いのならいつものように寝てはどうだね?」
アラネスが精一杯の嫌みを言ったが、ジェイクはまるで意に介さなかった。本来なら違った反応を見せる所だが、ジェイクはそれどころではない。そのジェイクの一言も発さない様子を見て、アラネスは本当にジェイクの体調が悪いと判断したのか、ため息まじりに折れた。
「・・・止むをえないだろう。ジェイク少年、君の剣への打ち込む態度は感心しているが、他の事を疎かにすべきではない。もっと体を労りたまえ。救護室で休んでくることを許可します。救護係はいるかね?」
「あ、先生。私が」
ロッテが手を上げるのをジェイクは制し、そのまま返答する。
「いえ自分で行けますので。感謝します、先生」
ジェイクが素直に一礼して出て行くと、アラネスは微妙にジェイクの素直な態度を訝しがりながらも、再び授業に戻る。そのジェイクがいなくなった教室では、ラスカルがブルンズの肩をとんとんと叩くのだ。
「ブルンズよ」
「なんだぁ?」
「ジェイク・・・やっぱりおかしくないか?」
「お前もそう思うか?」
ブルンズがくるりと後ろを振り向く。
「ああ、なんだか思いつめてるみたいだった」
「前に俺の家に来てからだよな」
ブルンズが唸ったのを見て、ラスカルは目を丸くする。
「お前・・・案外と見てるのな」
「案外とはなんだ、失敬な」
「いや、てっきり鈍い奴だとばかり」
「なんだと?」
「何を話しているのかね、そこ!?」
アラネスが怒りの表情でブルンズとラスカルを睨んでいるのを見て、2人は「まずい」と思ったが、そこにロッテが助け舟を出した。
「先生、ブルンズ君が腹痛みたいです」
「そ、そうなんです。ここの所、便通が悪くて・・・いたたた!」
「ふう・・・君の場合は食べすぎだろう。食堂から苦情が寄せられているよ、あの肉ばかり食べる生徒はなんなのかとね」
アラネスのその言葉に教室がどっと笑うも、ブルンズはぐっとこらえていた。彼はどうやら懲罰房で忍耐というものを学んだらしい。今までならすぐにかっときていた場面で、怒りを制御する術を覚えたようだった。
そのブルンズを見ながら、さらにロッテが申し出る。
「彼を救護室へ運んでもいいでしょうか?」
「またかね。まあいいいだろう。私は君達の親から大切な君達を預かっているわけだから、何かあってからでは遅いからね」
「はい。ではラスカル君、ブルンズ君を運ぶのに手を貸してくれますか?」
「承知した」
ラスカルがここぞとばかりに手を貸して、3人は教室を出て行った。そして足音が教室から完全に聞こえないであろう場所まで来ると、彼らは顔を見合わせる。
「私にも説明してよ。ジェイクがどうかしたの?」
「俺達にもわかんねぇよ」
「だけど、尋常じゃないかも」
ラスカルが考え込む。ジェイクと一番学園で仲良くしているのはラスカルであり、ここ数カ月の付き合いでジェイクの性格はなんとなく把握していた。ラスカルが思うに、ジェイクがどのくらい自覚があるかはわからないが、ジェイクは感情が顔に出やすい。なので悩みごとがあればすぐにわかるわけだが、彼は同時に素直でもあるので、ラスカルが尋ねれば大抵の事は話してくれる。だからこそラスカルはジェイクと仲がいい。
それが今回のように、ジェイクが一人悩んで誰にも相談しないなど、初めてのことだった。
「・・・万一を考えよう。ロッテ、クルーダス先輩はわかるな?」
「え、ええ。一応は」
「今の時間は自主学習の時間のはずだ。先輩の教室に行って、彼を呼んで来てくれ」
「わかったわ。でも何のために?」
「嫌な予感がするとだけ言ってくれ」
ロッテは事情がまだよく呑み込めていないようだったが、ラスカルの顔が真剣そのものだったの大人しく彼の言うことに従った。
そしてロッテが走り出すと、ラスカルとブルンズはジェイクを探して走り出すのだった。
続く
次回投稿は7/22(金)12:00です。