終戦、その32~発動と覚醒⑬~
「どう違うのか、さっぱりわからんのだが?」
「んー、魔術における『変化』と『変容』は違うんだよね。変化は単純に姿形が変わることだけど、変容はその本質の変化で、変容にはマナの関与やあるいは他人の意志の介在、もしくは生物学的な――」
滔々と述べられるチャスカの思わぬ科学的な説明にベッツは不意打ちを食らって思考が停止してしまったが、内容はかろうじて理解できた。
「――で、まとめるとだ。エクスペリオンってのはただの快楽を得るための興奮剤じゃなく、魔王化する劇物ってだけでもなく。誰かの意志で介入して、人間という存在そのものを変容させるってことか?」
「そうだね、さすが旦那様。ただ私が感じ取ったのは、エクスペリオンには最低2人の意志が内包されていること」
「2人?」
「一つは大元の組成として、人間の本質を作り変えるようにできている。これは科学だけじゃなく、魔術にも――魔法の領域で詳しい誰かが作ったものだよ。少なくとも、人間に対する魔法だと思ってもいい。だって、本人の嗜好や経験に応じて変化させるなんて芸当――それこそ古竜くらいの知識がないと再現できないはずだもの」
「なるほど。で、もう1人の意志は?」
「怒り。ただただ、怒っていた。それも、世界全てを焼き尽くすほどの勢いで」
そう言い切ったチャスカが思わず身震いをする。チャスカが恐れを抱いたのはそれか、とベッツは納得した。
チャスカは感情が薄く見えるがそうではない。純粋すぎるくらいに純粋ではあるが、感受性の強すぎる彼女は、外界との関与を隔絶するくらいで丁度よいのだ。ときに自然と戯れ、歌う彼女は例えようもなく美しい。少なくとも、世俗の常識にまみれた人間ではああはいかないと、ベッツはチャスカにいたく感心した。チャスカはその見た目ではなく在り様が美しいと、ベッツは人間としてのチャスカに惹かれていた。
そんなチャスカだから、当然自らの不遇を――銀の戦姫の不遇を嘆いて周囲を呪ったことも人一倍だったのだろう。あるいは、根底に怒りを抱えているといってもよい。それが噴出すれば、先のような暴走状態になる。今はベッツとヴァイカが傍にいることで安定したが、やりようのない怒りと感情はベッツも抱えて過ごしたことがあるので、彼女のことはなんとなしには理解できる。レイドリンド家のことはいまだに気に食わないし、実兄であるダンヴェルグを除けば今でも全滅してくれて一向にかまわないとさえ思っているのだから。若い時は、ベッツはもっと直情的だった。
そのチャスカが恐れるほどの怒り。尋常ではないことは容易に想像できた。
「エクスペリオンを摂取した連中は、正気だと思うか?」
「とっくに狂っていると思う。あるいは、怒り過ぎて冷静になっているのかな。旦那様には経験がない? 怒りを通り過ぎると、世界が静かになる感覚」
「・・・ああ、あるぜ」
「エクスペリオンを摂取した連中は多分ずっと、同じ感覚。特にこの怒りの大元になった人は、ずっとそうなんだと思う。だから誰が騒いでも、何を言っても聞く耳を持たない。誰が死んでも何も感じない、感情が揺れもしない。だからどんな酷いことでもできちゃう。そんな人がまともだと思う?」
「いや。そうか――だから」
「だから?」
「ローマンズランドなんだな」
「?」
ベッツはふと理解した。この変わらぬ白銀の景色を、ベッツは美しくも疎ましいと思ったのだ。見る者によって気分は変わるだろうが、流浪の生活をしてきたベッツにとって、変わらぬ大地というものはいかほど美しかろうと苦痛でしかない。
万物は流転するものだ、とベッツは考えていた。あれほど盤石だと思っていたアレクサンドリアやディオーレでさえ、揺れ動くことはある。今ごろ崩壊していてもおかしくないとどこかで理解し、体感しているからこそ、このローマンズランドに求めるものがベッツにはない。
いや、人間であればだれもがそうではないだろうかとさえ思った。人とは失敗し、反省して成長するものだ。年中ほとんど変わらぬ自然を相手にして、まともな感覚が保てるのだろうか。この第三層で年中過ごす貴族はほとんどおらず、多くは一層や二層と行き来をすると聞いた。生粋のローマンズランド貴族でさえ、一面の白銀に耐えられるものばかりではないのだろう。一面の白を前に、知らずゆっくりと狂っていく人間は思ったより多いのかもしれない。
耐えられるとすれば、狂っているか永遠に変わってほしくないものをこの大地に期待するかどうか。この大元となった人物は、怒りを愛しているのだろうか。戦場に漂う異常な雰囲気と殺意、狂気はこのせいでもあるのか。
「いけねぇな・・・」
「どうした、旦那殿」
「相手に同調しすぎはよくねぇ。特に狂った相手に同調すると、引っぱられる」
相手を理解することは勝ち筋に必要だが、同調はよくないとベッツが引き締めた瞬間、ベッツは獣よりも早くチャスカとヴァイカを引き倒して身を隠していた。警戒範囲に、感じたこともないほどの危険な相手が入ってきたのを感じ取った。
姿を見ずとも理解できる。この気配の持ち主こそが、今回のすべての元凶に違いないと。
続く
次回投稿は、1/17(水)16:00を予定しています。