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呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第六章~流される血と涙の上に君臨する女~
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終戦、その25~発動と覚醒⑥~

***


 ヴォッフは独り、ふと我に返っていた。

 ローマンズランドに武家ではない貴族の家系など数えるほどしかないが、彼はその中のめずらしい文官の家系として生を受けた。

 陸軍が竜騎士団に蔑視されるように、文官は武官に侮られる傾向がある。だが家の者は皆、文官であることに誇りを持っていた。武官が戦場で飢えないようにするのが我々の責務であり、我々がいるからこそ彼らは安心して戦えるのだ、と。心無い発言をする者もいるが、心ある者は理解してくれると、それが彼らの口癖だった。

 だが士官として軍に従属したヴォッフを待っていたのは、残酷な現実だった。繰り返される拷問のような教練に、ヴォッフはついていけなかった。生来それほど運動が得意でもなかったが、それ以上に文官であることに誇りを持っていたので学問ばかりに没頭していたのがいけなかったのか。彼は何度も教練中に脱落し、落ちこぼれの烙印を与えられた。

 ならば学問で、と息巻きもしたが、彼が学んでいたのは半端に先進的な学問だった。閉鎖的な国家で国外の学問に興味を示すものはほとんどおらず、士官学校で教書に使われる錆付ききった理論を批判しようとも、それを理解できる同輩は誰もいなかった。同時に、さほど地位も高くない貴族が手に入れられる教書や理論書も本当の先端からは時代遅れであり、たまに招聘される論客や戦術指導員の理論にヴォッフは勝てず、また本当の勝敗を判定できる者もいなかったため、彼は机上の学問でも能無しと思われてしまった。ただ一人、若かりし頃のスウェンドルが「貴様、悪くはないぞ」と声をかけてくれたことだけを生きがいに、彼はローマンズランドに忠誠を誓ってきた。

 三十路までは耐えることができた。だが四十路を過ぎても出世の芽はなく、見合いで紹介された妻からは愛情を感じることもなく、一子を設けると夫婦らしき営みなど全くなくなった。義務は果たしたばかりの妻は堂々と愛人を家に連れ込み、当主であるはずのヴォッフの居場所はなくなってしまった。

 そんな折、さる女が家に持ち込んだ青い粉に傾倒したのは、やむをえなかったのかもしれない。

 後にエクスペリオンと呼ばれたその粉は、ヴォッフにこの上ない万能感を与えた。睡眠などほとんど取らなくても全く問題なく頭は冴えわたったし、鍛錬などしなくとも容易に常人の数倍の筋力を発揮した。かつて自分を侮った同輩を片手で捻り倒した時に、どれほどヴォッフの胸がすいたか。彼は大声で謳ってやりたかったが、かろうじて自制心がそれをとどめた。

 愛人を暴力でたたき出し、妻を強引に犯して恐怖で従わせた後、八つ裂きにして豚に食わせた。豚が豚を食うとは珍妙なものだと思ったが、自分の容姿もさして豚と変わらぬと自嘲し、彼は自ら進んでカラミティを受け入れることにした。その時のカラミティの驚いたような表情が、一番人生で痛快だったかもしれない。同時に「お前は嫌だ、眷属にもしたくないほど愚かしい」と蔑まれたが、それもまた快感と感じた段階で、たしかに自分がおかしくなっているなと盛大に笑い飛ばしたのだ。

 かくしてヴォッフはカラミティを取り込みながらも、支配はされなかった。カラミティが支配をしたがらなかったことが大きいが、それ以上にヴォッフの歪みつつも肥大した精神性が、カラミティの支配を撥ねつけた。エクスペリオンは、摂取した者の精神性を反映して現実とする。彼は豚のように醜い容姿のまま人間としての姿を失わず、能力だけを極端に強化した。

 戦ってはかつて憧れたように一騎当千となり、働いては十人分の文官以上の仕事を成し遂げる。そんな極度に有能な臣下として、スウェンドルに仕えることを望んだのだ。彼は、人間の姿のまま魔王となっていた。

 そして戦いの最中、ふと我に返った。まるで卑屈だったかつてのように、急に万能感が失われたことに気づいたのだ。エクスペリオンはたしかに、摂取者の願望をかなえようとする。だが元が人間である以上、必ず限界が訪れる。ヴォッフの欲望が全て叶った今、それ以上現実を歪ませることをエクスペリオンは勝手に辞めてしまった。

 だがヴォッフは悪い気分ではなかった。ただやりたいことだけをやり遂げた充実感がそこにあった。日に3度、4度の決死隊を率いた出撃を繰り返すことで既に体が限界を超えていたことや、疲弊しきった部下の表情を見てこれ以上はどうあがいても持ちこたえられないことを悟ってもなお、それら全てがどうでもよかった。家が没落したことも、妻がいないことも、我が子をカラミティにくれてやったことも、どうでもよかった。全て崩壊することを知っていて、契約を取り交わしたのだ。全てが成った。そうとしか言いようがなかった。


「終わったな。やりきった、やりきったぞ」


 ヴォッフは独りよがりな達成感に包まれ、それを嚙み締めた。まともでないことを理解していても、全てが今更だった。どうせ誰もかれもがまともではないのだ。

 ふと門の内側を見た。三の門が破られてもすぐには陥落しないように、門の内側には何重もの防衛柵が敷いてある。これだけの防衛柵を敷いたアルフィリースという女傭兵は見事なものだと今更ながらに感嘆するが、それらも全て無駄なものだとヴォッフは知っていた。

 なぜなら、今こちらに向けて強大な大流マナが収束し、放たれようとしている。その魔術は、全てを吹き飛ばしてあまりあるだろうから。

 残された時間で何ができるかとヴォッフは考え、辞世の句をと考えたが、全て吹き飛ばされるなら意味のないことだと、乾いた笑いを零した。ならばどうするか。こういう時に、世に名を残す名将ならばどうするのかと考え、ただ周囲にいた者たちに声をかけた。


「感謝する、お前たち。こんな私によく尽くしてくれた」

「なんですか急に」

「まだまだ戦いは続きますよ、司令官」


 司令官と呼んでくれる部下が愛しかった。疲労していても、彼らはまだ心が折れていない。こんな極限状態でも戦える者が軍人なら、たしかに士官時代の自分は根性が足りないと、今なら理解できる。

 

「いや。私のような愚か者の豚野郎が司令官では、名誉が損なわれるのではないか?」

「豚野郎って・・・いや、正直そう思ってましたがね。現実の司令官は違いました」

「ええ、他人の評判とはあてにならぬものと知りました。あなたほど有能で自らを省みない猛将は、竜騎士団にもほとんどいないでしょう。やり方はあれですが、あなたの元で戦っていることは、誇りと言ってもよいでしょう」

「なんと――」


 ヴォッフは言葉を失くした。自分の振舞いでこれほど評価が変わるなら、歯を食いしばっていれば違った生き方もあったのだろうかと、今更ながらに思ってしまう。だがもう時間がない。ヴォッフは背後を再度見て、目の前の見返した。


「2、4、6・・・助けられるのは8人だけか」

「何を?」

「お前たち、いましばし生きるがいい」


 ヴォッフは座り込んでいた部下たちの首根っこを掴むと、思い切り放り投げた。門からやや低い位置の、雪に覆われた貴族の館の屋根へ、遠投の要領で部下を放り投げる。

 驚く暇もないまま、次々と手当たり次第に放り投げた。ただ重装備の部下を放り投げることはさすがに無理だと感じたので、8人までが限界だった。助けられるのは、たまたま具足を外していた者だけだ。

 そして8人目で、ヴォッフは名も知らぬ部下に伝言を託した。


「アンネクローゼ殿下をお助けしろ。彼女が正当なローマンズランド後継者だ。敵は傍にいて、もっとも献身的な者だとお伝えするのだ」

「――何を?」

「託したぞ」


 部下が宙に舞う。彼はわけもわからず宙に舞ったが、その直後陣の後方が光ったかと思うと、巨大な樹木の破城槌が三の門を内側から破壊していた。ヴォッフ他、先ほどまでの仲間が崩れた門から衝撃で叩き出され、谷底へと落下していく。

 そして彼はたしかに見た。ヴォッフは自らの首を綺麗に切り落とすと、塵に還る瞬間を。ただ彼に理解できないのは、その表情がこの上なく誇らしそうに見えたことだけだった。



続く

次回投稿は、12/28(木)18:00予定です。

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