終戦、その21~発動と覚醒②~
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吹雪く銀世界の中、一見静寂が帳を下す三の門周辺の館内ではどこも血みどろの闘争が繰り広げられていた。
さる館では、陸軍と竜騎士団の軋轢が激化した。どのような状況下でも軍人としての節度を守る竜騎士たちと、戦時下ではある程度羽目を外すことが許されると考えている陸軍の将官が、ついに刃傷沙汰を起こした。
そもそも互いに不満があった。竜騎士たちは練度も規律も悪い陸軍を見下していたし、それを態度に出すことを憚らない者も少なからずいた。彼らがしたり顔で正論を振りかざすとき、あるいは立場を利用して暴論を振るうとき。どちらの時でも同じように嫉妬と嫌悪の感情が陸軍にあったことをどれほどの竜騎士たちが理解していたのか。
陸軍の中にも、規律の良い者と悪い者がいた。運悪く絆や友誼を結んだ飛竜が死んだとき、あるいはその代わりが見つからなかったとき。竜騎士は引退となり、そういった理由で陸軍に所属する者も少なくない。彼らのおおよそは失意の中に沈みながらも粛々と軍人として勤め上げるが、やむない理由で陸軍に出向となったというだけで無下に扱われたくはないと密かに思っている者が多いことを、どれだけの仲間が理解していたのか。
そして、そもそも飛竜に乗る資格が無かった者、あるいはその気概がない者、貴族であるからというだけで、形だけ軍に所属している者。彼らの中に、どれほどこの戦いが重要であることを理解している者がいたのか。一の門はさておき、万全であるはずの二の門が抜かれた後も奮戦を続けられているのはひとえにイェーガーの奮闘に依るところが大きいのに、それすらも理解できない愚か者が思いのほか多いことを、どれほどの傭兵たちが理解していたのか。
結果、どの館でも血みどろの戦いが起きた。三の門で奮闘している者たちが、交代が来ないことに気づいた時には既に手遅れであるほど、どの館の中でも戦争状態となっていた。階ごとに陣を築く、あるいは館を二分して争う。多くは陸軍と竜騎士の中で戦いが起きたが、精鋭ぞろいの竜騎士と、数を頼みとする陸軍で思いのほか膠着状態となり、それぞれの正義を振りかざした結果、犠牲者だけが増えていった。
イェーガーを始めとする傭兵たちは可能な限り中立を保とうとしたが、陸軍の傭兵たちに対する扱い――特に女性に対する扱いは腹に据えかねていたところがあったので、百人長に報告が届くころには、既に手遅れな規模で戦いが始まっていた。
互いに連絡をとったわけでもないのに、まるで計ったように戦いがそこかしこで起きてしまう。既に籠城する側の限界を超えていたと、傭兵団を取りまとめる幹部たちが気づいた時には手遅れだった。
「三の門の情勢は?」
「疲弊しきっています。届くべき食料も、武器もありませんから」
「合従軍は手を緩めたんじゃなかったのか?」
「手ごたえが薄いことに気づかれたのでしょう。冬が厳しくなり大軍が動かしにくくなったというだけで、無理をすれば寄せられないわけではありません。休戦協定も結んでいないのだから、戦争を中断する理由もありませんから」
「真面目なのか、好戦的なのか。寄せ手の大将は相当いやらしい奴だな」
ミュラーの鉄鋼兵の隊長のゼホとサティラが足早に館内を歩きながら、団長であるドードーの下に向かっていた。ドードーが滞在するこの館ではさすがにローマンズランドの軍人たちも幅をきかせにくいのか、そもそも大人しくしていたが、ある日を境にドードーが完全にどちらも叩き出してしまった。さすがにまずいのではとゼホが進言すると、最低限の連絡要員だけは残していると言われて、引き下がらざるをえなかった。
傭兵となって50年近くが経過しているドードーの人脈は広い。ローマンズランド軍内にすら、ある程度彼に味方してくれる者がいるようなのだ。それだけではなく、ドードーは館の女中にではなく、自分の部下に食事から身の回りの世話から全てをやらせ、館内では酒も嗜好品も一切を禁止した。戦いがない時は酒か女に耽るドードーが、どちらも制限するなどゼホもサティラも見たことがない。それほど警戒しているのかと聞くと、笑い飛ばすのはいつものドードーだったが、その笑い方がいつもほど豪快でないことを子どもたちは皆気づいていた。
そんな息子や娘たちの心配をよそに、ドードーは戦闘の時と変わらぬように各館に散った部隊と密に連絡を取らせ、定期的に必ず会うように申し伝えていた。部隊長でもあるドードーの子どもたちはそれらを忠実に守っていたが、イェーガーを援護するようにはドードーは命令しても、三の門の防衛に関して積極的に口を出そうとはしなかった。
防衛線こそが真骨頂のミュラーの鉄鋼兵が本気で三の門を守れば、アルネリアが十万の軍を動員しようと破ることができないだろうと子どもたちは自信を持っていたのだが、ドードーの考えは別にあるようだった。ただその考えを口に出さぬまま二カ月ほどが経過し、ついには連絡の取れぬ館と部隊が出始めた。
三の門の窮状を知るにつけ、ドードーと同じ館に駐留するゼホとサティラの方が先に限界を迎えたのだ。
「いくらなんでも、これ以上黙っておくのは無理だろう。他の館では兄貴たちが奮戦していることを信じるとしても、三の門は限界だ。イェーガーを見捨てるわけにもいかないし、あそこには心あるローマンズランド軍人だって多い。親父がどうするつもりかは知らないが、具体的な指示がないなら俺は勝手に動く」
「短気ね、兄さん」
「じゃあお前はどうするんだ、サティラ」
「もちろん動くわ。ただ黙って引き籠るなんて、鉄鋼兵の名折れだもの。それに戦争は功を上げる絶好の機会じゃない」
「お前にそんな功名心があったとは意外だな」
「負けたくない相手がいるわ」
サティラの脳裏にエルシアの姿がよぎる。統一武術大会の予選では完勝したのに、女性部門ではなすすべなく敗北した。聞けば、剣を握って2年にも満たないという。サティラは武芸達者な兄者たちに囲まれ、ウーナという良き指導者で副官にも支えられ、恵まれた環境で物心ついた時からたゆまず鍛錬してきたというのに。
あれこそが添付の際というものかと感嘆したが、同時にエルシアの表情が忘れられない。自分に勝った後少しだけ驚いたような顔をして、そして見向きもせずに去っていた。
――なんだ、もう勝てちゃうんだ――
そう言外に言われた気がして、その屈辱をいつか晴らしたいと思っている。個人では勝てずとも、傭兵としての名声では負けてなるものか――そんな思いすらサティラにはあった。
初めて見る妹の鬱屈とした表情を、ゼホは珍しそうに眺めていた。兄弟姉妹の中では大人しく覇気に欠けると思っていたが、中々どうして。そうでないと、傭兵は埋もれてしまうと思っていたので、年が近いゼホは気にかけていたところがあった。
ドードーの親父もそろそろ現役を引退するのが近いだろう。鉄鋼兵としての基盤は一番上の兄が継ぐとして、おそらく兄弟たちは別々の傭兵団を率いることになるが、その時にどう振る舞うか決めておかねばなるまい――そう考えていたゼホは、サティラに明確な意思ができたことを喜んでいた。サティラを慕う団員も多い。可能なら独立してくれればと思っている。
その喜びも束の間、ドードーの部屋をノックしたが何の返事もなかった。ドードーの部屋には常に兄弟が護衛として数名、必ず詰めているはずなのだが。年寄り扱いするなと嫌がるドードーを無理に説得して、護衛を立たせているのだ。ドードーがいなければ傭兵たちの立場は非常に弱くなるし、ローマンズランドとの交渉でも困ることになりかねない。自分が思うよりも重要な立場にいると、声を荒げたのは兄者たちである。その声を退けられないところが、親父殿も老いたなとゼホは感じてしまうのだが。
嫌な予感がゼホの中を通り抜けた。サティラもそれを感じ取ったのか、部屋の前にあった燭台から蠟燭を外し、簡素な槍替わりとして自分とゼホの分を確保した。ゼホに片方を放り投げるとゼホもそれを受け取り、無言で扉の前に構えて思い切り扉を蹴破った。
続く
次回投稿は、12/20(水)18:00予定です。