終戦、その9~ハイランダー家⑦~
その自分がローマンズランドを出奔した時、レダは何を思っていたのか。言葉よりも雄弁に、槍が語っている気がした。
「レダ」
「言葉は不要。と言いたいところだけど、あと一つくらいなら答えてあげるわ」
「ミラはどこだ?」
その言葉に、レダが口の端を釣り上げた。どうやらレダの憎しみは、ミラにも向かっているらしい。ルイの表情がさっと青ざめた。ミラがレダと張り合えるほど武芸達者だった記憶はない。ここにいる家令崩れたちもかなりの腕前ではある。一斉に襲い掛かられれば、ミラにはどうしようもあるまい。
レダが槍を構えながら、憎々しげに呟いた。
「ミラ・・・あの子は、真面目だけど大人しい子だった。ハイランダー家の子女らしく頑固で、優秀だけどこれといって突出した能力のない可愛げのある子だったのに・・・操竜の技術であれほどの才能を見せるなんて。あまつさえ、『竜の証』を発動させるとは。あの子も特別な存在だった」
「竜の証?」
「アンネクローゼ殿下にもあるはずの、竜と心を無条件で通わせることのできる証よ。ハイランダー家の系譜を辿れば、王家からの降嫁を受けたこともある。薄いけれども、れっきとした王家に連なる家系なのよ。公表はされていないけど、エルリッヒにも王位継承権があるわ。そして竜の紋章を持つ者は特別な扱いを受ける。ミラはスウェンドル殿下の親衛隊に取り立てられた!」
殺意が込められた槍がルイの頬をかすめる。憎しみで槍先が鈍っていなければ、危ない一撃だった。レダの猛攻にルイが下がる。後には壁しかない。
「現在竜の証を持つ竜騎士はわずか三名。スウェンドル王、アンネクローゼ殿下、そしてミラだけ。ミラは年月を経れば、竜騎士団の師団長に任命されることもあるでしょう」
「師団長に? それはない、師団を預かれるのは侯爵家以上だけだ」
「竜の紋章にはそのくらいを可能にするだけの権威があるのよ。父や私が夢見たことだわ――私も侯爵家を継いだとしても、そこまでの信頼を得られない。なぜなら、既に軍属ではないから。あれほどの研鑽を重ね、あれほどの実績を残しておきながら、結局はただの元竜騎士で、そして寡婦のヴォルターナ侯爵代理でしかないのよ、私は!」
レダの槍が鋭さを増した。ブラックホークですら滅多に見ることのないはずのその鋭さの槍を、ルイはなぜか冷めた感情で見極め、確実に躱していた。今ならベッツの言うことがよくわかる。感情、特に怒りに任せた一撃ほど読みやすいものはないと。
速さにおいてミレイユに及ばず、威圧においてヴァルサスに届かず、何の感情も乗らないベッツの剣ほど恐ろしくない。ああ、なるほど。たしかにレダは「元」騎士なのだなと、納得してしまった。
ルイはレダの槍を脇に挟むようにして固定すると、その顔をぐいと近づけて間近からレダの瞳を見据えた。
「もう一度聞く。ミラはどこだ?」
「――私に勝ったら教えてあげるわ。急いだほうがいいわよ、彼らは荒っぽいし女の扱いなんて知りもしないクズばかりだから」
皮肉めいて嗤うレダを見て、ルイは最後の良心を捨て去った。ここにかつて憧れた姉はもういない。いるのは嫉妬にかられた、ただの醜い復讐者なのだと。誰が悪いのか、何が悪いのかを考える時間はない。ただ今は成すべきことだけを成す。ルイの決断は早く、苛烈だった。
ルイの周囲から、外気よりもいっそう凍り付くように冷えた空気が流れ始めた。一気に周囲の人間の呼気が白くなる。
「よくわかった。もはやお前を姉とは思わぬ。我が剣にかけて、首から下が凍てついてから存分に話は聞いてやろう」
「ふ、ふふ。実に良い殺気を放つようになったわ、ルイ。まるで軍属の時代とは別人ね。いえ、元々気質はそちらだったのかしら?」
レダが手元の槍を回転させるようにしてルイの拘束から逃れると、離れ際に突き上げからの三連撃を放つ。そのうちの一つがルイの頬をそれなりに深く刻んだが、ルイはまるで意に介していなかった。
髪が青白く、まるでローマンズランドの長い夜の雪景色のように変わっていく。頬の傷から流れる血はすぐに凍てつき、呪氷剣を構えたルイと対峙したレダは、まるで腰から下がなくなったかように一気に空気が冷え込んだことを感じていた。
ルイの能力は伝手を使って調べていた。ブラックホーク二番隊隊長、氷刃のルイ。呪氷剣と呼ばれる、白銀に輝く剣を使って立ち会う者全てを凍てつかせる剣を使う女。その剣の特徴は切ったものを一瞬で凍てつかせ、巨獣すら相手にしない。そして、剣を使う相手であればものの数合で剣が劣化して使い物にならないだろうと。
だから戦うとしたら玄関ホールだと考えた。ここならば武器を装飾代わりに飾り立てておいても武家として違和感がなく、数合で劣化した武器も取り替えながら戦うことができる。それに広ければ、投擲武器や得意の槍も取り回しが邪魔されないと。ルイがここに乗り込んでくるとは一つの可能性でしかなかったが、ブラックホークが敵にいる段階でルイが誰かをここに呼んでくる可能性は考慮していた。そのための準備は万全にしていたつもりだったのに、これは聞いていない。
対峙しただけで、足元が凍り付いて使い物にならなくなるとは。
「こんな――こんなのは反則よ!」
「戦いに反則も卑怯もクソもあるか。私はもう貴族でも軍人でもない、傭兵のルイだ。戦って勝つのが仕事だ!」
呪氷剣を全開にしたルイがレダに斬りかからんと前進した。レダは既に膝まで凍り付いた体で逃れようともがくが、体をろくに捩ることすらできない。
そこに一陣の風が割って入る。割って入ったのは、なんとエルリッヒだった。先ほどまでとは段違いの速度、膂力にルイの顔が驚きに歪む。しかも、この呪氷剣と間近に打ち合いながら、エルリッヒの表情には笑顔すらあった。
「たくさん訓練しておいてよかった。何とかルイ姉さんの動きについていける」
「お前――誰だ?」
ルイは自分で言ってからはっとした。目の前の青年は、もはやエルリッヒとは思えなかった。先ほどまでとは身のこなしが違う、力が違う。何より、体がまた一回り大きくなってはいないか。
ローマンズランド内の軍の腐敗、そこに流通するエクスペリオン、不治の病のはずの弟が急激に快癒し動き回る考えられない現実。もはや答えは一つだった。
続く
次回投稿は、11/26(日)19時を予定しています。不足分補います。