開戦、その290~夢の跡と笑う者㊿~
下は激流、助かる保証はどこにもない。それでも、まだこのフードの相手と対峙するよりは、激流に飲まれた方がましだと思った。賭けにもならないよりも、賭けの方がよほどよいはずだ。そう考えたエネーマの視界に、フードの人物が掌をこちらに向けて構えている姿が入った。
「・・・執念深すぎるでしょ。こっちはとっくに瀕死なのに、これじゃ助かる者も助からな――」
言い終わらぬうちに、フードの人物の掌から、光弾が無数に放たれた。あまりの猛攻に、大量の土砂と共に落下していったエネーマが砕けたのかどうなのかも判然としないまま、無数の土砂が激流へと落下して大きな水しぶきを立ち上がらせる。
水面がそれなりに治まると、再び何も変わらず激流がただ流れるだけとなった。相当な量の土砂が落ちたはずだが、河は広くあれしきでは流れが堰止まることもないのだろう。しばらくフードの人物は誰も上がってこないことを遠目に確認していたが、やがて転移魔術で元の場所に引き返していった。河を干上がらせたり、これ以上強力な攻撃をすればさすがに目立つとも考えたからだ。
戻った場所では、アルネリアの周辺騎士団がローマンズランドの残党に襲い掛かろうとしているところだった。だがエネーマの機転でローマンズランドの残党はいち早く気づくことができたのか、その多くが空へと逃がれていた。彼らはアルネリアの周辺騎士団へはほとんど攻撃を加えることなく、逃げに徹している。戦えばまだ竜騎士たちの方に分がありそうな数だが、余計な被害は出したくないのか、判断に優れた者がまだいるのか。これではわざわざ教えてやった甲斐もないと、大きくため息をついた。
そこに銀の長髪をふわりと揺らした美姫が現れた。銀の戦姫ヘードネカである。
ヘードネカは不満そうに口を尖らせると、フードの人物の胸元にぴっと指を指して、正面から堂々と文句をつらつらと述べた。
「ようやく見つけたぁ! もぅ、ちゃんと動くなら私かあの人に連絡してくださいよね!? どこに行ってたんですか? 転移魔術なんか使用して、魔術協会の警戒網に引っかかったらどうするんですか?」
「――」
「え、それはない? なんでそんなことが言えるんですか?」
フードの人物はかいつまんで、先ほどまでの事情を説明した。エネーマが人間にしては相当に有能であり、そんな間抜けではないこと。そして顔を見られた可能性があるので、危険を承知で追跡して始末したということだ。
「え。ちゃんと仕留めているんですか、それ?」
「――?」
「いや、まぁそりゃあ右腕がなくて、左手に穴が空いていて、脇腹に重症、片方の足が折れて谷底の激流に飲まれれば、普通はさすがに死にますけどね? 有能なんでしょう、その人」
「――」
「ま、そりゃあ時間がないのはわかりますけど――いっそ、天の火を使えばよかったのに」
そのヘードネカの問いかけに、フードの人物は何も答えなかった。その応対の拙さに、ヘードネカの勘がぴくりと反応した。
「そうだ、私が調べておきましょうか? 死体を確認しないと安心できないでしょうし。場所はある程度わかっているんですよね?」
「――」
「よいのですよ、どうせ暇ですし。私ならちょちょいのちょい、で行って帰ってこれます」
フードの人物はしばし悩んだ後、ヘードネカにエネーマの死体を確認するように申しつけ、自分はその場を去った。
笑顔でフードの人物を見送った後、ヘードネカはその気配が去った後ですうっと表情を冷静に戻した。
「・・・ふーん、天の火もそこまで便利なものじゃないのかぁ。やっぱり戦姫たちの里を焼いたのは、それなりに用意周到に準備をしていたんだね。それだけ戦姫が脅威だった? あるいはソールか姫様が? だとして、最強クラスの人間をあっさりひねるのだから、それはそれで恐るべき力だけど。ただ私があなたに仕えたわけじゃないって、わかってるのかな?」
ヘードネカは番として、陽炎のことを思っていた。彼が仕える主だから協力しているだけで、何らフードの人物に敬意や親愛の情を抱いているわけではない。むしろ、嫌悪感さえ抱いている。ヘードネカは元来流れる風のように飄々としつつも、公明正大であることを好む気質なのだ。同時に、悪戯好きといった幼い部分も残しているが。
エネーマの探索を申し出たのは、そんなフードの人物にただ従っているのもつまらないと考えたからだ。良い時間つぶしになるかと思ったが、もしエネーマが生きているのなら何かに使えないかと考えてみる。ヘードネカは戦いは得意だが、治療はおろか家事全般が壊滅的に苦手だった。
ヘードネカは唸った後、ある人物の名前を思い出して、指をぱちんと鳴らした。
「そうだ! ファルグリナに相談してみよう。あの超人なら、面白いことを思いつくかも」
「呼んだぁ?」
「うわぁ!?」
ヘードネカが名前を呼んだ傍から、茂みから当の道化師ファルグリナがひょっこり顔を出したので、思わずヘードネカもとびずさって木の陰に隠れた。人間にここまで驚かされたのは、人生で初めてかもしれない。
「ど、ど、どうやってここに?」
「え? ヘードネカにぶら下がってついてきたよ?」
「空飛ぶ私にぶら下がる? それこそどうやって? 私、全然気づいていないんだけど!?」
「ぶら下がる方法は一つじゃないよぉ」
不思議そうに首を傾げるファルグリナに、ヘードネカはがっくりとうなだれた。この超人に常識は通用しない。それは人間としてではなく、戦姫としての戦いの常識が通用しないのだ。全力の舞を受けとめてなおヘラヘラされた時にはどうしようかと思ったが、そもそも戦わなければいいのでは? と思い至ると、今度は友達になろうと言われた。
というわけで、ヘードネカの人間の友達一号ファルグリナが誕生したわけだが。そのファルグリナがヘードネカの袖をぐい、と引いた。
「探し人なら早くしよう」
「わかるの?」
「ん-、勘だけど。今ならぎりぎり間に合うかも?」
ファルグリナの直感はほとんど予知に近い。ヘードネカもその説明できない直感を、最近は信じるようにしていた。
「じゃあ行きましょうかって、なんで背中に乗るの? 私は乗り物じゃないわよ?」
「細かいことは気にしない。さぁ、出発!」
「ほんっとに、もう。しょうのない・・・」
「あいつ、笑わせておきたい?」
ファルグリナの言葉に、ヘードネカはぎくっとした。たしかに去るとき、フードの人物は薄く笑っていた。ヘードネカも戦いは心から楽しいが、人を痛めつけることに快感を覚えるわけではない。圧倒的力を持ってはいるが、弱者を虐げようとも思わない。苛立つ理由はそこかと、思い至った。
背中にいるファルグリナの声が、珍しく真面目な調子だった。
「血と涙と亡骸の上で、なおも泣く奴と笑う奴がいる。私は道化師だけど、そんなところで笑おうとは思わない。道化師は他人を笑わせるものだ、自分が笑うためのものじゃない。他人の夢の跡を踏みにじるのも、道化師のやることじゃない」
「あいつは後者?」
「それ以外の何に見える?」
「なるほど、納得したわ。行きましょう」
ヘードネカはふわりと宙に舞い上がると、空気を蹴って高速で進み始めた。ファルグリナがいようが関係ないほどの高速。前へ、前へ。この行動が何か意味あるものに繋がると信じて、奇妙な2人の組み合わせは行動を起こしたのだった。
続く
次回投稿は、11/2(木)19:00の予定です。新しい場面に移ります。