開戦、その282~夢の跡と笑う者㊷~
「持って生まれた特性がゆえに孤独となったと思い込むあなたが哀れだ、とな。本当に孤独になったのは、特性のせいではないと面と向かって言われた」
「・・・よく殺さずに我慢したものだわ」
「自分でも驚いた」
ゼムスが苦笑した。ゼムスが自嘲気味に笑うのは、本当に珍しいことだ。そこには高慢で自信家で、厭世的な勇者の顔はどこにもなかった。
ゼムスの拳に力が入ったかと思うと、その拳に込められた力もほどけていた。
「この感情を何と呼ぶべきかはわからんが、あの女は俺にとって特別になった。もう一度あの女の顔を拝むまでは、こんなところでは死んでやらん」
「それで? アルフィリースの顔を拝んでどうするの? 斬りかかる? それとも、モノにする?」
「さぁ・・どうだろうな?」
ゼムスは困ったように返事した。本当にどうするべきかは決めていないだろう。だからこそエネーマは怖い。その時の突発的な感情で、ゼムスが何をしでかすかが想像できないから。
アルフィリースの存在は、エネーマにとっても重要な意味を持つ。ライフリングを預けるほどだ。彼女がいなくなれば、この大陸の命運は確実に悪い方向に向く。真実は闇の中から顔を出すことはなく、速やかでなくとも緩やかに大陸は滅んでいく。そんな予感がするのだ。
仮にアルフィリースが劇薬のように大陸に多くの死をや不幸をもたらすとしても、彼女の存在を後世はきっと賞賛する。エネーマにはそんな確信があった。それはかつて、ゼムスに抱いたのと同じ感情でもあったが、ゼムスの時よりももっと、確信に近いものだ。
どこかで自分が決断せねば、その責任がある。エネーマはひそかにそんな決意をフードの奥に隠し、ゼムスを案内して転移魔術でその場所から消えた。彼女たちがローマンズランドの陣から消えたことを知る者は、彼らの中には誰もいなかった。
***
「(エネーマとゼムスが消えました)」
「(・・・追跡?)」
「(困難です。ゼムスはともかく、エネーマは最初から怪しんでいました。慎重に慎重を重ね動いています。今の監視網の状況でその足跡を追うのは難しいかと)」
「(監視網設営、遅延。男は有能だが、多忙。エネーマは有能、後悔)」
「(討手を増やしますか?)」
「(無用。設営、増産)」
「(この戦争が終わる頃には整うように手配いたします。カラミティはどうしますか?)」
「(彼女に任せる)」
「(彼女が失敗したら?)」
「(天の火)」
片方の声が緊張するのがわかった。もしそうなれば、ローマンズランド周辺は何も残らない死の国になる。最悪、山脈に影響がでれば以南の気候すら変化する可能性がある。
もう一つの声に躊躇いはない。彼女が失敗すれば必ず実行するだろう。声はそこまでの展開を望んでいなかった。天の火を使った光景を見た時、声の主が感じたことは世界の終焉だった。あんなものを使わせたくはないのだ。
「(祈りましょう、彼女の勝利を)」
「(状況把握、困難。祈る)」
「(貴女でも祈りますか?)」
「(人がそれを祈りと呼ぶなら。彼女にだけは、期待)」
彼女――アルフィリースだけは期待されている。もしその期待が裏切られるようなことがあれば、別の手段を取ることになる。そうなれば――その時が来ないことだけを、声は真剣に祈ろうとしたが、何に祈れば良いのかがわからず目を伏せたままにしていた。
***
翌朝。
春が近いことを告げるように寒さが和らいだ霧の深い朝、ローマンズランドはアレクサンドリア連合軍に投降した。
ローマンズランドの将校を説得し、クラウゼルは白旗を掲げた武装放棄の状態でアレクサンドリアの本陣へと姿を現した。飛竜の口に枷をするのは、決して攻撃しないという証だ。かつてローマンズランドを含めて人間が魔王に大々的に反抗していた時代、伝令として使われた竜騎士が安全であることを示すための行為を、彼らは数百年ぶりに行うことになった。
その行動を受けて、ディオーレは対処に困惑した。総司令官としてこの場にいる。だが連合国である以上他国の意図も汲まねばならず、また本国の意図も伺う必要がある。まさかローマンズランドがこのような形で投降するとは思っておらず、もっと殲滅するまで戦うと思っていたので、思ったよりも高位の立場の者が生き残っていたせいだ。
これでは交渉が成立してしまう。そうなると賓客としての扱いも必要になるが、彼らを維持するだけの糧秣には不安があった。
同時に、そこには疲労しつつも可能な限り虚勢を張って居丈高に見せるクラウゼルがいた。彼はよくわかっていた。この手で相手は動きが止まり、決定が下されるまでに最低ひと月はかかることを。その間に自らの活路と、次の手を考える予定だった。
そのクラウゼルが思いもよらない決断を下したのは、ネリィだった。
続く
次回投稿は、10/23(月)19:00予定です。不足分補います。