開戦、その281~夢の跡と笑う者㊶~
「オーランゼブルの奴はこのことを知っていると思うか?」
「いえ、どうかしらね。あの高慢なハイエルフは良くも悪くも、人間の世界のことには興味がないと思うから」
「だとすれば、奴の計画にこれ以上付き合う義理もない、か。今回の戦争で奴の狙いは十分に果たされたと思うか?」
「いつだって十分ではないでしょう。計画ではアレクサンドリアは陥落しているはずだったし、中元の半分は戦火に包まれていたはず。予想よりも戦火は広がらず、死んだ人間も少ない。ローマンズランドの東征が上手くいくはずがないにしたって、こんなにも早く潰えるとは思っていなかったはず。それに」
「それに?」
「ドゥームが何かしら小細工をしていたような形跡があるわ。それがどういった結果を生むかはわからないけど、少なくとも好転はしないはず。しばし傍観に徹する方が賢いかもね」
「ふむ。ならばやることは限られるな」
ゼムスの逡巡は一呼吸程度だった。どうやらそもそもこの戦いに勝てなかった時のことも考えていたようだ。
「エネーマ。まだ貴様にとって俺の利用価値はあるな?」
「じゃなきゃ、ここに来たと思う? 信奉者一人程度ならなんとかなっても、複数いると私でも危ういわ。それはあなたとて同じはず」
「やれなくはないが、手間取ると囲まれる、か。数は何より恐ろしいからな。脱出経路はあるが、万一の保険が必要ということだな。堂々と俺を利用する気か」
「いつの時だってお互いにそうだったわ。こう見えてあなたの恐ろしさと異常性を一番よくわかっているのは私のつもりよ?」
「よかろう、お前には俺に対する畏怖がある。愛情や信頼などは向けられたくないが、利用するというのならば是非もなし。脱出するまでは付き合ってやるさ。お前はどうする、クラウゼル?」
突然話の水を向けられたクラウゼルだが、肚は決まっていた。
「この戦争は私の我欲を実現してくれた場所であり、これだけ関わればそれなりに情もあります。後始末をつけるまでが戦争。私はローマンズランド軍を率いて投降しますよ」
「だが従わぬ者もいよう」
「そこまで面倒を見切れません。戦って無残に散りたいのなら好きにすればいい。そんな騎士の矜持など、知ったことではありませんから。それより、今の興味は相手にありますね。内部に潜って見えることもあるでしょう」
「気を付けて」
エネーマがクラウゼルを案じる言葉をかけたので、これにはクラウゼルも、ゼムスですらもぎょっとした。クラウゼルはまじまじとエネーマを見返し、ゼムスは空を仰いで天候を確認するふりをした。さきほど天幕の外では雲のかなり多い夜空ではあったが、嵐は来そうにもなかったはずだ。
「あなたに身を案じられるとは」
「そうじゃないわ。私が本当に恐れているのは、それと知らずにあなたが取り込まれることよ。ま、あなたが取り込まれたところでその残酷で非道な知性が失われようものなら、なんの脅威もないのですけど」
「言ってくれますね」
「真実でしょう? ただ一つだけ忠告するわ。間違えてもあなたの病を治そうだなんて考えないで」
エネーマがずいと身を乗り出して、指先でクラウゼルの胸を小突いた。仕草はかわいらしくとも、やり方次第でエネーマが人ひとりの命を奪えることをクラウゼルは知っている。
「もしあなたがアルネリアに頼ってその命を永らえようものなら、私があなたを殺しに行くわ。よく覚えておきなさい」
「・・・生き汚くはないつもりですよ」
「ならいいわ。一番安心なのは、ここであなたの息の根を止めておくことなのだけど。長年の誼でそれはしないでおいてあげる」
「それはありがたい。最後にやってみたいことができたものでね」
「やってみたいこと? それは何?」
「あなたがたには言いませんよ。実現するかどうかもわかりませんし、私も不思議な気分なのですから。まさか、こんなことを考えるようになるなんてね」
そう答えたクラウゼルの言葉はどこか憑き物が落ちたようで、清々しかった。思わずエネーマとゼムスが顔を見合わせるほどには。
そしてエネーマとゼムスはひっそりと天幕を出た。ゼムスがその気になれば万の軍に囲まれようと強引に突破はできるだろうし、そもそもエネーマがいれば万の軍に囲まれても気づかれずに脱出できる。
脱出の最中、ゼムスが珍しく背後を振り返った。エネーマが知りうる限り、敵の追撃を除いてゼムスが背後を振り返ったことはない。誰も追ってきてはいないはずだが。
「まさか、追跡されてる?」
「いや、そうではない」
「ならどうしたの? まさか感傷だなんて言わないでしょうね?」
「感傷・・・そうか、これが感傷かもしれないな」
思いがけない言葉に、エネーマも思わず脱出の足を止める。
「あと何度、これほどの戦場に立てるのかと考えていた」
「死に場所は戦場だと決めているクチかしら?」
「可能ならば。老いも病も御免被る。できることならば、最高の憎しみを込めた視線で貫いてもらいたい。あるいは、その逆か」
「それが無理な願いだとしても?」
「だからこそ焦がれる。誰かが俺の特性を打ち消すほどの憎しみを抱いてくれないかと、いつも考えてきた。特性や運命で、生き方が決まってたまるものかとな」
「アルフィリースにそうしてもらえば?」
「それはない。むしろ、憐れまれたよ」
「え?」
アルフィリースとゼムスが何事か会話をしていたとは聞いていた。だがその内容までは知りようがなかったし、一生知ることもないと思っていた。まさか、ゼムスの方から語るとは。
必要なこと以外、聞かない限り何事も語らない男が。
続く
次回投稿は、10/19(木)19:00頃の予定です。不足分補います。