開戦、その276~夢の跡と笑う者㊱~
「あの怪物がどこにいるか、教えてもらっていいですか?」
「・・・3つ後ろの大きな天幕だ」
「ありがとう」
ゼムスが正直に答えたので、クラウゼルは目を剥いた。剣気穏やかならぬ相手にただ素直にゼムスが返事をした。クラウゼルが知る限り、こんなことは初めてだった。どんな相手でも気に食わねば暴力で屈服させ、手ごわしとみれば策と罠ではめる。今ゼムスの手が一瞬剣にかかったことを考えれば、一度は抵抗しようとしてやめたということだ。ならば、戦うまでもなく気圧されたということか。
クラウゼルが見たゼムスの表情は青ざめている。その様子すら見ることなく、目の前の青年とも少年ともとれぬ人物はゼムスとクラウゼルの間を堂々と通り過ぎた。まるで、2人など問題にならないとでも言わんばかりに。
いや、実際虚仮にされたのだろう。青年が通り過ぎるときにゼムスの手により力がこもるのが見えた。その時、青年が歩みを止めないまま声をかけた。
「やめた方がいい、戦いにならない。驕りでも脅しでもなく、今の僕にはあなたは勝てない」
「・・・貴様」
「今の僕には、ちょっとした使命がある。自分でも意外だけど、どうあってもやらないといけないようなんだ。それが終わった後、まだあなたが僕と戦いたければ相手になろう。でも、今日は退いた方がいい。明日の朝になったら、ここはアルネリアに制圧される。彼らは蟻の一匹だって逃さないだろうから」
そう告げて振り返った青年の瞳は、炎が燃えるように朱く輝いていた。夜に太陽を2つも見ることがあるとは――それがクラウゼルの抱いた素直な感想だった。あまりの圧力に、クラウゼルもただ体を硬くして動けなくなってしまった。どのような策も、日輪の輝きを前には無意味だと教えられた。
天幕の方を向いた青年からは、もう圧力が消えていた。解放されたクラウゼルは、思わずゼムスに問いかけた。
「なんですか、彼は。あなたが抵抗もしないなんて」
「抵抗は無意味だ。あれはシェイプシフターを狩りにきたのだ。それが使命なのさ」
「では、遺跡の関係だと?」
「おそらくは。ならば今関わるのは得策ではあるまい」
ゼムスの冷静な判断に、クラウゼルも納得した。彼の知性をもってしても、遺跡のことはまるでわからない。かつて廃棄されたのであろう遺跡に潜ったことがあるが、とてもではないが理解できる代物ではなかった。噂では、統一武術大会中にアルネリアの近くに何らかの遺跡が出現したのではないかと言われているが、定かではない。道化師バフルールの行動から、そのように推測しているだけだ。エネーマも同じ意見だったが、彼女も詳しくは知らないようだった。
ゼムスは青年の背を見送り、自分も背を向けた。これ以上は本当に関わるつもりはないらしい。
「行くぞ」
「本当によいので?」
「構わん。だがいつか俺を虚仮にしたツケを支払わせる」
「エネーマはどうするのです?」
ゼムスはエネーマが負傷者の治療に奔走していることを知っていた。前線に出ることはなく、後方で治療をひたすら行っている。アルネリアもいるので前線に出るのは憚られるとは思っていたが、ここまで甲斐甲斐しく献身的に働くとはゼムスにも意外だった。何か思うところがあったのか、それとも元々こういう性質だったのか。
長く共に行動しながら、そんなことも知らなかった。結局、勇者一行と言えど本当の仲間などではなかったのだろうとゼムスは納得した。自分も、彼らを仲間だと思ったことは一度もない。なのになぜ、少しばかりの寂寥感を覚えるのか。自分と似ていながら真逆の存在だったアルフィリースが、仲間に囲まれていたからなのか。
「――年老いたとでもいうのか」
「何か?」
「いや。エネーマは異常者だが、元が僧侶だけあって負傷者を放っておけんのだろう。いざとなればなんとでもするだろうさ」
「アルネリアをあれほど嫌っているのに」
「俺はエネーマがアルネリアと完全に切れたとは思っていないのだがな。スパイだとすら思っている。お前があれを信頼しているとは驚きだ」
「あの変態が演技? それこそまさかですよ」
「いや、変態ぶりは演技ではないだろう。私もあの女の性癖にはついていけん」
「よく言いますよ。私はどちらにもついていけません」
「抜かせ」
普通ならば自分に軽口を叩く相手など許さないが、クラウゼルに関しては何とも思わない。この関係性が悪くないと今更ながらに気づいたことが、全て遅すぎるとゼムスは感じてしまっていた。
***
「今夜は冷えますね」
「・・・何者ですか」
突然天幕に乗り込んできて間抜けともいえる挨拶をした青年を見て、思わずシェイプシフターは聞き返していた。この時間にここに来る人間など、刺客以外の誰でもありえまい。
だがあまりに予想外のことが起きると、自分でも間抜けなことを聞いてしまうものなのだとシェイプシフターは初めて知った。普段なら、有無を言わさず切り捨てているはずだ。だが抜けなかった。
「(なんだこれは・・・剣に手が伸びぬ)」
その硬直の理由が委縮と呼ばれるものだと、シェイプシフターは知らない。
続く
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