開戦、その267~夢の跡と笑う者㉗~
「まずいっ!」
ロクソノアが青ざめるより速く、ヴァランドの剣がゴートを止めた。現在の団長オーダインよりも長く団に在籍する2人の剣と槍が、ロクソノアの眼前で火花を散らした。
若かりし頃、言い争いが高じて刃傷沙汰になったことも一度や二度ではない2人。だがそんな時でも、いつも最後の一線を踏み越えたときはなかった。ゴートはどれほど頭に血が上っているように見えても致命傷となる部分は狙わなかったし、それがわかっていたからヴァランドも時にゴートの鬱憤晴らしに付き合ってやった。周囲は本気で殺し合っていると思っていたかもしれないが、彼らの中では合意があり、限りなく殺し合いに近い喧嘩だった。
だがゴートの剣はいまや、躊躇なくロクソノアやヴァランドを殺すために振るわれている。剣筋だけはそのままに、完全な別人になり果ててしまった。最初の数合で全てを察したヴァランドは、ゴートの剣を受けとめながらロクソノアに向けて叫んだ。
「下がれ、青の! この馬鹿者は儂が引き受けた!」
「大丈夫か、爺さん!」
「大丈夫だと言いたいが、儂の年を考えろ。あまり長くはもたんぞ!」
ヴァランドがゴートを引き離しにかかる。ヴァランドに誘われるようにゴートが離れ、再び元帥が孤立した。
そこをすかさず騎兵隊が取り囲む。
「武器を捨てろ!」
「大人しく捕虜となれ!」
「捕虜? なぜだ」
元帥――シェイプシフターは、心底不思議そうな顔を作って首を傾げた。
「捕虜は降参するしかない時になるものだ。私は今ここで簡単にお前たちを全滅させることができるのに、どうして捕虜にならなければならない」
「戯言を!」
「我ら騎兵隊2千騎を、独りで全滅させることができるわけがない!」
「思い込みというものはよくないな。それは私にも言えることだ」
元帥が悩むそぶりをしながら語る様子に、騎兵隊の面々が不気味がって仕掛けられない。彼らは止まらないように元帥の周囲を、一定の距離を離して回り続けるしかできなかった。
「お前たち人間は不思議な存在だ。種族として何ら特徴がなく、魔力も身体的強度も不足しているのに、大陸の覇者になってしまった。辺境にはその気になれば人間の文明を駆逐できるような怪物がまだまだ潜んでいるが、彼らもお前たちの版図には決して入ろうとしない。なぜか。それはお前たちの生活圏を脅かすような真似をすれば、どれほど手痛い反撃を食らうかを知っているからだ。お前たちは弱いくせに執念深く、時に辺境の魔獣や魔王すら上回る個体が出現する。その振れ幅の大きさが不思議でならない。個体でだめなら集団戦でも戦おうとする。そして決して勝てない相手にも自己犠牲で突貫していく精神性。まったくもって理解不能だ。今もこうして、何かを狙っているな? そら、仕掛けてみろ。お前たちの狙いを楽しみにしているんだ。それこそが私の娯楽だからな」
挑発する元帥を前に、周囲の騎馬の速度が徐々に上がり始める。元帥が気づけば、メルクリードもロクソノアもいつの間にか姿を消していた。姿を追おうにも、馬蹄の土煙で騎兵の姿がぼやけ始めている。どうやら包囲は何重にもわたっているようだが、どれほどの騎兵がいるのかは元帥にもわからなかった。
周辺に自らの分体を寄生させた人間を配置しているが、すべての様子を完全に把握できるわけではない。そして寄生させた分体には、今は別の役目がある。
「ふむ、面白いな? やはり戦争とはこうでなくては」
元帥――シェイプシフターは、他の魔獣との戦いに興味はなかった。彼らの強さは様々で面白いのだが、考えていることはほとんど同じ。腹が減った、脅かされることなく穏やかに暮らしたい、今日も空が綺麗だ。その程度のことしか彼らは考えていないのだ。
強大であるがゆえに、他者に無関心でその精神構造は単純だ。高度な知性を持つ個体も決して珍しくないのに、相手にしていて実につまらない。いつもシェイプシフターはそう考えていた。
それに比べて人間はどうか。その精神構造はとても複雑で、感情も豊かだ。寿命は短いが、実に死ぬまでにいろいろなことを成し遂げる。シェイプシフターは人間のことが大好きだった。いや、愛していると言ってさえよいだろう。その愛が歪んでいるとは微塵も考えたことがない。なぜなら、千年以上もの間、飽きもせず人間の発展を見続けてきたのだから。
いつの時代にも、興味深い人間はたくさんいる。今はそれがゼムスとスウェンドル、そしてクラウゼルというだけだ。
「いや、あのアルフィリースとかいう女傭兵も面白かったな。この戦いの顛末を見届けたら、次はあいつにしよう。それとも、この戦いを継続すれば戦うことになるのか。クラウゼルとの契約は大陸を統一するまでだが奴は早晩死ぬだろうし――奴が死んでも勝手に戦争を継続すればいいだけか。そうか、そうしよう」
そうつぶやいた瞬間、シェイプシフターの背筋がぞわりと怖気だった。殺気、それも感じたことのない質の。これほどまでに研磨され、自分一点にのみ向けられる殺気はシェイプシフターが取り込んだ人間たちの記憶を遡っても経験がない。
誰だ。シェイプシフターがそう感じて周囲を見回した途端、殺気は去っていた。そして殺気が去って初めて、シェイプシフターは自分が取り囲まれた状態で、一瞬とはいえ完全に無防備な姿を晒したことに気づいた。
当然、その隙を見逃さない者もいる。
続く
次回投稿は、9/20(水)21:00です。不足分補いますよ~