開戦、その250~夢の跡と笑う者⑩~
「とどめ!」
エアリアルは直接槍で相手を貫くため、シルフィードの速度をさらに上げ相手に襲い掛かった。なぜ魔術で安全な位置から攻撃しなかったのか。それではだめだという直感が働いたとしか説明できない。同時に、これだけの連撃なら、ある程度の傷を負わせることだってできるだろうと思っていた。
だがすべての手裏剣が空中で切断され、矢が手刀で叩き落されたのに気付いた瞬間、シルフィードがエアリアルの意に反して鼻先を変えた。エアリアルの槍が宙を切ると同時に、エアリアルの頭のあった場所を剣風が通り過ぎる。
「良い馬だ、命拾いしたな」
エアリアルは闇に紛れた相手の声を確かに聴いた。相手の言葉に偽りはなく、悔しさよりも冷汗が出た。
イェーガーも含めて出会ったことのない豪の者。オルルゥと手合わせした時にも防戦させた一撃を、初見で見切って致命傷となる反撃までしてきた。相手の名前がわからずともエアリアルには確信がある。あれが最強の傭兵――勇者ゼムスに違いないと。
そしてその背後にいた何者かの手には、無造作に持たれた首があった。そこから流れる血の跡を見ると、エアリアルは回り込むようにしてその血の跡を辿った。相手は幸いにして追ってこない。
得体が知れないのは背後にいた者だった。あれほどはっきりと姿が見えたのに、その姿形に特徴がなかった。まるで印象に残らないその姿は、暗殺者というよりももっと不気味な何かだと思った。だがそれよりも風が忌避していたのは、勇者ゼムスの方だった。
精霊が避けて通る。つまりは何物にも祝福されないということ。誰だって精霊に祝福されるし、存在を許されているはずなのに。あれではまるで世の中そのものに拒絶されているかのようだった。そんな人間いること自体が、エアリアルには信じられない。
「あんな人間がいるわけがない――いや、いるのか。ならば奴は一体何に依って生きているのだ?」
誰だって何かと共に生きている。家族だったり、自然だったり。それがないとなると、一体奴は――エアリアルの疑問は、血の跡が続く天幕を目の前にして一度中断された。
戦いの喧騒が近くなっている。今はこちらの方が優先だ。エアリアルが天幕に踏み込むと、そこは血の海だった。
「これは――」
地面に転がる首のない死体と、見事な鎧と剣が散乱し、そして血が飛び散った大将旗が立てられていた。ここがこの遠征軍の指揮官の天幕だと、エアリアルは確信した。
「さきほどの首がそうか。既に大将は――」
「殿下! アウグスト殿下!」
「失礼いたします!」
外から声が複数聞こえたのを察知すると、エアリアルは素早く大将旗の旗部分だけを柄から切り離し、天幕を割いて外に出た。指笛でシルフィードを呼び飛び乗ると、周囲からは怒声が聞こえていた。
「我がやったと勘違いされたか? まぁいい、これで時間が稼げるだろう」
エアリアルは鏑矢を空に打ち上げ、部族の部隊を招集して撤退を開始した。陣の外からは火砲を始末するために爆発させた音が聞こえた始めた。もう撤退の時間が限界に近付いている合図だったが、ぎりぎり間に合った。
追跡してくる竜騎士も何体かはいたが、いずれも自分たちの弓矢の射程を正確に把握していないのか、低空になったところを射ち落すことができた。竜はともかく、乗り手がいなくなった竜がこちらを追跡してくることはない。竜には忠誠心などはなく、乗り手との情だけで動くものだと聞いた。
組織だった追撃はなく、エアリアルたちも闇夜に紛れて脱出することに成功した。背後には燃え盛るローマンズランドの本陣が見えたが、これが開戦の狼煙に過ぎないことをエアリアルは予想していた。
***
「で、アウグスト殿下は?」
「亡くなりました」
明けて、ドニフェストが本陣を訪れていた。ドニフェストが陣取っていた場所の夜襲を受けていたが、それなりの打撃を受けながらも無事に生き延びていた。ドニフェスト率いる竜騎士の部隊こそが精鋭。かれらの対応は速く、部族の襲撃部隊もいくらか打撃を受けている。
だがドニフェストは予定していたアウグストへの反逆が崩れた可能性を考慮し、致し方なく本陣へと顔を出した。するとどうだろうか。本陣の方が自分の敷いた陣よりもひどく被害を受けており、朝になっても消火活動や部隊をまとめる動きが終わっていなかったのだ。
ドニフェストは知っている将官を呼びつけ、策士クラウゼルのもとに行って初めて、総大将であるアウグスト皇太子が死んだことを知らされた。
自分で殺すつもりだった皇太子に先に死なれ、その時に胸に去来した思いは達成感ではなく、失意だった。その時初めて、ドニフェストは決してアウグストのことが嫌いだったわけではないと感じ取った。同時に、彼を殺した者に対する復讐心のような感情も沸き上がったのだ。
続く
次回投稿は、8/8(火)23:00です。