開戦、その246~夢の跡と笑う者⑥~
「そうであったか――すまぬ、ドニフェスト叔父上。言い過ぎたようだ」
「いえ。アウグスト皇太子殿下の補佐をするのが私の役目。不快な言葉もありましたでしょうが、御寛恕いただければ幸いにございます。すべてはローマンズランドのため」
「その忠誠、嬉しく思う。さて諸侯、今日は夜も更けた。続きは明日にしたいと思うが、いかがか?」
「それがようございましょう」
クラウゼルが同意したところで、諸侯の表情を素早く見回した。そこには納得の表情の者、まだ不満気な表情の者、ただ疲労しているだけの者もいた。
とりあえず反対の者がいないと見ると、アウグストは素早く自らの寝所に帰っていった。クラウゼルは残された諸侯を見まわし、彼らを促した。
「さて、諸将におかれましては、それぞれ割り当てられた場所に向かうとしましょう。陣地を作成後、2日後に本陣に集合にございます」
「クラウゼル殿。少し打ち合わせをしたいのだが、よろしいか?」
ドニフェストの申し出に、クラウゼルは疲れた表情も見せず快諾した。
「構いませんよ。私の天幕でいかがでしょうか」
「よかろう。明日以降の布陣に関してだが、軍師殿に質問がある者は続け」
「では我々も」
ドニフェストの言葉に、半数以上の諸侯が従った。会議はその場で解散となったが、クラウゼルの天幕は再度20名以上の諸侯が集まっていた。そこには陸戦、空戦師団それぞれの師団長も多くいた。
そこで彼らは全員が気心の許せる顔であることを確認すると、おもむろに本題を切り出した。
「先ほどの会議、わざとアウグスト殿下を煽りましたね?」
ドニフェストと懇意にしている師団長が、皮肉めいた表情で切り出した。ドニフェストは小さく笑ってその言葉を肯定した。
「仕方あるまい。最終確認にはあれが一番いいと思った」
「第五空戦師団のクラスター殿は渋い表情でしたな」
「仕方あるまい。奴はアウグスト殿下が成人する前から武芸の教師を務めたこともある。悪い御仁ではないが、アウグスト殿下を裏切れもしないだろう」
「では決行は――」
「明日夜だ。本日はそれぞれの陣に帰り、明日夜にここに再度集合する。それぞれ精鋭5名を連れて集合し、戦力は近くに隠しておけよ」
「それぞれ一個中隊を連れてくれば制圧はできそうですね」
「実質の戦力は我々だ。それで問題あるまい」
彼らは堂々と反乱の相談を始めていた。クラウゼルはもはやそれを諫めもしない。アウグストは有能だと思っていたが、想定以上に夢想家だった。勉学も武芸もさすがスウェンドルの息子よという評価だったが、彼には圧倒的に実地の経験が足らなかった。
予定と違う進軍速度となった時、いかに切り捨ていかに助け、最も勝てる選択をするために泥を食む覚悟がなかった。スウェンドルは横暴ではあったが、覚悟がある王だった。勝つためには自らが信頼する部下を犠牲にしたこともあるし、自ら命を懸けたこともある。
だがアウグストは自らが王として今後も君臨するため、必ず自分を優先する選択肢をとった。ある意味では当然ともいえることだが、かつてスウェンドルと共に戦場を駆けてきた実践力のある諸侯はそれでは満足できなかった。特にドニフェストと近い世代の将兵たちは。
王の器にあらず。それが諸侯の下した決断だった。その決断を後押しするためにドニフェストとクラウゼルが共謀して流した噂もある。だが今回の陣取りに関しては、アウグストが決断したことだ。一人の師団長が少しだけ心配顔でクラウゼルに告げた。
「それにしてもこの物資の散乱と偏在。明らかに罠ではないのか」
「ええ、明らかに罠でしょうね。そう殿下にも進言しました」
「それでもなお戦力を分散したうえ、殿下はここに陣取るのか?」
「そのようですね」
敵が残したと考えられる食料や装備品が散乱していたが、クラウゼルはそれらが罠だと進言した。現在の戦力は出発時の7割程度。途中で飛竜の一部隊は切り捨てたし、食糧徴発のために分散してもいる。そして今、喉から手が出るほど食料や物資が欲しいこの時に、降って湧いたような物資の散乱。そしてそれらは食料と、鎧や衣服といった装備品が中心の物資で分散して発見された。丁度馬で2日、飛竜で3刻程度の距離に、5か所ほどに分けて集積されているのだ。
素人でも罠だとわかり、それでもなお、手に入れなければならない今のローマンズランド遠征軍の懐事情。将官ですら食事を減らしているこの状況で、これらを手に入れないという選択肢は存在しない。
遠征軍はやむなく軍を分散させた。その中でアウグストは迷わず食料のある場所に陣取り、ろくにそれらを分配することもなく自らの側近に十分な休息を取らせ、ドニフェストには物資を回収するように伝えた。そのせいで先ほど議論が紛糾したのだ。アウグストの命令で、最低限の食料はもちろん配給されている。だが今までたまっていた小さな不満は、ここで堰を切ったように爆発した。
「まだ戦ってもいない状況で、兵士のことをなんだと思っているのか。食料が少なく病気になる一般兵卒もいるというのに、自らは豪華な食事にありついて、他の者には飢えたまま働けと言う。それが王のあるべき姿か?」
「本来王とはそのように振る舞う者ですが――まぁローマンズランド的ではありませんね」
クラウゼルは率直な意見を忌憚なく述べた。何も間違ったことは言っていない。東の諸国では王はそのように振る舞うし、貴族はそのようなものだとクラウゼルは知っている。だがローマンズランドは貧しく、貴族や王族でも戦士として振る舞ってきた。
実はスウェンドルも暗愚の王と言われながらも自らには人一倍厳しく律していたのだが、それをローマンズランドの将兵は知らない。そしてアウグストを教育した教育係は、東の諸国の帝王学を参考にしたため、アウグストが東の諸国の貴族のようにふるまってしまうことも、彼らは何も知らないのだ。気付いているのはクラウゼルとドニフェストくらいのものだが、彼らはそのことを誰にも教えなかった。
そうして彼らはアウグストに対する不満を共有し、反乱の計画を確認してそれぞれ割り当てられた陣地に帰っていった。明日にはローマンズランドの歴史が分かれる。それを冷めた感情でクラウゼルは確認し、冷たい風の吹く本陣を茫として眺めていた。
その傍にゼムスと軍団が寄ると、クラウゼルが見ているものを共に見つめながら話しかけた。
「明日の夜、やるのか? 予定では、アレクサンドリアを占拠してからアウグストを殺す――そう聞いていたが」
「ええ、そうなりました。多少煽りはしましたが、そうでなくともいつかこうなったでしょう。これは敵の罠でしょうが、利用させていただきます。アレクサンドリア領内に入ってから揉めるより、余程この方がまとまりやすい。それよりもアウグスト殿下が万一でも逃げ出さないように、明日は頼みますよ?」
クラウゼルが頼むまでもなく、軍団の特任少尉がナイフを器用に回して答えた。彼の特技は暗殺――つまり、ドニフェストたちが上手くいこうがいくまいが、その時にことは終わっているのだ。
だがゼムスには珍しく、懸念があるようだった。
「ドニフェストでアレクサンドリアに勝てるのか?」
「ドニフェストではなくとも、私の言うことを聞いてくれる指揮官なら勝てますよ。減ったとしても竜騎士は一騎で騎兵10体から20体に相当する戦力です。竜騎士が20000もいれば、どんな国でも勝てません。問題は兵站と移動だけです」
「竜騎士の索敵範囲があれば、奇襲も受けないと?」
「その通りです。何かご不満でも?」
「お前の策が上手くいかないのを見たことはないが――俺の本能が警鐘を鳴らしている。この戦い、誰もが望む結末にならないかもな」
「ほう?」
ゼムスの本能と直感は侮れない。それがわかりながらも、クラウゼルは信じられなかった。自分が数年をかけて用意した盤面だ。ここまで少々の予定外はありつつも、想定の範囲からは出ていない。その盤面をどうやって打開すると言うのか、手段があるなら見てみたいと思っていた。たとえ相手があのコーウェンでも、粘ることはできても挽回の一手はないと思っていた。戦争は始まる前に準備した内容ですべてが決まるものだと、信じて疑っていなかった。
続く
不足分連日投稿します。次回7/31(月)24:00です。