開戦、その245~夢の跡と笑う者⑤~
***
「だから、それはお前に任せると言っているだろう!」
「しかし殿下、詳細な指示をいただかねば困ります! この軍の総司令官は殿下ですぞ!」
「それは貴様が自分で自分を無能だと言っているのか!? 一から十まで私の指示を仰がねば、貴様は野営もできないのか!」
「今その指示どおりしたとして、陣営が伸び切ると申し上げているでしょう! 夜襲を受けたらいかがするのですか!?」
ローマンズランド遠征軍、本陣にて第一皇子ブラウガルドと、王弟ドニフェストが盛大な口論を繰り広げていた。口論――のうちはまだよかったのだが、最近では陰で互いのことを罵り合っているのは諸将が知っていることであり、遠征軍に決定的な亀裂が入る時がきたかとおおよその諸将が考えていた。
むしろここまで亀裂が入っていないのはドニフェストの忍耐によるところが大きく、ブラウガルドの朝令暮改な命令や、ドニフェストが出した指示を変えながら結果朝三暮四になることが分かり切っている命令を下すなど、遠征が始まる前までは聡明で優秀と考えられていた皇太子の低能ぶりに、諸将が呆れ返っていたのだ。
聡明とされていたのはスウェンドルがあまりに暗愚ゆえ、比較対象としてブラウガルドが聡明に見えていただけで、実は低能どころか無能なのではないかとさえ密やかに噂されていた。ところがその噂は声が大きく、ブラウガルドの耳には嫌でも入ってくるのだ。それもまたブラウガルドを苛立たせ、余計に彼を孤立させる結果となっていた。
だが今回の一件は、誰がどう見てもブラウガルドが悪かった。その件とは。
「今現在の布陣を見られよ、殿下! 糧秣の不足ゆえに遠征軍を四方に奔走させた結果、大群の密なる陣形は見る影もない! 一番後方で10日遅れており、3万からいるはずの竜騎士はこの本陣に1000もおらぬのですぞ!」
「その糧秣を確保するために、竜騎士たちを四散させたからであろう! 3万の内、1万は連絡すら取れぬではないか!」
「それだけ糧秣の確保に苦戦しているということです!」
「だからこそ、今目の前にある糧秣を確保するために軍を分散させて、何が悪い!」
ローマンズランド遠征軍、総勢15万――は、少し大げさなので、実質は13万程度だったが。用意した糧秣は既に底を尽き、遠征先に用意されているはずの糧秣は予定の半分にも満たなかった。遠征軍は食料を1日3回から2回、身分の低い兵士に至っては1回になることもあったが、今ではブラウガルドやドニフェストですら1日2回だった。そんな中で苛立つ者が増え、不満が諸将を突き上げ始めていたのだ。それらを感じ取れぬほど、ローマンズランドの諸将は愚かではない。自分たちを見る兵士たちの目が徐々に殺気立ち始めていることが、彼らを焦らせ、なお会議を紛糾させる。
やむをえず、彼らは軍を分散させた。優先度の低い舞台から糧秣確保のために予定と違った場所へと派遣したが、そのうち成果の有無によらず戻らぬ部隊が増えていった。きっかけは、成果がないのに帰ってきた部隊に対して、ブラウガルドが労いではなく侮蔑の言葉を投げたことだった。
その舞台は夜のうちに脱走した。だがあえてブラウガルドは追わせなかった。優先度の高い部隊ではなかったし、負い目もあれば心中は察することができたからだ。末端の兵士は食料と給金を目的に軍に所属していることくらい、ブラウガルドとて知っていた。そして同時に、軍を精鋭だけに絞った方が糧秣も計算しやすいと思った。ドニフェストは形だけでも追うように進言したが、ブラウガルドは聞き入れなかった。結果として、脱走する部隊が増えた。
それら一連の流れを、クラウゼルは眺めているだけで進言を一切しなかった。策を求められなかったし、これこそクラウゼルにとっては狙っていた形だったからだ。不満をブラウガルドに集め、ドニフェストの求心力を高めた。ブラウガルドの悪い噂は時に積極的にすら流し、そのままにしておいた。ドニフェストの良い噂は流さなかった。会議ではブラウガルドと反対の意見を常に言うように進言しており、その通りにドニフェストが振る舞ったからだ。
やがて、最初は半ば演技のようにして起こっていた対立も本格的に溝が深まり、ブラウガルドとドニフェストは憎しみ合うようになっていた。頃合いか――そう考えたクラウゼルは手を2回ほど叩き、ここ二か月ほどの間に初めて自ら意見した。
「発言をよろしいでしょうか?」
「む・・・許可する」
ブラウガルドとドニフェストも息が上がったところだったので、渡りに船とばかりにクラウゼルに場を任せた。
「まず一つ――糧秣を確保するのは当然として、見つかった場所が分散している。それがドニフェスト殿は心配だということですね?」
「そうだ。見つかった4か所に関しては、それぞれ部隊を派遣したが、一個師団でも足らぬほどの糧秣がそれぞれある。運ばせるにはさらに二個師団を派遣する必要があるが、それでは本陣が手薄になりすぎる。夜襲を受けたらなんとする?」
「つまり、ブラウガルド殿下に何かあっては心配だ、と?」
「当然である。皇太子殿下をお守りするのが我が役目。それが疎かになっては、この遠征軍も意味をなさぬものになるだろう」
忠義の厚いその言葉に、ブラウガルドの怒りが収まりかける。喉元まで出かけていた言葉を飲み込み、大きく息を吐いた。
続く
次回投稿は、7/28(金)24:00です。