開戦、その242~夢の跡と笑う者②~
「副長ね、そこかしこの筋線維が断裂しているわ。すっぱり切れてくれた方が治しやすいんだけど、こればっかりはどうしようもない。ある程度処置はしたけど、あとは自然治癒待ち」
「すまない、マスター」
剣から人の姿に戻ったダンススレイブが項垂れていた。エルシアもダンススレイブが人の姿でいるところは何度も見かけているが、いつも食堂の片隅で静かに酒を飲むか、たまに宴があれば音楽に合わせて踊ることがあるものの、いつもその姿勢と表情は自信に満ちていた。今はそれとは真逆の表情で、後悔と苦悶が前面に出ている。
ラインはそんなダンススレイブの肩を、優しく小突いてやった。
「気にするな。ああでもしなきゃあ、死んでいたのは俺の方だった可能性がある。ダンサーの方が、正確に敵の力量を読んでいた。それだけのことだ」
「だが、我はまたしても昔と同じ過ちをするところだった!」
「互いに備えてはいた。だが戦いじゃあいつも想定外のことが起こるもんだ。誰も悪くないさ、俺も、お前も」
そう、おそらくはバーゼルでさえも。ラインは口に出さなかったが、ラインと打ち合っていた時のバーゼルの表情が、いまだに脳裏にこびりついている。こんな戦いを望んでいなかった、いや、戦いそのものを望んでいたとしても、こんな形じゃなかった――。バーゼルは何かを告げようとして、何も「言えなかった」のではないだろうか。
そもそもバーゼルとの力量は互角、もしくはバーゼルの方がやや上なくらいだった。数々の戦いを経て自分も強くなったとラインは自負しているが、バーゼルが絶え間なく鍛錬を積んでいたとしたら、さほど差はついていないはずだ。
ならば勝負を分けるのは装備の差のはずだ。ダンススレイブは力を開放するごとにその強度を上げる。かつてマンイーターを撫で切りにした時の強度をはるかに上回る能力を開放しながら、武器ごとバーゼルをやれなかった。あの能力はなんだったのか。バーゼルですら知らなかったのではないか。
そもそも、今回の反乱の手際がバーゼルにしても良すぎたのが引っかかる。アレクサンドリア国内にいながら、ナイツオブナイツを使ったにしても、ここまで狙ったような反乱ができるものだろうか。まるで目の前で全てを見ていたような・・・いや、その手段があったらどうだろうか。
ラインの疑問はいまだ形を結ばないが、背後に誰かがいたのではないかと考え始めていた。
「調べる必要があるよな・・・」
「さて副長~。指揮権の委任状をいただきたいと思いますが~、いかがですか~?」
コーウェンの言葉にラインの思考は中断した。どのみち休養の期間にやることは決まっている。バーゼルの屋敷に乗り込んで、証拠を探す。これだけの人間と資材を動かしたのだ。証拠が一つもないなんてことはないだろう。
それに、バーゼルの趣味は日記だ。どんな激務の時でも、怠惰だとされる奴が日記を欠かしたことはない。しかも絵が上手い。人の顔を歪曲表現が上手い。人の顔で遊ぶのはやめろと、何度忠告したことか。
ラインが委任状にサインをしながら笑ったので、コーウェンが不思議そうな顔をした。
「副長が笑うのは珍しいですね~」
「そうか? よく笑っていると思うが」
「目はあまり笑っていませんよ~。笑うとしたら~、アルフィリース団長と話している時だけです~」
「そうか?」
「お気づきでない~? まぁいいですけど~」
コーウェンが残念そうにため息をつき、エルシアはきょとんとし、ユーティは「ははぁん」と意地悪そうな笑みを浮かべ、レイヤーはわかりにくいが表情が引き攣っていた。
コーウェンが出て行こうとすると、ラインがコーウェンに忠告した。
「勝算はあるんだろうな?」
「ええ~、もちろんです~。アルフィリース団長とライン副長のおかげで~、新しい知見と視点を得ましたから~。今度こそ勝ちます」
コーウェンの声が間延びしなかった。そしていつもへらへらとつかみどころのないコーウェンの引き締まった表情を見て、ラインはそれ以上の忠告を辞めた。心配するとしたら気負い過ぎなことだが、すぐにコーウェンがへらりとしたのを見て、それも大丈夫だと思った。
「イェーガーを頼む」
「お任せあれ~。エルシア~、ちょっと打ち合わせがあります~。こちらにおいでください~」
「ええ、いいけど」
エルシアはレイヤーに話したいことがあったのだが、軍師に声をかけられて待たせるわけにもいかない。何事かを言いかけて、その場を離れていった。
そしてラインはレイヤーを見て、真剣な表情で話を切り出した。
続く
次回投稿は、7/23(日)24:00です。