開戦、その240~裏切り者と渇く者65~
「(エクスペリオンか、いや)」
エクスペリオンならもっと違和感があるはずだ。少なくとも人間の筋力に影響が出るほど魔王化が進めば、知性が低下すると言ったのはアルネリアの研究班だ。既に各地からエクスペリオンが使われた形跡のある人間を保護し、彼らを観察することでそういった傾向があるとこがわかっている。
エクスペリオンは欠陥品。そうアルネリアが現時点で判断を下した。そのことに気付かないバーゼルではないだろうし、そもそも怪しげな薬物に頼る性格ではない。ではこの、人とも思えない強さはなんだ?
打ち合う最中、ラインは冷静に考えだしていた。普段より2段階は上のダンススレイブの使い方にも慣れてきた。あとどのくらい戦える。50合か、それよりもつのか。もう1段階上げたらどうだ。体の軋みと同時に、冷静にその判断を下し始めていた。
攻めきれないと悟ったバーゼルが自ら下がり、前に出かけたラインに向けて目にもとまらぬ速さで短刀を投げた。その短刀飛んでくる前から、ラインは余裕を持って軌道の外に体を動かした。
その動作を見て、バーゼルだけではなくディオーレもイブランも驚きに目を見開いた。
「驚いたな。今の間合いで避けるのか」
「なに眠いことを言ってやがる。どう見てもバレバレで、目を瞑っていても避けれるだろうが。もう一回投げてみろ!」
「・・・こう見えて、短刀の投擲が俺の一番得意とするところで、隠し玉だったつもりなんだがな!」
バーゼルの目にも止まらぬ早業を、ラインは自分の横を通過する短剣の柄を目で見てダンススレイブで叩き落とし、空中で回転する短刀を掴んでバーゼルに投げ返した。
バーゼルはぴくりとも動けず、短刀がバーゼルの頬を深く切り裂いた。
「芸が2回通じると思うな」
「芸と来たか・・・そうかよ!」
バーゼルが吠えながら前に出た。バーゼルは鍛えてきたのだ。いつか来る復讐の機会のため、レイドリンドの剣鬼たちとも戦えるようにと。ラインと出会う前から、そしてラインがいなくなってからも、常に限界まで自分を追い込んで鍛えてきた。
やや丸く見える体の下は全て筋肉。あまりの鍛錬ゆえに家のことのかまけることが一切できず、妻には寂しい思いをさせた。過剰な鍛錬と復讐の下準備ためにやつれているような時期すらあり、妻は自分の体調を慮って自ら実家に帰った。「その復讐が成し遂げられることがあったら、再び傍に呼んでください」と。
本当に自分には過ぎた女だと思う。だから、絶縁状を送っておいた。自分の計画が失敗した暁には、彼女も子どもも自分とは一切の関係がないことになるはずだ。
やりすぎだと思えるくらいの準備をしてきた。それでもなお、目の前の男に届かないのだろう。さすが自分が王にしたいとまで考えた男だ。ここまでの剣士になっているとは思わなかった。信念を曲げてまで反則技を使ったのに、それでもなお成し遂げられない。この男が王だったら、さぞかし騎士として仕え甲斐もあったろうと――バーゼルは自らの体にダンススレイブが袈裟懸けに食い込んだ時に、不思議な満足感を覚えることができた。
「バーゼル!」
我に返ったバーゼルの目の前には、ただ泣きそうなラインの顔があった。それなりに長い付き合いの中で、一度も見たことのない表情だった。なるほど、騎士ではなく人間の剣士になることができたのだと、ふとそんなことをバーゼルは思った。
「さすがだな。これほどやっても勝てんか」
「もっと上手いやり方があったはずだ! なぜこうなった!」
「お前と違って俺には見るほどの夢がなかった。地に足をつけた現実主義の結果がこれだ。理想ではない夢とは大切なものだよ、ラインハルト」
「違う! 俺はただ――」
「それでいい。お前はそのまま行け。兄の墓の下、過激派に加担した連中の血判状と、人形と思しき貴族の一覧が全て書き出した資料がある。これで国内の膿は一層できるだろう」
「お前、最初からそのつもりだったのか?」
ラインの言葉に、バーゼルがふっと笑った。
「まさか。常に保険は必要なだけさ。勝てない勝負を仕掛ける奴はいない」
「そうか、そうだな――だがお前にそう入れ知恵した奴がいるだろ? 誰だ?」
ラインの言葉に、バーゼルは下を向いた。ラインには手ごたえがあった。頭の中でダンススレイブも叫んでいる。ラインの知る限界値の4段階上。強度でいえばミスリルも切断できるはずの今のダンススレイブで、バーゼルの体を両断できなかった。だが決着のついた今、バーゼルの体と鎧から力が失われている。バーゼルの鎧は普通の上質な鋼の鎧だ。ダンススレイブと打ち合えるような強度の武器防具では、決してありえない。
バーゼルがダンススレイブを握りしめるように、寄りかかるようにして答えた。
「言ったろう、『俺は語る口を持たない、剣で語れ』と。お前は正解を知っているはず――いや、きっと辿り着けるはずだ。ひょっとしたら、もう答えを知っているんじゃないのか?」
「・・・嫌な想像だ。妄想にすぎないかもしれない。そして証拠があまりにもない」
「証拠はある。俺との日々を思い出せ。俺に言えるのは、そこまでだ」
その言葉を最後に、バーゼルの体が傾き始めた。そのバーゼルがラインに耳打ちする。
「第一王妃の首は氷漬けにして保存している。俺が率いていた軍に俺の首を持っていけ。そうすれば引き換えに渡してくれる。俺が負けたら全面降伏するように言ってある。やつらと妻に温情のある措置を頼む」
「ああ、わかった」
「ディオーレ様のことも済まない。半分は本気だが、それ以上にあの人のことを尊敬し、孤独な精霊騎士を支えたいと思っていたのは本当だ。謝っておいてくれ」
「ああ、任せろ」
「この国のことが心配だ――ジネヴラ姫の資質はわかったが、女系の王がどうなるか――心配は尽きない。もしまた反乱を考える奴が現れたら――」
「心配するな、ここは騎士の国だ。大打撃は受けたが、きっとまた立ち直る。そうやって今までもやってきたんだから――だから、お前はもう休め。あとのことは生きている奴に任せろ」
「自分が、とは、言わないん、だな?」
「俺はもう傭兵だ。他にやることがある」
「何、を?」
「ちょっと大陸の運命を変えてくるつもりだ」
その言葉を聞いて、バーゼルはさも楽しそうに笑った。
「そ、れは大変そう、だ」
「お前がいてくれりゃ安心だったんだがな」
「視野が狭す、ぎた、な・・・まったく、復讐なん、て、ろくでも、な――」
その言葉を最後に、バーゼルは二度と言葉を発することはなかった。ラインはバーゼルの背中をぽんぽんと2度叩くと、その亡骸をゆっくりと下して地面に横たえ、剣をかざして祈りを捧げた。呆然としていたイブランと、ディオーレもそれに続く。
アレクサンドリアの反乱は終わった。後に判明する犠牲者の数、人的損失、被害は大戦期のそれをはるかに超えていたと後世の資料にあり、アレクサンドリアはここから国力を大きく落とすこととなる。
続く
次回投稿は、7/19(水)1:00です。