開戦、その238~裏切り者と渇く者63~
「全部知っていただと!?」
「おうとも。あの手の悲劇は、アレクサンドリアのそこかしこで起きていた、ありふれたものに過ぎなかったのさ」
バーゼルの告白はラインのみならず、ディオーレや情に薄いはずのイブランですら蒼白になるだけの苛烈なものだった。ラインが出奔するきっかけになった事件は高名なものの一つだったが、闇に葬られた事件は10ではきかぬほどあったとバーゼルは告白した。
尊厳を踏みにじる、騎士にもとる。そういった言葉では言い表せぬほどの愚劣で、汚らわしく、犬畜生ですら目を背ける行為が何度も行われ、そして黙殺されてきたのだ。長く精霊騎士としてアレクサンドリアを守るために働いてきたディオーレですら知らない、アレクサンドリアの負の歴史。それをバーゼルは長い時間をかけて追っていた。
「俺の兄は本当の忠臣だった。俺よりもはるかに優秀で、献身的で、アレクサンドリアのためなら死をも厭わぬ性格だった。だから引きどころを知らなかった。この国を壊したいと思っていた連中からしたら、目ざわりこの上なかったろうさ」
「――それだけの死に方をした兄がいながら、なぜ他の事件を止めようとしなかった! そうすれば、あるいは!」
「もう誰が敵で誰が味方か、わからなかったからだ。ここに来るまで、俺も随分と人形を始末する羽目になった。人形と思って始末した連中にも人間がいた。何も信じられなくなった。信じられたのはお前だけだ、ライン」
「は!?」
バーゼルの言葉にラインが信じられないといった表情になった。バーゼルはいつもラインと対立し、平民出身であるラインを何かと小馬鹿にし、人望でも実績でもいつもラインと張り合い続けた。好敵手でありこそすれ、仲の良い友人として接したのは、互いに辺境で出世してからの一時期だけで、士官学校時代には険悪だった方が長いくらいだった。
バーゼルがそんなラインを見て、得意げに笑った。
「ようやくお前に一杯食わせることができたな」
「・・・なぜ」
「お前だけが俺に媚へつらうことがなかった。お前は平民でありながら卑しくも遠慮もなく、常に正々堂々と貴族を負かしてみせた。計略を用い、時に搦め手も使ったが、どれもルールの範囲内のことだ。俺は、お前が羨ましかった。憧れてすらいた。お前は知るまい、誰にも言ったこともないしな。俺は本心を悟られぬため、お前の好敵手であり続けた」
「なぜだ、なぜそこまでした。お前は俺に何を求めた!」
「お前が王なら良いと思っていた」
ラインが息を呑んだ。それはあまりといえばあまりな妄想だった。平民が王になるなど、大戦期以降聞いたこともない夢物語だ。まして現在既に王国があるところから、王になるなど。
平民の娘が美しさ故に見初められて王の妃になった話はある。そして身分の低かった下級貴族が功績を立て、後に王となった話も。だがそれも王女の一人と婚姻し、王の親類となった後に、王位継承権がたまたま回ってきただけの話だ。結局は血塗られた計略と簒奪の話として、今では戒めのための逸話となっている一例のことだ。
だがバーゼルはやや恍惚とした表情で、現実の計略として語ったのだ。
「可能性は本当にあった。王にはあの愚かな王太子しか跡取りがいなかったし、残りの王位継承権持ちはほとんど序列が一緒で権勢に差がなく、王太子が死ねば国は分裂するのは目に見えていた。まとめて始末すれば、権力を握る者はほとんどいなくなる。事実、王位を餌に反乱軍に誘ったら誰もがのこのこと出てきたわけだしな」
「待て、お前まさか」
「王弟殿下、王の叔父、4つある公爵家の当主は全て今頃、首を我が陣内に晒されているだろうさ。馬鹿な連中だ。レイドリンドも護衛につけずに戦場に出るなど、迂闊の極みとしかいいようがない」
もうすでにディオーレの率いる勢力以外、国内に有力な勢力は残っていなかった。ここまでの下準備をしているとは、ラインですら想像していなかった。あまりの出来事にディオーレはめまいがするのか、頭を押さえて唸っていた。
「あとはそこのディオーレさえ殺せば、実権は全て宙に浮く。そこに亡国の悲劇の騎士が登場して――というのが、俺の筋書きだったんだが」
「生憎だな。俺は王になどならん!」
「まぁ、そうだろうな。お前にもひそかに監視をつけていたが、イェーガーの生活にお前は満足しているようだし、あの傭兵団は俺が見ていても面白い。俺ですら参加してみたくなったよ」
「ならば、来ればよかった。そこまでアレクサンドリアに愛想をつかしていたなら、全てを捨てたって」
ラインの言葉に、バーゼルは首を振った。寂しそうでいて、既に何もかもを諦めたような表情に、ラインは悟った。ああ、もう無理なのだな、と。
バーゼルが構えた。
「俺は貴族なんだよ、ライン。どれほど憎んでも、俺はアレクサンドリアの騎士で、貴族だった。そうにしかなれなかった。それ以外になれるものなら、なりたかった。これは呪縛だよ、ライン。そうなってしまったんだ。俺に残された道は、お前を王に据えるためにディオーレを殺し、このアレクサンドリアを一時的にでも富ませることだけだった」
「――何がお前をそうさせた?」
「それを語る口は持たん。お前も騎士なら、あとは剣で語れ」
「待て、まだ聞きたいことが――!」
ラインはバーゼルを制しようとして、ダンススレイブが勝手に魔剣の能力を使ってラインの身体能力を引きずり出したのを感じた。バーゼルは強い、人とは思えないほど強い。ダンススレイブがラインの合意なく、その能力を発揮するのは初めてだった。
続く
次回投稿は、7/15(土)2:00です。