開戦、その233~裏切り者と渇く者58~
ラインは少し離れた兵舎の一室に向かうと、何もいない虚空に向かって声をかけた。
「イブラン、隠れるのはよせ」
「・・・どうしてわかるんでしょうね」
広々とした食堂らしき場所のテーブルの上に腰かけていたイブランが姿を現した。姿を透明にする外套を脱ぎ捨て、ため息と共に姿を現したのだ。
「いくらこの外套のことを知っているといっても、姿を隠して気配を断てば、同僚ですら見分けるのは困難なんですよ? いつもそう簡単に当てられると、ナイツオブナイツの沽券にかかわるのですが」
「場にはそれぞれ固有の空気があって、人間が存在すればそれは異物にしかならん。人間一人の気配をそう簡単に隠せるもんじゃないさ」
「A級のセンサーですらごまかすんですけどねぇ」
「センサーはセンサーに頼りすぎるがゆえにごまかされる。それだけのことさ」
「だからこそレイドリンド家の連中とも対等に渡り合うのでしょうけど」
イブランの他に2人、別の騎士が姿を現した。いつもイブランと行動を共にしている騎士のようで、ラインも気配に覚えがある。
「それで? そちらの首尾はどうだ?」
「上々じゃなきゃあ、ここに来ていませんよ。あなたは本当に怖い人だ。わかっていたつもりでしたが、今回のことでよりはっきりとしました。私はあなたを勘違いしていたかもしれませんね」
イブランは騎士としてのラインに憧れ、崇拝にも近い感情を抱いていたこともある。だから騎士でなくなったラインのことを蔑みもしたし、強く当たることもあった。だが今のラインを見ていると、その本当の資質を見誤っていたかもしれないと思うのだ。
ラインの本当に資質とは、騎士という軛を離れてこそ真価を発揮するものだったのではないかと思うようになった。アレクサンドリアという古い国は、そもそも彼には狭かったのかの知れないとすら思うようになっていた。
そんなイブランの変化を感じているのかどうなのか、ラインは少しだけ面白そうにふっと笑った。
「騎士でなくなって、成長しているならいいんだけどな」
「騎士は背負うからこそ強い――そう考えていましたが、傭兵でもまた違うものを背負うこともあるのでしょう。少なくとも、イェーガーであるならば。ならば強くなってもおかしくはありませんね」
「お、随分と物分かりがよくなったな?」
「変化を認められぬのは頑固ではなく、愚かなだけです。私は愚か者はなりたくない」
イブランが態度を軟化させたところで、食堂に通じる扉をノックする者がいた。付き従っていた騎士が食堂に通じる扉を開けると、そこにはエアリアルが立っていた。
「ライン副長、すまない。遅れてしまったか?」
「いや、これ以上は望めんさ。人形の軍隊は?」
「リディル率いる竜たちが掃討している。ただ彼らにはどれが人形でどれが人間かは区別がつかないだろうな」
「仕方あるまい。戦争なんだ、犠牲が何もないなんて思っちゃいないさ。俺も、アルフィリースも、アレクサンドリアの騎士たちもな」
ラインとコーウェンの目論見はこうだ。リディルが率いていた竜のうち、蛇竜ネフェニーや屍竜レギレンド、翼竜フラヴニルなどの人間に化けることができる個体は首都アレクサンドリアを攻めるための部隊に忍ばせておき、それ以外の個体はリディルに率いてもらって、ディオーレ率いる辺境軍と対峙するアレクサンドリアの軍隊にあてたのだ。
いかにリディルや竜が強力でも、死の概念を持たない人形兵の圧倒的多数の前に苦戦を免れなかったが、エアリアル率いる部族中心の騎馬部隊の活躍もあり、アレクサンドリア国軍を撃破することに成功した。いまだ戦いは続いているが、エアリアルは目標とする人物をこちらに連れ出すことに成功したのだ。
「(ま、リディルがいなければ火砲をアレクサンドリア国軍に向けて乱射する必要があった。その準備もしてはいたが、もっと悲惨なことになっていただろうし、手の内が明らかになってしまう可能性もあったからな。今回はこれが最上だろう)」
ラインにしてみたら、火砲はほとんど温存したままアレクサンドリアへと侵入することができたのは僥倖だった。コーウェンとアルフィリースが開発した火砲は戦争のありようそのものを変えかねないので、その使用に関しては慎重な意見が出ていた。あの倫理観が破綻しかけているコーウェンですら使用を躊躇っていたのだ。後の戦にどうような影響が出るか、ラインにだって想像がつく。
そして火砲を温存できたからこそ、次の戦術が容易になった。
「それで、あの方は?」
「ここにいる」
数名の護衛に守られ、しっかりとした足取りで歩いてくる人物がいた。ラインとイブランの姿を確認してそのフードを取ると、そこにはアレクサンドリアの大将軍ディオーレ=ナイトロード=ブリガンディその人がいた。
続く
次回投稿は、7/5(水)3:00です。