開戦、その232~裏切り者と渇く者57~
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それから数刻の後、夕刻前におおよその戦闘は終結した。人形兵は撤退するという命令を受けていないのか、突如として出現した竜の巣の名前付きの竜たちを前にして、無謀ともいえるような吶喊を繰り返し、そして全滅していった。
もちろんその中にいた人間たちも竜に対処しようとしたが、皮肉なことに逃げ惑った者から順に生き延びた。勇敢な者から順に死んでいった現実を見るとラインは顔を顰めて立ち尽くし、バネッサですら「惨いね」と言い残して席を外し、エルシアはユーティを肩に乗せ、剣を捧げてその場で黙祷を捧げていた。レイドリンドの中立派が彼らの避難誘導をしなければ、もっと死者は増えていただろう。
そして生き延びた第二王妃クエステルとその一党は生き残った者たちを取りまとめ、その前で演説を始めようとしていた。為政者たる彼らにとっては、むしろここからが正念場である。その最中、背後に控えていたイメルとディアリンデが何やら話し込んでいるのをラインは聞いていた。
「じゃああんたの息子ハースは王家に与するふりをして過激派にも出入りし、情報をあんたに横流ししていたのか?」
「そうだ。ちなみにイェンメルの傍にいるダーラントも私の息がかかっている」
「スパイまみれじゃねぇか! 私の派閥にはいないだろうな?」
「ドーナは私の愛人だが?」
ディアリンデが顔色一つ暴露したので、イメルが頭をぱしんと叩いて天を仰いだ。
「マジで言ってんのか? 年がどれだけ離れていると思っていやがる!」
「貴様がそれを言うか。貴様らに粉をかけられたという訴えを聞いているし、そもそもが第二王妃クエステルに手ほどきをしたのも貴様だろう」
「下世話な奴だな、そういうことまで調べ上げるんじゃねぇ! さすがスケベッツの兄貴だよ!」
「いくらはぐれ者とはいえ、妙な渾名をつけてやるな。それにあれは狙った女は皆逃すが、私は逃したことがない」
「自慢か!?」
「自慢だ」
顎が外れそうなくらいイメルが口を開けて呆然としていると、ディアリンデは少しだけ声をひそめて話を続けた。
「それにだ。王と第一王妃があのていたらくで、どうして第二王妃に何もないと言い切れるのだ。我が国には魔術士の人材は乏しく、有能なセンサーは皆辺境に出払っている。国家の一大事に傭兵ギルドの力を借りるわけにもいかず、おかしな者を炙り出すには古典的な方法を取らざるをえなかった」
「だからあえて主張を分けて、それぞれに同調する不穏分子を確認したのか? レイドリンドはおろか、下手したら国が滅びてたぞ?」
「そうだ。捨て身の一手だからこそ、過激派なる連中が確認できたのだが。それに――」
「それに?」
「過激派の活動は、アレクサンドリアのみにとどまらない可能性が出てきた。私が当主に就任したあたり、いや、その前からか。そもそも妙なことがあってだな――」
ディアリンデの言葉はさらに小さくなったので、ここから先はラインには聞こえなかった。レヌールは一命をとりとめたが、まだ予断を許さない。代わりのセンサーをこちらに派遣する余裕はなく、彼らの会話を知るすべはなかった。後で聞き出すべきかと考えたが、今そこまでの気力はラインにはなかった。
それに、ラインにもまたそれどころではなかった。
「皆の者、聞くがよい!」
「一同、傾注!」
クエステルが声を張り上げると、表情を引き締めなおしたイメルが剣の鞘ごと地面を打ち鳴らし、項垂れてへたりこんでいる兵士たちの耳目を集めた。
即席の壇上にはジネヴラ。彼女が何を話していたか、ラインは聞いてはいたがほとんど頭には入っていなかった。彼女の演説はとても立派で、印象的で、そして熱を帯びていたことは覚えている。とても10歳そこそこの少女とは思えない演説に、兵士も騎士も熱に浮かされるように聞き入っていく様は彼女の器の大きさを実感させたが、それですらもラインにとってはより気になることがあったのだ。
演説は次第に熱を帯びていく。そして測ったような間合いで、ラインが待ちわびていた人物が到着したとの合図が鏡の反射で届いたので、ラインは音もなくその場から消えるように後退した。ただ一人、ディアリンデだけがラインがいなくなろうとしていることに気付いてちらりと視線を寄越したが、何を悟っているのか小さく頷いてラインの好きにさせてくれていた。
続く
次回投稿は、7/3(月)3:00です。