開戦、その229~裏切り者と渇く者54~
ラインは胸に手を当てるようにして、ジネヴラに丁寧に礼をした。
「そのお話、有り難く受けましょう。ただし、膝は折りませんが」
「自由騎士ですから、あなたがたはそれがよいのでしょう――少し、羨ましいですね」
その時のジネヴラの潤む様な目をラインはまっすぐと見た。騎士でなかったら、貴族でなかったらどうなのかという話を、かつて彼女とその仲間としたことがある。ほとんどの者が楽しそうな妄想をする中、彼女だけが「貴族でない自分など考えられない、そんな自分は存在しない」と言い切った。その後で、ラインと2人になった時にだけひっそりと彼女は告げた。
「だがもしそんな生き方があるのなら――世界の果てを見てみたい。あなたと2人で」
その願いを告げる彼女の眼は、今のジネヴラと一緒だった。夢物語のような言葉はついに永遠に叶わぬ願いとなったが、自分は彼女の代わりに世界の果てを見て報告しようと固く心に決めた。ただし、その隣にいるのは彼女ではなくてアルフィリースになるのだろう。
しかしここにきてイメルが困ったような声を出した。
「しかしここからどうする? 我々の正統性を保証するものはなく、下手をすれば我々もこのアレクサンドリアの崩壊を作った原因として処断されかねない事態だ。中立派がいきなり我々を敵視するとは思わないが、このアレクサンドリアの維持に不要と判断されれば命運は尽きるぞ」
「それに城門の守備を固めている人形兵は、数千は下らないでしょう。人形とはいえ、あれだけの兵士を倒すだけの戦力は我々にはありません」
クエステルが続ける。一部城壁を確保しているイェーガーの部隊はどうやら睨み合いになっているようだが、それ以上はさすがに期待できない。それに外にいるイェーガーの部隊はそう簡単には全滅しないだろうが、もし侵略者と認定されれば一挙に窮地に陥る。万一を考えて築いた拠点まで撤退するとしても、今度はアレクサンドリアとローマンズランドに挟まれる形になるだろう。そうなれば全滅は必至だ。
その時、外の敵を始末したルナティカが引き返してきた。その足取りも表情にも変わりはないが、付き合いの長いラインにはわかる。これだけの戦闘を継続し、百人からはいたはずの外の敵を始末したのだ。疲労しないわけがない。少しずつ限界が近づいているのだ。それが証拠に、ルナティカは全員の様子を確認する振りをして息を整えていた。ラインとエルシア以外にはわかるまい。
「外の敵は排除した。次は?」
「中から誰か出ていなかったか?」
「姿を隠した連中が出ていったかもしれないけど、確実じゃない。そこまでの余裕はなかった」
ルナティカが少しだけ言い澱むように事実を告げた。まんまと逃げられたということだ。次の一手を誰もが打てないでいる中、ラインだけは外の様子をバルコニーから眺めた。まだイェーガーの仲間は一部の城門を占拠したまま頑張っている。
手はまだある。だがその間合いがまだ完璧じゃない。それにルナティカの話を聞く限り、人形兵が中心となる個体に依存していない場合、実力で全てを排除しなければならない。それだけの戦力がいないのは事実。全て上手くいけばこの場だけで決着がつくかと思っていたが、それは少し都合が良すぎたのかもしれない。
アルフィリースのように上手くはいかない。バルコニーの手すりを握りしめたラインの手元に、ふわりと一枚の紙きれが舞ってきた。それを見たラインの表情が変わる。どうやら、少し遅れてはいるが上手くいっているようだ。第一王妃確保に動いたこと自体は、無駄になっていない。
ラインは部屋の中にいた者たちに向けて、声をかけた。
「とりあえず外に行くか。ここにいても囲まれるだけで、守りに適していない。一度場外に脱出して、出直すのがいいだろう。今ならイェーガーが確保した場所から外に出られるはずだ」
「人形共の機転がきかないのが救いだな。城門の一画を占拠されても、取り返すだけの頭がない。ま、レイドリンドが動かないのなら碌な指揮官なんて残っちゃいないんだろうが」
イメルが現状を皮肉ったところで、皆が動いた。足早に正面からの階段を駆け下り、塔から出る。だがそこで彼らの目の前には数十名の兵士が立ちはだかった。槍を構えて整然と取り囲むようにする動きは、明らかに今まで相手をしてきた人形兵とは違う精鋭だ。まだこれだけの兵士がいたことにも驚いたが、それ以上に先頭にいた3人の剣士の圧力にラインは驚いた。
今まで感じたどの剣士たちとも違う圧力。傍にいるエルシアも感じたのだろうか、彼女も一歩後ずさって警戒していた。ルナティカは既に武器を構えているが、それだけの相手だということだ。バネッサとカウレスはいいとして、ダンススレイブを使えば強引に突破できるかもしれないが、ついてこれないジネヴラとクエステルは拿捕されるか処分されるだろう。
イメルが悔しそうに、3人の剣士に向けて吠えた。
「ディアリンデ殿! これは何の真似だ!?」
イメルが当主の名前を叫んだ。あの桁違いの剣気を放つ、いや、隠しきれない男がレイドリンドの当主かと、ラインは納得した。なるほど、あれならベッツより上だとしても不思議はない。
続く
次回投稿は、6/27(火)4:00です。