魔女の来訪、その2~同盟~
魔術教会は騒然としていた。無理もない。魔術教会とは関与しないはずの魔女が、突然来訪をしたのだ。しかも3人同時にである。
魔術教会は、表面上はせいぜい少し大きな砦の規模の図書館といった場所である。その中に対外的に必要な機能を詰め込んでおり、テトラスティンの執務室もこの一部である塔の中にある。この建物の書籍は一般開放されており、玄関で通行許可さえもらえれば誰でも閲覧が可能である。また魔術教会の一般魔術は魔術教会に籍さえおけば学ぶことが可能なため、世間に向けた門戸は、ある意味ではアルネリア教会よりも開けているのだ。その点は以前魔術教会が秘匿性を高めるにあたり、誤解を招いた歴史的背景を参考にしている。
だが一方で、地下に多くの魔術士が研究用の工房を持つため、建物の地下は巨大な迷宮となっている。その全容は教会の長であるテトラスティンでも把握しきれていない。もちろん彼もまた自分の工房を地下のどこかに持っているわけだが。
ともあれ、そのような一般閲覧が多い魔術教会では、検閲のために入口に立つ魔術士の程度などたかが知れている。そこに絶大な魔力を纏わせた女性が3人も入ってきたのだ。これは彼らにとって腰を抜かすほどの大事であった。もちろん、魔女達の美しい容姿が彼らの目を奪ったこともあるだろう。これはフェアトゥーセがそういった効果を期待して選んだ、魔女の中でもとびきり美しい3人である。自分と、闇のイングバル、大地のドラファネラである。魔術教会の中には魔女を敵視する派閥も存在するため、一時に攻撃されにくそうな顔ぶれをフェアトゥーセは選択したのだった。魔女といえど、美貌の使い方くらいは心得ている。
そして玄関で十分に注目を引いたことを確認すると、フェアトゥーセは大声を張り上げた。
「魔術教会の長に用がある! あたしは魔女の長である白魔女フェアトゥーセ。教会長のテトラスティンはいるか!?」
「大声を出さなくても聞こえるよ、フェアトゥーセ」
自分の執務室から降りてきたテトラスティンが二階から姿を現す。
「来る前には先触れが欲しいものだね。そんな強大な魔力を隠しもせず現れたんじゃ、うちの若い者が動揺してしょうがない。魔女が揃って一体何用だい?」
「あたし達が現れたくらいで魔術士が動揺してどうする。加えてあたし達の要件を聞く前にお願いとは、いつからお前はそんなに偉くなったんだい、テトラスティンの坊や? 二階から目上の者に向かって挨拶か」
「・・・これは失礼を、お姉様方」
テトラスティンが二階から飛び降りる。続いてリシーも。身軽に飛んだ彼らに若い魔術士達は驚くが、テトラスティンの事を良く知る面々は驚かない。テトラスティンの魔術の使い方を良く知っているからだ。
そして舞い降りたテトラスティンがフェアトゥーセに歩み寄り、手の甲にキスをする。
「部下への体面もあるので、平伏はご容赦を」
「まあいいだろう、このくらいにしておいてやる。それよりどこかあたし達だけで話せる場所は無いか?」
「では私の執務室に」
「いいだろう、案内しろ」
そうしてテトラスティンとリシーが先導しながら、魔女3人を導いていく。周囲はざわめくが、目端の利く者は既にそれぞれが行動を開始していた。その中で悠然と歩く魔女達。その仕草は実に優雅で堂々としている。
魔女は一般的にその存在は伝説のようなものであり、物語では山奥深くに住まい、鍋で怪しげな何かをいつも作っているような先入観を抱いている者が多い。魔術士ですらその認識はあまり変わらない。
だが実際の所、彼女達は自分が属する地域にて静かに自然と暮らしている。近年では特に薬草の知識を授けたりして地域の住民を手助けするように促しており、人と積極的に関わるようにしているが、魔女に対する認識が変化するにはさらに長い年月が必要になるだろう。
だが彼女達の生き方は魔術士達にはあまり理解されない。魔術士は己が栄達や、あるいは人の発展のために魔術を日々研究する。自然とは共に生きる存在ではなく、多くの魔術士達にとって制覇するべき対象であり、理論によって完全に分析されなくてはいけないものなのだ。なので精霊と直接契約を交わし絶大な力を手にしながらも、何の目的にも使用しない魔女の存在が魔術士達には理解できない。それは一方では魔女にとっても同じことで、自らが得た力を利用することにしか興味のない魔術教会の魔術士とは、決してその考え方が相容れないのである。
だからこそ、魔女が魔術教会を訪れるなど通常ではありえない。余程の一大事があったのか――様々な憶測が魔術士達の合間を飛び交う。そして、魔女を先導するテトラスティンは自分の執務室に辿り着いた。
「ここならいいでしょう。防音の魔術もかけてあるし、誰にも話は聞かれないはずです」
「いいだろう」
「お茶をお持ちしましょう。リシー」
「いや、結構」
お茶の用意のために下がりかけるリシーを、フェアトゥーセが制した。その目には微かに敵意が見える。
「何を混ぜられるかわかったもんじゃないからね。飲み物も食べ物も結構」
「ひどい言われようですね。そんなつもりはさらさらないというのに」
「わかったものじゃない。お前が以前やったことは史上最大級の外法だ。あたし達が知らないと思っているのか?」
フェアトゥーセがテトラスティンを睨む。
「これが知られればお前は破滅だ。魔術教会の連中には、お前を権力の座から追いたい者も多いだろう?」
「よせ、リシー」
いつの間にか、リシーがフェアトゥーセの喉元に後ろから剣を当てていた。今日のリシーは騎士のような男装の出で立ちなので、腰に帯剣している。その剣を音も無く抜き放ったのだが、魔女達に動揺は見られない。彼女達もそれなりの覚悟でこの場に乗りこんでいるのだ。
リシーもテトラスティンに咎められると、刀を鞘に収め一礼して下がるのだった。そしてテトラスティンもフェアトゥーセを睨む。その瞳にはミリアザールと話す時のような、どこか悪戯めいたような彼の無邪気さはどこにもない。冷酷な魔術教会の長としての瞳そのものだった。
「だが告発しようにも証拠が無い」
「そんなものは魔術士達が探しあてるだろう」
「そうだね。そしていらぬ犠牲が増える」
「お前・・・」
フェアトゥーセがさらに強い目でテトラスティンを睨んだが、彼は今度は視線を合せなかった。
「昔も今も私達の秘密を知る者は存在しない。そしてこれからもね」
「・・・テトラスティン、お前は一体何がしたい?」
フェアトゥーセの言葉にテトラスティンが自嘲気味に笑う。
「権力の座に興味はない。だが、この地位を使ってやりたいことがある。今はそうとだけ言っておこう。私の目的が達成できればこんな権力の座に興味はないね。エスメラルダにでもゆずってやるさ。口うるさい女だが、数少ない私の愛弟子の一人だからね。だが目的を達成するまでは何があってもこの地位は手放さないし、そのためなら何でもやるさ」
「そのために上位精霊を5体も犠牲にしてか?」
「それがどうした」
冷たく言い放たれる言葉にしばしフェアトゥーセとテトラスティンは睨み合ったが、しばらくして2人はため息をついた。
「・・・こんな言い合いをしにきたんじゃあるまい、フェアトゥーセ。だいたい魔女の義務を長期間放置していた貴女に言われたくはないし、その議論は平行線で決して相容れない。それよりも今はもっと建設的な話をしようじゃないか」
「・・・悲しいがその通りだな。確かにあたしに言えた義理ではないのかもしれない。だが今は魔女の長としての責務もある。この話はまた改めてしなければならないだろうね。それよりも今はお前が察している通り、別の案件があるんだ」
フェアトゥーセが話を仕切り直す。
「各地で発生している魔王に関してだ」
「その事か。ちょうどこちらもその件で動いている」
テトラスティンが座り直し、そこにリシーが彼にお茶を持ってきた。温かな茶を啜り、テトラスティンが安堵の息を漏らす。
その様子を見ながら半ばテトラスティンの対応も察していたのか、フェアトゥーセが一息に本題を切りだす。
「ならば話が早い。まだ全ての魔女に連絡を取ったわけではないが、このイングバルとドラファネラ他数名に話を聞いただけでも、既に各地で異変は掴んでいた。とみに、最近になって動きが顕著らしい」
「それに付け加えておくと、大草原では現在数百体の魔王が確認されている。大草原の生態系は無茶苦茶だ。遠からず大草原から魔王が溢れるだろうな。これはそれなり以上の勢力を持つ団体なら気が付いていることだ。諸国は大草原の情勢など気にしないし、まだ何も知らないかもしれんがな」
テトラスティンが冷静に言った言葉に、イングバルとドラファネラの顔色が少し変わり、2人は不安そうにフェアトゥーセを見る。だがフェアトゥーセもそのような事態は察知していたので、極めて冷静そのものである。
「なるほど。事態はそこまで切羽詰まっているのか」
「さてどうかな。一応魔術教会の征伐部隊を何隊か大草原に配備している。何かあれば彼らから連絡が入るだろう。今のところ魔王は大草原の北側でのみ活動しているようだからね。それで? 魔女としてはどう対応する」
「その話をしに来た」
フェアトゥーセはアルフィリースの事は伏せた状態で、自分が得た情報を話した。敵になった英雄王グラハム、暗躍する黒いローブの魔術士達。それら一つ一つをテトラスティンが真剣に聞いている。あらかた彼女が話を終えると、テトラスティンはしばらく考え込んだ後、ゆっくりと口を開く。
「・・・なるほど。こちらとしても色々調べておかねばならないな。そして歴史上最高の魔術士と謳われた英雄が敵となれば、それは真実由々しき事態だ」
「ああ。だからこそあたしがここに来た」
「つまりは?」
「魔女は改めて魔術教会と同盟を結びたい」
フェアトゥーセがきっぱりと言い切った。テトラスティンは予想していたが、改めて言われると難しい話だと思う。彼は腕を組んで考え込んでしまった。
「魔女の総意か?」
「いや。魔女の団欒はこれから行うけども、現時点で7名に話をした所6人の同意を得られた。かなりの確率で合意が取れると思う」
「僕個人としてもむしろ願ったりかなったりではある。人間の世界の話は我々でも情報収集ができるが、こと自然の世界の話になると魔女には敵わないからね。だが各派閥の連中が何というか」
「どういうことだ?」
フェアトゥーセが理解できないといった表情をするが、テトラスティンはうんざりした表情で返した。
「情けない事に、派閥の連中は権力争いできゅうきゅうしている。ここに魔女が同盟を結べば、誰が魔女と交渉するだの、主導権の取り合いになるだろうな。それだけならまだいいが、魔女に自分達の権益を取られるとかいう話も出るかもしれん」
「馬鹿馬鹿しい事この上ないわね。魔女は俗世の利益になど興味はないというのに」
「問題は、そういった認識をしている人間が少ないということさ」
テトラスティンはお茶のおかわりをリシーに注がせながら答える。
「だが同盟は必要な事だし、それは私の責任にかけて何とかしよう」
「いやに素直ね。裏があるのではないかと疑ってしまうわ」
「私はそれほど信頼ないのかい。こう見えても平和主義者なんだけどな」
「口にすると胡散臭いのよ。行動で示しなさい」
フェアトゥーセに厳しく指摘され、茶を飲みながら肩をすくめるテトラスティン。そして用事は済んだとばかりに魔女達は席を立つ。
「もう行くのかい?」
「ええ。こう見えてこちらも忙しいのよ」
「じゃあ大切な話をもたらしてくれた礼に、こちらも情報を」
テトラスティンは懐から本を取り出し魔女達に見せる。それはテトラスティンが解読していた本である。
「これは?」
「昔合成獣について研究していた魔術士の手記の一部だ。一応それ一冊は解読を終えたが、現在行われている合成獣研究よりも、既に数百年単位で進んでいる。その男は天才だよ」
「ということはまさか・・・」
「現在行われている魔王制作の、ひな型になった研究だろう」
テトラスティンの言葉に、フェアトゥーセがごくりと唾を飲んだ。
「これは・・・いつのものなの?」
「記録では300~400年前のものだ。それ一冊ではなんとも言えないが、研究も最初は種として、個体として純粋な強化を施したかったようだ。過酷な環境に対して、どのような種が強いのかを研究していたようだね。だが研究の趣旨はやがて変わり、強い個体がいなければ、最初から作ってしまえばいいという方向に向かっている。やがてその魔術士は禁忌の実験に手を出し始めた」
「・・・生物実験ね」
「その通り」
テトラスティンが暗い面持ちで語る。
「実験対象が人間に移るまで、そう時間を要さなかったようだ。その地方に行って記録を調べたが、同時期に神隠しが多発するという話が出ていた。そしてその時期の失踪者は実に500を超える」
「・・・なるほど、狂気の実験ね」
「それだけならまだ大したことはない。大量殺人ではあるがね。だが、問題なのはその狂気を受け継ぐ者がいるということだ」
テトラスティンがぴしゃりと言いきり、部屋に暗澹たる空気が立ちこめる。
「その人物を倒さない限りこの戦いは終わらない。むしろそいつを倒すことが最優先事項とも言えるね。そして彼らの拠点、つまり魔王生産工場は人里離れた場所が多いのではないかと思っている」
「そこで魔女の出番だというわけね?」
「そういうことだ。魔女にはそれらを探してほしい。発見したら後は我々が叩こう」
「良いのかしら? そんなこと言っちゃって」
「何がさ」
少し驚いたような顔をするフェアトゥーセに、テトラスティンが聞き返す。
「魔術教会の負担が大分大きいようだけど」
「ふん。各派閥の連中共もずっとここに引きこもっているから不毛な権力争いを起こすんだ。外に出てこき使えば、権力争いをする暇もなくなるさ」
「一石二鳥だと?」
「単純に、僕があいつらの相手をするのが面倒だとも言える。それに、適当に数が減ってくれればそののちも何かとやりやすい。一石四鳥くらいの効果はあるさ」
テトラスティンが本当にめんどくさそうに言ったので、フェアトゥーセは少し笑ってしまった。そのまま部屋を出て行こうとするフェアトゥーセに、テトラスティンが声をかける。
「フェアトゥーセ」
「まだ何か?」
フェアトゥーセはフードをかぶりながら、少し打ちとけた様子で返事をする。
「くれぐれも気をつけろ。この前、僕は誰にも内緒の行動にも関わらず襲撃された。敵はいつもこちらを見ているのかもしれない」
「魔女の団欒では、各属性を持った数十人単位の魔女が一同に会するわ。瞬間的にだけど、世界でも有数の戦力を持つことになる。そこに攻め込んでくるなんて、例え英雄王でも無謀な行動よ?」
「敵が一番恐ろしいのは得体が知れないことだ。これは非常に私達にとって不利な点だよ。いかなる状況でも心した方がいい」
「・・・忠告感謝するわ」
それだけ言うとフェアトゥーセ達は颯爽と部屋を出て行った。テトラスティンとてどう気を付けろとは具体的に言えないわけだが、このような行動を奴らが看過するのかは甚だ疑問だった。だがとりあえずテトラスティンはリシーに命じて各派閥の長を招集すると同時に、自分は他の書物の解読にかかるのだった。
続く
次回投稿は7/9(土)22:00です。
次回よりまた場面が戻ります。