開戦、その221~裏切り者と渇く者㊻~
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「ルナティカのやつ、勝手なことを――」
殿を引き受けながら、老練の傭兵が漏らした言葉をエルシアは聞き逃さなかった。
イェーガーは急速に大きくなった。そのせいで名前も知らない仲間がいるのも事実だが、ここまでの戦いぶりでこの老練の傭兵をはじめとした一党が信頼できるのは事実だ。エルシアは言葉にすることなく、老練の傭兵をじっと見つめた。それだけでこの男は何を言いたいか察してくれると思ったのだ。
老練の傭兵もまた、エルシアを信頼していた。ここまでの戦い方、そして戦いの流れの見極め方。まだ少女だが、戦場で生き延びることができる戦士だと認めていた。
「――ルナティカの奴、わざと目立って引き受けてやがる。おかげでこちらに敵が来ない」
「それが勝手なこと? ありがたいことだわ」
「それは本来、俺の役目だった」
老練の傭兵はエルシアにだけ告げた。歳経た傭兵は死ぬことまで仕事に含まれる。病を得た彼は、死ぬことを含めてイェーガーに雇われていた。決死隊に近い役割を率先して受ける代わりに、死ねば報奨金が遺族に入る契約になっているのだと。
個人としての技量だけではなく、指揮能力まで優れているはずの彼がどうして日陰者でいるのか、エルシアは得心がいった。
「死にたかったの?」
「次の儲け話があるとき、万全でいられる保証はない。死に時だと思っていた」
「なら、そういう星の下にいないのだわ」
「生き延びて何がある?」
「――そうね。少なくとも、この戦の結末を見られるわ」
エルシアは興味があった。誰もが知っている騎士の国アレクサンドリア。スラスムンドにいるころ、どれほど豊かな国だろうと夢に描いた。だが一つ裏を返せば、とんだ闇が隠されていた。
その一方で、イェーガーは傭兵団なのに、光が照らす道を歩もうとしている。いや、あるいはこれからの道そのものを切り拓くのか。歴史には興味のないエルシアでも、これから歴史が変わろうとしている瞬間に立ち会っていると考えるのなら、流石に興味が湧いた。
そしてその瞬間に立ち会えるのなら、どれほど険しい道のりだとしても苦労も犠牲も厭わない。かつて明日の食事のためなら身をひさいだり、あるいは豪商か貴族の妾になることすら考えた時代とはまるで違う心境の変化に、自分でもエルシアは驚いている。女を磨くことは当然考えているが、その方向性が変わりつつある。より自立し、一流の人間へ。その一流とは何かを考えるようになっていた。
輝ける瞳を向けるエルシアを見て、老練の傭兵は優しく微笑んだ。
「未来を考えられるのはいい。それが若さだ」
「あなたはもう若くないの?」
「夢は充分に見た、それなりに叶えることができた。年老いて引退を考えられるまで傭兵を続けられたのは幸運だ。多くは道半ばで、わけもわからず死ぬのが傭兵って職業だ。少なくとも、俺はそう思っていた」
「アルフィリースのせいで変わった?」
「変わろうとしている」
奉公人として消耗されるだけの学のない連中は、今や主人のやることを理解し、対等の立場に建とうとしている。
口減らしとして労働力として売られ、炭鉱でひっそりと死んでいった若者たちは、十分な補償と待遇、そして健康に留意されて、皆意気揚々と働いている。
奴隷に売られていたはずの少女たちは娼婦になることなく、自らの人生を選択できる機会を与えられるようになった。
「良いことだわ?」
「本当にそうかどうか、まだわからん。アルフィリース団長にだって寿命はある。彼女がいなくなった先に何が待っているのか――1度自由と良き暮らしを知ってしまった人間は、元に戻れない。余計酷いことにならなきゃいいが」
「何でも批判的な視線で見る。それこそが老いの証拠ではないの?」
エルシアの抉るような指摘に、老練の傭兵は苦笑いをした。
「そうか。老いたか、俺も」
「その通りだわ――あなた、本当に引退した方がいいかもね」
「ああ、そうだな。生意気な小娘が――」
老練の傭兵がエルシアの背を突き飛ばし、後方に剣を差し出した。その剣が宙を指すと、血が滲む。
「姿が見えない兵士――」
「行け、レイドリンドの連中だ。お前じゃまだ相手にならん。俺はこいつらとの戦い方を知っている」
「あんた、いったい!?」
エルシアが後退しながら、不審な目で老練の傭兵と見た。老練の傭兵は剣先で地面の砂を巻き上げると、その場に7人ほどの敵がいることがわかって。
エルシアは包囲の隙を見て、躊躇いなくその方向に走り出した。その背に向けて、老練の傭兵は語ってやった。
「元こいつらのお仲間で、お前たちの情報を流していた間諜さ!」
「なら、なぜ!?」
「寝返ったんだよ、イェーガーにな! 未来を繋げよ、ガキ共!」
老練の傭兵が見せた晴れがましい笑顔の意味を、まだエルシアは理解できない。その老練の傭兵に向けて、レイドリンドの剣士たちが悪態をついた。
「貴様、裏切るか!」
「はっ。姿を消しておいて、相手が油断したり弱ったところを狙う連中のお仲間をやっているのが恥ずかしくなってね」
「貴様、それでも元騎士か!?」
「るせぇ! 騎士が俺の家族を人質にした挙句、間諜の真似事をさせるかよ! あの傭兵どもの方が、よっぽどまっとうに生きてやがるぜ!」
老練の傭兵の正体を、ラインとリサは知っていた。その上でアレクサンドリア近辺に踏み込んだ時、ラインは軟禁されていた男の家族をひそかに助け出した。そして告げたのだ。誰のために死ぬのか、よく考えろ、と。
老練の傭兵が病を得たのは本当のことだ。老練の傭兵はこの決死隊を志願した。そして、同様の状況に近い連中を半数選抜した。すると、残りを生かすために動けと命令された。老練の傭兵は喜んでその命令を受けた。
なのに、先の戦いでそれ以外の仲間が死んでしまった。死を賭しても、時に理不尽な結末が訪れることは知っている。だが同時に、レヌールの代わりがいないことを老練の傭兵は知っていた。そしてエルシアの勘の良さと素質を見て、これからのイェーガーに不可欠だと考えたのだ。他の者も、いずれも死なすには惜しい。
「お前ら、過激派なんだろ? 途中からずっと俺らを尾行していたよな? 王宮がこんなになっていたことも、とうの昔に知っていただろ? それでいて、我慢の限界を迎えることを待っていたんだよな? つまり、アレクサンドリアが滅びることを望んでいたわけだ。もう、お前らはレイドリンドどころか、騎士とも呼べねぇ連中さ。自分たちでわかっているか?」
「・・・」
「うちの副長は知っているぞ? 途中から俺が逆にお前らの情報を流していたからな。お前らのまとめ役が誰かも、もう知っているぞ?」
「・・・死ね!」
ああ、これでいい。これで連中は俺の方に向かってきてくれる。老練の傭兵は自らの任務が達成されたことを知った。あとは刺し違えれば、最上の出来だ。
老練の傭兵は、自らの人生に最高の幕引きを用意してくれたイェーガーに感謝していた。こうなることを予測して、その非情ともとれる命令を下すときに、苦しそうな顔をしていた副長の顔が脳裏に浮かんで、老練の傭兵の剣は人生で一番の冴えを見せたのだ。
続く
次回投稿は、6/11(日)6:00です。