開戦、その216~裏切り者と渇く者㊶~
***
「通路向こう、対側に3、手前に1」
レヌールの指示に応じて、傭兵たちの武器が無言で煌めく。イェーガーの精鋭たちは最初こそ慎重になっていたが、レヌールとの連携に慣れるにつれ、ほとんど瞬間的に反応して敵を仕留めるようになっていった。
相手は質の低いサイレンスの人形兵。敵の反応は鈍く、レヌールがこちらの気配を消しながら先に感知できる以上、不意をつけない道理はない。5体以上の相手であれば少々慎重に行動するが、4体以下ならば躊躇うことなく行動に移し、機械的に敵を始末していった。
「巡回兵8体、7つ数えたら接敵」
レヌールの指示で傭兵たちの足が止まる。ワヌ=ヨッダの戦士たちは元来森林戦闘や夜戦、奇襲を得意とするから、投擲武器や弓矢を得意としており、さらには指先さえひっかけられるのなら、天井のような場所に伏せて頭上から襲い掛かることもできる。
ロゼッタの特殊兵もそれは同じで、壁に引っかかるような鉤爪を使って、壁の上方に待機することができた。
巡回兵8体は曲がり角を半ば出たところで、物陰から飛び出た傭兵に驚き武器を構えたが、彼らにはすぐに味方に連絡するという機転はきかない。前方に注意したところを頭上背後から襲い掛かられ、混乱したところを風のように躍りかかったルナティカによって切り刻まれた。
彼らはそのあたりの物陰や小部屋に塵になった人形兵の残骸を押し込めると、次の作業に取り掛かる。精鋭たちはあっという間に謁見の間に辿りついた。
「この中には誰もいません」
「普通はこういうところに重臣が集まって、喧々諤々の論議をやるはずだがな」
元下級貴族でもあったイェーガーの傭兵がぼそりと呟く。ルナティカが念のため慎重に扉を開けると、そこにはやはり誰もいなかった。
謁見の間は広く、戦争中であれば軍議も行われることが多い。そのため専用の小部屋を設けてある国もあるが、貴族社会の序列を守る一般的な軍議は公明正大に行われるべきだとの考えから、謁見の間が一度も使われないことはありえない。特に、今回のようにディオーレ率いる「反乱軍」が組織された場合、王の命令を受けてその討伐に向かう軍隊の総大将に任命されることは名誉でもある。任命は謁見の間で行われるべきだから、既に戦争に入っているこの時期に謁見の間が使われていないことなどありえない。
それなのに。謁見の前には埃が降り積もり、足を踏み出すと埃が絨毯からふわりと舞った。謁見の間に差し込む光に反射して、室内がきらきらと輝いた。
「最低半年――いや、もっと使っていなさそう」
「どうやってアレクサンドリアは、ディオーレ率いる反乱軍への討伐を派兵した?」
「人形なら以心伝心。命令の必要すらないだろうよ」
「すでにそこまでこの国は壊れていたのか。ライン副長の提案だけじゃなく、ディオーレ率いる反乱軍以外にも反乱軍が組織されるのも当然だな。互いに情報交換をしていれば、主だった貴族に出陣命令がこないことを訝しがる連中は多いだろう」
傭兵たちが口々に言いながら、謁見の間をゆっくりと歩いて警戒する。由緒あるアレクサンドリアの謁見の間は、それは荘厳かつ質実剛健な造りだった。天井は高く、意匠こそ古めかしさを感じるが、歴代の勇士たちを象った彫像や、歴史に残る会戦の様子を描いた絵画が飾られており、その中にはディオーレの姿もあったのだ。
騎士でなくとも、誰もがそこで王に騎士としての名誉を賜ることに、憧れない者は少ないだろう。その証拠に傭兵たちが嘆息を漏らしたところで、ルナティカとレヌールが謁見の間の奥に続く回廊に視線をやっていた。
「あれ、王様の私的な空間に続く?」
「・・・おそらくは。ただ」
「ただ?」
「異臭がします」
「――なるほど」
レヌールの嗅覚もまた常人以上だが、ルナティカも五感を強化して嗅ぎ取った異臭は、慣れ親しんだものだった。死臭である。
ルナティカが手を挙げると、気をとられていた傭兵たちの空気が引き締まる。彼らは慎重に奥の回廊へと進み、やがて静謐な空間へと出た。それは天井のある宮殿にある庭園だったが、草は伸び放題で水は濁り、既に魚も息絶えていた。四阿に置いてある果物は、腐って朽ちていた。
「誰も世話をしていないのか」
「ここも長く使われていないみたい」
感想に応える者はいない。天井には窓があり十分な光が入るだけに草は伸び放題で、誰も使う者のいなくなった庭園の荒廃ぶりをまざまざと映し出していた。
そのまま静かに奥へと進んだところで異臭に気づく者が出た。そして羽音と、足の裏に伝わった何かを潰したような感覚に、エルシアが小さく嫌悪の悲鳴を上げた。
続く
次回投稿は、6/1(木)7:00です。