開戦、その210~裏切り者と渇く者㉟~
「ようやくお声がかかったじゃない。待ちくたびれちゃった」
女中の一人が両手のトンファーを回しながら、靴を鳴らして過激派の前に立ちはだかった。動きやすくするために裾はすでに大きく破き、ひらひらとしたエプロンも脱ぎ去り、トンファーを隠していたであろうゆったりとした袖も取り払っていた。
ラインが安心したように息を吐く。
「正直、いるかいないかわからなかった。割と賭けだったな」
「上手く化けたものでしょう? 他の子たちほどじゃなくてもね、このくらいの変装ならお手の物よ」
「そ、そなた――女中ではないのか?」
第二王妃が驚いたような表情をしているのを見て、バネッサが苦笑した。
「王妃殿下におかれましては、もう少し内務に信用のおける者を雇うことをお勧めいたしますわ。いかに戦時に危険を悟って多くの者に暇を出したとはいえ、金を少しつかませるだけでお傍仕えに滑り込めるようでは、いつ暗殺されてもおかしくはありませんわ。実際、この半月で三度、暗殺未遂がありましたし」
「む・・・う。礼を言うべきなのだろうな?」
「それはそうですが――礼ならばそちらの副団長殿に。私はそちらの副団長殿に雇われて動いているだけですから」
バネッサがつらつらと述べたが、ラインはそこまで細かい指示は出していない。出したのはアレクサンドリアの王宮内に潜伏することだけで、彼女がここに潜入しているのは偶然に過ぎない。定期的にウィスパーの使い魔を介してここにいるとは連絡を受けてはいたが、第二王妃を守れとは命令していないのだ。
サービスだと言わんばかりにバネッサがラインにウィンクしてみせたが、ラインもこれには思わず笑ってしまった。バネッサの助力がなければ本格的な危機に陥るところだったし、これで第二王妃に貸しすらいくつかできてしまったではないか。
バネッサがひゅん、とトンファーを回すと、過激派の騎士たちがびくりとした。この狭い場所では、バネッサの武器の方が有利なことは明白。剣を振り回せば、同士討ちの危険すらある。第二王妃が寡兵とみて踏み込んだが、イメル以外にこれほどの腕利きがいるとなれば、逆に身動きが取れない。
半歩たじろいだ騎士たちを見て、バネッサが嗜虐的な笑みを浮かべる。
「かわいらしい騎士たちだこと。時間をかけてたっぷりお仕置きしたいところだけど、全員やっちゃっていいのかしら、ライン副長?」
「任せる。俺はこのダミアンに用がある」
「じゃあそれ以外は私が食っちゃうわね。さぁて、レイドリンドとやるのは久しぶりだけど、粋がったはみ出し者たちの実力は如何ほどかしらね!?」
バネッサが歩くように進み出ると、最初の一人が応じるように躍りかかる。その騎士が上段から剣を振り下ろす前に、バネッサの右手がふっと消えるように動き、騎士の顔をかすめた。
びちゃり、と何かがほかの騎士の顔に叩きつけられる。それが砕き抉られた顎だとわかると、次の騎士たちが4人同時に猛然と躍りかかった。
「はははっ、気合入れてかかってきなさいな。今日は得物に制限はありませんからね、お姉さんは強いわよ?」
襲い掛かろうとした騎士どうしの体がそれぞれ邪魔になった瞬間、バネッサが腰をすっと落として、両腕が掻き消える。それが連続四段突きだとわかったのは、騎士たちが悲鳴一つ上げず倒れ、全員が喉を潰されていると見えてからだった。
狭い場所で次々と襲い掛かる騎士たちと対照的に、バネッサはゆっくりと優雅に歩くようにして前に出た。トンファーは近接だけでなく中間距離の攻撃も兼ねることができ、また小手の代わりにもなる。騎士たちの攻撃は受けられ、いなされ、すれ違いざまに急所を潰されていった。あるいは予想もしない距離から攻撃が飛んでくる。体術も超がつくほど一流なバネッサは、十数名の騎士を一人で押し返して扉から押し出すと、優雅に部屋の中の一堂に裾をつまんで一礼する余裕すら見せて、そのまま後ろ手に扉を閉めて外に出て行った。
その様子を、ライン以外の面子は茫然と見送った。
「・・・なんだありゃあ、規格外にも程があるぞ。なんて化け物をイェーガーは飼っていやがる。コルヴァはレイドリンドでも割と上の方に位置するくらいには実力があるのに、それを三合で部屋の外に押し出すたぁ、どういうこった」
「一応外部委託なんだか、俺の知る限り近接戦最強の一人だろうさ。さて、ダミアン。聞きたいことがある」
「――お優しいことだ。ここまで来て、私に聞きたいことですって?」
ダミアンが動揺を悟られまいと強気の姿勢を保ったが、ラインは怒りの表情を隠そうともしなかった。
「何を勘違いしているか知らねぇが、お前を切り捨てるのは決定事項だ。せめて騎士らしく死ぬか、道端の畜生のように這いつくばって死ぬか、選べって言ってんだよ。お前の主は誰だ、言え!」
「いませんよ、そんな者は!」
ダミアンが斬りかかってきた。大上段からの躊躇ない振り下ろし。思えば、冷静でありながらこういった思い切った剣術を得意としたダミアン。心の内には激情を潜ませていただろうことを見抜けなかっただけでも、若かりし頃の不明をラインは恥じる。
ダミアンの大上段から始まる一撃は、後方にかわすとそのまま連続攻撃につなげられる。一撃必倒の振りでありながら、連続攻撃にもつながる変化の多様性もある。何度も手合わせをするうちにその癖を覚えていたので不覚を取ることはほとんどなくなっていたが、初見でこれほど厄介な攻撃もないだろう。そして、今まで見せたことのない手札があるはずだ。
続く
次回投稿は、5/20(土)8:00です。