開戦、その209~裏切り者と渇く者㉞~
「コルヴァ、お前――」
「・・・意外でしたか?」
「いつからだ?」
「途中までは本当にあなたの部下でしたよ。だけど、それじゃあ永遠に我々は日の目を見ることができないのでね」
イメルがやや呆然とした表情で、先頭で入ってきたコルヴァを見ていた。それで隙を作るほどではないとはいえ、部下であったコルヴァがダミアンの後ろに立っているのが余程意外だったようだ。
イメルはドーナの方をちらりと見たが、ドーナは室内で抜剣した騎士を切り捨てながら、青い顔でイメルに向けて首を振った。どうやらドーナは裏切っていないようだが、彼女にとってもコルヴァの裏切りは予想外だったようだ。
第二王妃側につく兵士は寡兵を悟り、一斉に第二王妃の周囲に集まって防御陣形を取った。部屋の片隅では女中たちがかたまって震えている。圧倒的優位を悟ったのか、ダミアンがほくそ笑んだ。
「レイドリンドの掟は厳しい――ようでいて、最近はレイドリンドも家柄だの、派閥だの、最近は剣の実力以外のことで五月蠅くなってきた。ベッツ殿がレイドリンドを出たのは正解だったのだろうな。こんな惰弱で迂闊な女が、一つの派閥を率いて我が物顔にふるまうのだから」
「――おい、そりゃああたしのことを言っているのか?」
「お前以外に誰がいる。ベッツ殿がレイドリンドにふさわしくないと散々言いふらした挙句、その兄が戻ってくるなり一蹴された妹殿?」
イメルの額に青筋が浮かんだが、イメルは殺気を抑えて息を長く吐いた。
「下手な挑発だね。その惰弱な女が怖いからこれだけの人数を集めたんだろ? 残念だが烏合の衆が何人集まったところで、あたしをやれはしない――」
「あなたには興味がありませんよ、つけあがらないでください。私たちが興味をもつのはラインハルト隊長だけ。彼を生かして捕えるための手勢です」
「はっ、過大評価してくれてありがたいがね。生け捕ったところで俺がお前たちの言うことを聞くと思うか?」
「聞きますよ、そこの娘を人質にとって、隣で指を一本ずつ切り落とせばね。かつての恋人に瓜二つの少女が泣き叫ぶ姿に、耐えられるほど冷酷にできていましたか、ラインハルト隊長?」
「・・・テメェ」
少女を前に口にすることではない。現にジネヴラは顔色を失くし、震えている。ラインはダミアンの隙を引きずり出そうと先ほどからあれこれ仕掛けているのだが、ダミアンがそれにつられない。元から腕の立つ部下だったが、どうやらさらに腕を上げているらしい。少なくとも師団長級。いつの間にここまで腕を上げたのかと。厄介な相手だと、ラインは舌打ちした。
もしくは、最初から嘘をついていたか。正面切っての戦いでは命がけになることは必至だ。ならば、揺さぶるしかない。
「テメェ、いつぞや口にしていた理想は戯言だったかよ?」
「理想? はて、何のことやら」
「アレクサンドリアをもっと豊かな国にするって話だよ。身分格差をなくし、平等に機会を与えられるようにするって熱っぽく語ってたじゃねぇか。普段は鉄面皮のお前が、あの時だけは熱に浮かされたような顔をしやがった。ありゃ嘘か?」
「ああ――若気の至りとはいえ、嘘じゃありませんとも。そのためにも、現王家の血筋は邪魔なのです。腐った体制は一度崩壊させねば、新しい国を作れません。大人しく退陣してもらったとしても、やはり昔が良いのだと担ぎ出す連中が現れるでしょう。これは好機なのです。世継ぎが少なく、たやすく争いの種を根絶やしにできる、絶好の好機。アレクサンドリアを作り変えるには、今をおいて他にない」
「――なるほど、お前たちが過激派か」
いつかイブランが言っていた、主張を押し通すためなら殺人や軍事革命も辞さない過激派たち。慎重で中々証拠がつかめないと言っていたが、それがこいつらだとラインは確信した。狂気じみた気配、決してこちらの話を聞かない頑なな態度と考え。それらを彼らは信念と思い込んでいるが、ラインに言わせればただの我欲と暴力の塊だ。もっと言えば、子どものうわついた理想論と駄々に近い。
事、ここに至ってしまえば話し合いはできない。時間稼ぎにいかほど意味があるかと考え、ラインが次なる一手を打とうとした時、ダミアンが許されない一言を吐いた。
「過激派などと失礼な。我々こそが正統なのです。だって、そこの娘は生まれながらに穢れているでしょう? アレクサンドリア王家の血筋に穢れた者は不要です」
「――おい、テメェ。それ以上言うな。生まれる前のこの子に何の責任があるってんだ」
「いいえ、ありますね。咎は一生背負って生きるべきです。その姫に聞かせてあげたらいかがですか? 王太子に数か月にわたって監禁されたせいで孕み、それをなかったことにしようと兄を含んだ側近に集団で襲われ、挙句王家の命令に逆らえない父にまで――」
「黙れ、貴様ぁ!」
ジネヴラの耳はイメルが塞いでいた。だがラインはそんなことを気にする余裕もないほど、頭の中が一瞬で沸騰していた。理性は消えた。イェーガーのことも、自身の命も度外視していた。ただ、それでも常に生きるために策を廻らし、周囲のことを見てきた癖は消えなかった。
ラインの居合は単調に過ぎた。それでもなお、ダミアンは受けてなおラインの剣が鎧に届いたことに寒気を覚えた。
「――ふふ、怖い怖い。さすが隊長だ。衰えているどころか、ますます冴えわたっているじゃあないですか。さすが統一武術大会の優勝者。それでこそ王にふさわしい!」
「まだ言うか!」
「ええ、いくらでも言ってあげますとも。あなたをこちらに引き込むためならね! 私を倒せたとしても、この狭い場所でこれだけの腕利きの騎士たちを突破できると思わないことだ」
「そうだ、俺には無理だな。俺にはよ。俺の戦い方は、狭い所に向いてないからな」
「?」
「やれ!」
ラインの声と共に飛び出す影があった。飛び出した影は瞬く間に数人を薙ぎ倒し、打ち据え、部屋の一画を陣取って見せた。その早業と実力に、部屋に飛び込んできた者たちが一斉に目を剥いた。
続く
次回投稿は、5/18(木)8:00です。