開戦、その207~裏切り者と渇く者㉜~
「ジネヴラ様、こちらへ」
ドーナに導かれて部屋に現れたのは、少女にすらなっていないような儚い女の子だった。まだこの状況が呑み込めていないような、ただ翻弄されるだけのような。不安な光を瞳に宿したその少女を見て、ラインはその身を硬直させてしまった。
「似ている・・・」
思わず感想を口に出したのも、無理からぬ。ラインの思い出にある令嬢と、ジネヴラは瓜二つだった。憎きあの男の面影など、微塵もない。思い出にある令嬢をそのまま時を戻した彼のような少女がそこにいたのだ。違うのは、まだ自分が何者であるかを理解していないその点だけか。
第二王妃は、優しくジネヴラの手を取って傍に寄せた。その手を拒まないだけでも、第二王妃やその周囲がジネヴラを粗雑に扱っていないことがよくわかる。
「不自由をかけてすまないね、ジネヴラ姫。この者がお前に会いたいそうだ」
「この男の人が?」
「そうだ。お前の本名を名乗ってよい相手だよ、信用できる」
その言葉の意味をすぐに理解したのか、少女の居住まいが急に凛として整った。
「私の――いえ、妾の名前はジネヴラ=カレスレアル。成人前、そして即位前であるゆえ、洗礼名を名乗れぬことを許されよ」
「丁寧な紹介、痛み入ります。我が名はラインハルト=アコーレイズ=ヴィルヘルム。かつて騎士だった頃にはそう呼ばれて――呼ばれる予定でした。今はただのしがない傭兵のライン。そうお呼びいただければ」
「アコーレイズ!? それって――」
ジネヴラの引き締まった表情が、驚きで少女の表情に戻る。ジネヴラはどうやら貴族としての教育を施されていたようだ。驚いたのは、第二王妃以外のイメルを含めた全員だった。
「王家より直接賜る、剣の称号。このアレクサンドリアにおいて、最高位の洗礼名。あなたは貴族なのですか?」
「いえ、父は一代限りの武名による準男爵位でしたが、私自身は平民にございます」
「・・・王妃様、このアレクサンドリアにおいて、わりとあることなのですか?」
「いえ、ございませんわよジネヴラ姫。歴史において平民が賜ったのは、たったの3度。1人は初代アコーレイズで、王の側近であった親友です。2人目は、人生において魔王を3度討ち果たした豪の剣士。この者は3人目にございます」
「では、それだけの実績を?」
「実績はございませんでしたが――それだけの期待をなされた若者です。2代目のアコーレイズを知っているディオーレ殿の推薦ですから、間違いないでしょう。何を隠そう、私が許可しました。ここのこの者がいることは行幸。必ずや御身の力となりましょう」
「・・・素晴らしいわ」
ジネヴラはまじまじとラインの表情を見た。だが、その仕草がラインには苦しかった。小首をかしげる角度、疑問に思った時に片方の眉だけが動く癖、興味があると、少しだけ鼻がひくついてしまうことも含めて、全てが彼女に似すぎている。今すぐにでも叫んでここから逃げ出したかったが、それは立場上決して許されない。
拷問のような感動の再会の時間が過ぎ、ジネヴラは力強く頷いた。
「彼を私の騎士に任じてもよいのですか?」
「もちろんです。彼もそれを望んで――」
「ちょっと待ってくれ、まだ俺は話を受けるとは言っていない」
ラインが俄かに否定したことで、ジネヴラの表情がさっと曇り、第二王妃が驚きの表情に変わる。だがきっぱりと言っておかねばならない。貴族相手になし崩しや、曖昧な表現は危険なのだ。
第二王妃の顔が険しく変化する。
「なぜじゃ? そなたにとっては旨い話以外の何物でもあるまい」
「王妃様、それはアレクサンドリアの価値観だ。イェーガーじゃなかったら、俺も即答したかもしれん。だが、今の俺は傭兵のラインだと先ほども申し上げたはずだ。その立場もある」
「騎士としての名誉よりも、傭兵として受け取る金銭の方が大切というのかね? そんな即物的なのが貴様の望みか?」
「先立つものを蔑ろにする気はないが、イェーガーってのはそれだけじゃないんだ。団長の女は遥か先を見据えて行動している。この争いを超えて、国を超えて――人と、それ以外の行く末を見ている。彼女が何を成し遂げるかを、俺は見てみたいと思った。今の立場はそれがもっとも近くで見れる特等席だ。いくら金と名誉を積まれても、これを手放す気はない」
「ではこの子のことはどうする?」
「それを片付けるためにここに来た。これは貴女ではなく、この子に――ジネヴラ姫に直接問いたい」
ラインはジネヴラに向き直ると、居住まいをただした。
「ジネヴラ姫――いえ、あえて王女とお呼びしましょう。王女はこの国をいかがしたいとお考えですか? 覇権を我が手に握る? それともこの国を平和にしたい?」
「貴様、その問いかけは――」
「黙ってくれ、大切なことだ。俺にとってだけではなく、貴女がたにとっても」
第二王妃は難解に過ぎる問いだと思った。だがラインはそう考えていない。王としての資質をこの子が備えるなら、年齢によらず国のことを考えている。逆にそれがないのなら、このまま第二王妃の下にいても、また同じ不幸が繰り返されるだろう。
ラインは、ジネヴラの王としての資質を問いかけたのだ。ラインの問いかけの重大さがジネヴラにもわかったのか、ゆっくりと目を閉じた。答えを探しているのか。いや、違う。答えはもう出ているが、言葉を選んでいるのだ。ラインが視線を外すことなくジネヴラを見つめていると、ジネヴラがゆっくりと答えた。
「――せめて、皆で泣ける国でありたいと思います」
「泣く、ですか。笑う、ではなく」
「はい。泣く、です」
ジネヴラはゆっくりと頷いた。
「私は泣けなかった。母と父のことを詳しくは教えてもらえませんでしたが、私は父と母がいないことを、本当に悲しんで泣いたことがない。今も同じ状況です。辺境で、あるいはこの瞬間も国のために血を流す者がいるのに、それぞれが自分のことばかりで、他人のために涙を流してあげられない。いったいいつから、この国はこうなったのでしょう? 誰もが求めることは同じであるはずなのに」
誰もが言葉を失くしていた。
「私は涙を取り戻したい。隣にいる者のために流す涙を、あるいは国のために戦い死んだ者のために流す涙を。それがなくなったから、この国はこうなった。私は、そう考えています」
「――なるほど」
確かに王の資質がある、と考えた。サイレンスの人形は涙を流せないはずだ。ジネヴラがそのことを知っているわけではないだろうが、実にこの年齢にして本質を見抜く力がある。そして目標のために、血を流すことも厭わぬ強さも。
生まれながらに、アレクサンドリアの王だ。そうラインは感じた。それがわかり嬉しくもあり、悲しくもあった。彼女との道は、決して同じにならないとわかったから。
ラインは覚悟を決めた。傭兵として、一個人として、彼女を守る必要ができた。だからこそ、この部屋の中にある違和感を排除しなくてはならない。たとえそれが、生死を賭けることになろうとも。
続く
次回更新は、5/10(日)8:00を予定しています。