開戦、その197~裏切り者と渇く者㉒~
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「――静かだな」
ラインはかつて慣れ親しんだ道を進みながら、突然そんなことを呟いた。アレクサンドリアの治安は良いとはいえ、裏通りにはやはり浮浪者や浮浪児がいるものだ。それは首都でさえも変わることがない。いや、なまじ盛り場が多いせいで残飯が豊富な分だけ、浮浪者は多かったかもしれない。
だから大通りも裏通りも、種類が違うとはいえ常に活気があった。表通りでは人類最古の大都市にふさわしい賑わいと喧騒があり、裏通りでは暴力と怒声と、それに伴て人情味あふれた物語が時に展開されていた。
だから、首都を度々出入りしていてはずのラインでさえ、このように静まり返った首都は初めてだった。戦いの喧騒すらない、全てが死に絶えたかのような都市。いかにサイレンスの人形兵が侵食していたとはいえ、これほど静かな都市がありえるのかとラインは疑ってかかっていた。
「あ、あの。副長、少し待って」
「なんだ?」
突然、ラインの背後から声がかかった。声をかけたのは、リサが肝入りで育てたというセンサーの少女、レヌール。リサが信用し、かつ代替を務められるほどのセンサーは現在3人いるとリサが紹介してきた、そのうちの一人でもっとも年若い少女だ。
そうは言っても年はリサと同じなものの、おずおずとした態度のせいか、見た目は悪くないのにリサよりも幼く見える。正直ラインの印象にも残っておらず、アレクサンドリア近郊に住んでいた奉公人の娘と言われて少し親近感を思い出す程度だった。
奉公人が勤め先を失い、子どもをギルドで働かせるのはよくある話だ。だが命の危険のある傭兵ギルドではなく、多くは商人ギルドで遠方に働きに出るか、あるいは娼館ギルドが多い。娼館ギルドとはいえ、命の危険は傭兵ギルドに比べれば少ないのだから、就職先としてはさほど悪くないと考える親だっている。貧しいが、死ぬよりは――そう考えることがラインも悪だとは思わない。
ならば、売られたか。奴隷ではないが、傭兵ギルドの生死不問の依頼に送り込まれる貧農は多い。このレヌールも聞けば最初はそのようなものだったそうだが、そういった類の依頼で何度も生き残り続けたらしい。
「か、勘に従って生き延びていました・・・」
レヌールのその言葉に、リサが才能を見出して今に至る。リサ曰く、
「センサーの基本的な能力は鍛練で上昇しますが、天性の領分は鍛えようがないので。相当な拾いものですよ、彼女」
ということだった。リサの区分けでは、危機感知型のセンサーだそうだ。そのラインが足を止めると、ラインの背後数歩先で、家屋から外れた看板が落下してきた。
ラインが進んでいれば、直撃してもおかしくない間合い。死にはしなくても、こんな間抜けなことでそれなりの打撃を受けていた可能性はある。まさか、これを見越して声をかけたというのか。
ラインが驚いた表情で再度レヌールを見ると、幼さの残る三つ編みの少女は、肩を竦めて肯定した。
「あ、はい。もう大丈夫です」
「なるほど。団で三指に入る、ね」
「そ、そんな大層なもんじゃ。あ、でも」
レヌールが再度手をかざした。それは空気の流れを読み取っているようでもある。リサとはまた違う、感じ取り方。
「次の次の角で、一度伏せた方が良いと思います」
「その心は?」
「敵のセンサー範囲に入ります。副長が向かっている先、おそらくは伏勢がたくさんいますので」
「俺の向かっている先がわかるのか?」
まだ目的地は誰にも説明していない。それを聞いてまずいと思ったのか、レヌールが慌てて両手を振って否定した。
「あ、わわ。まずかったですか?」
「いや――逆に聞くが、どんな建物だ?」
「少し細長くて、背が少し低い――周囲の建物よりも少しだけみすぼらしいけど、基礎設計がしっかりしていて、頑丈な建物です。内装は高くはないけど洒落ていて――」
「そこまでわかるのか。おい、敵は何人だ?」
ラインの言葉に、レヌールが再び手をかざす。その額には少しだけ汗が滲む。
「全部で13、14・・・15人。どこにいるかまで情報が必要ですか?」
「ああ、欲しいな。他には?」
「奇襲をかけるのでしたら、建物に入るまでは気付かれず援護することができそうですが、いかがなさいます?」
「三か所同時にできるか?」
「窓の数だけなら、全て問題なく」
「――使えるな」
ラインがにやりとすると、レヌールの忠告通り仲間の配置を決めていった。
続く
次回投稿は、4/26(水)10:00です。不足分を連日投稿で補います。