開戦、その196~裏切り者と渇く者㉑~
「ライン。あなた、何を隠しているの?」
「・・・隠しているわけじゃないさ。確信がないだけだ」
「それは良い方? それとも悪い方?」
「どっちにもなるだろうな。だが最上の目が出るなら、俺たちの勝利が決定的になる」
「どんな些細なことでもいいわ、話して」
「言えない――いや、言いたくないな」
「私にも?」
アルフィリースは傍にいたリサに視線で合図をした。リサはその視線の意味を悟ると、無言で頷きその場を去った。中の結界は維持されたままだ。ここにはアルフィリースとラインしかいない。
アルフィリースはゆっくりと席を立つと、ラインの肩に手を置いた。
「私はあなたを信じているわ。このイェーガーには多くのかけがえのない仲間ができた。最初はあなたのことをどうかと思ったけど、あなたのことを多くの仲間が信じているし、今では私もそうよ。あなたの視点や考え方、行動は私にはない可能性をくれる。あなたがいなければ危ない場面は何度もあったし、今までずっと助けられている。いつかの夜に言った言葉を?」
「――俺が必要か」
「ええ、そうだわ。それはきっとこれからもそうよ。だからあなたが苦しんでいるなら、これからも支えてあげたい。私にできることなら、全力であなたを支えるわ。その考えはおかしいかしら?」
「――いや、俺が頼るのが苦手なだけだ。アルフィリースは何も悪くないさ、全て俺の問題だ。わかった、話す。だが確認が持てないことだ、戦略に組み入れられるかどうかはわからん。それに愉快な話じゃない、心して聞いてくれ」
「ええ」
ラインは語った。かつてカレスレアル令嬢との間に何が起き、どんな感情を抱き、そして彼女とその家族にどんな悲劇が起きたかを。それはアルフィリースやリサがどんなに手を回しても調べれらなかった真実。あのウィスパーでさえ、知り様もない事実だった。知っている者は全て燃えて灰になった。アルネリアの記憶を辿る魔術ですら、燃えて灰になったものからは読み取ることができない。
真実を知るのは、この世にラインだけ。アルフィリースは真実を知る2人目になった。全てを聞き終わったアルフィリースは体の力が全て抜けたかのように椅子に倒れ込み、そして頭を抱えた。
それを見たラインは、薄く感情のない笑みを浮かべた。
「聞いたことを後悔しただろ?」
「――ごめんなさい、その通りだわ。聞いた私でさえ、まだ混乱してる。私があなたなら――アレクサンドリアを灰燼に帰したかもしれない。そんな惨いことが本当に行われたなんて――ごめんなさい。私の過去とは比較にもならないわ。あなたは一人でこれを抱えていたの?」
「苦しみなんてものは比較する様なものじゃない。それに、俺だって酒に女に、そして騎士を投げ出して逃げたさ。だけど全ては、良かれと思って始められたことだったはずだ。誰もが明るい未来を考えていたのにこうなったのは、破滅を願う奴が間にいたからだとようやく理解できるようになった。俺は全て愚かな王太子が全て悪いんだと思っていて、そして騎士や国という者がなければと憎んだ。だから傭兵になったんだが――本当にサイレンスが関わっているのだとしたら、到底俺は奴を許せん。奴の本体なる者がいて、それが目の前に現れたら――俺は自分を制御できる自信がない」
「しなくてもいいと思うし、私だって同じ気持ちだわ――でもあなたが暴走することで何かまずい影響がでるとしたら、私がちゃんと止めてみせる」
「そいつは信頼できそうだ」
ラインはくっ、と自嘲気味に笑うと、いっそ清々しい笑みを浮かべて見せた。その笑みを見て、アルフィリースは理解した。ラインはいつも皮肉を言っているのではない。おそらくは、本当の意味で笑うことを忘れてしまったのだ。この笑みは自分に対する最大の信頼と、そして心配をかけまいとする彼の気遣いだった。
アルフィリースはラインに伸ばしかけて手を胸の前で止めた。今の自分に、彼にかける言葉はない。自分は、ラインにとっては仲間でしかないのだから。そこから先に踏み込むことはできないし、してはいけないとも思う。少なくとも、そんな覚悟はアルフィリースにはなかった。
アルフィリースは心を落ち着けるように長く息を吐くと、表情を引き締めてラインにあえて命令した。
「ではイェーガー団長として、副団長ラインに命じます。可能であれば件の人物を奪還し、我々に有利になるように利用しなさい。全ての責は私が負います」
「承知した、団長殿。今俺が一番欲しい言葉だ。だが、俺が万一暴走して――団のためにならないとしたら、俺を切って捨ててくれ」
コーウェンが考えていたことは、既にライン自身の口から発せられていた。アルフィリースはその言葉を聞いて、泣きそうな笑顔を浮かべた。
「馬鹿ね、それは私があなたに頼みたいことだわ」
「じゃあ、互いにそういう契約にしようか」
「契約じゃなくて、約束がいいわ」
「アルフィリースがそう言うなら、それで」
ラインが手を出すと、アルフィリースは素直に受け取った。思えば、ここまでラインの手を素直に取ったのは初めてだったかもしれない。
「武運を」
「ああ、互いに」
固い握手が交わされた時、彼らは心が通じ合う本当の仲間になったのかもしれない。
そして時は今になり――ラインは自分しかしらない場所にいるはずの、ある人物を探していた。もしいるなら、イェーガーにとって、そしてアレクサンドリアにとって最重要人物となることは間違いない。その人物すら確保できればこの戦争を勝利に導き、一致団結したアレクサンドリアはローマンズランドすら撃退するだろう。だが、ライン個人としてはいなければいいとすら思っていた。いれば、悪夢の続きが再開されるからだ。
だが同時に、確実に存在することも知っている。なぜなら、彼女が正気の時に残した手紙が、そう示していたからだ。
「行くぞ」
「どこに?」
隣にいるルナティカは怪訝な表情をしたままだ。だがラインはそれを無視して、歩みを速めた。どんな状況になっても、火の手が上がってもその道筋を間違うことはない。かつて自分が何度も足繁く通った場所だからだ。
身分ある彼女と逢引するため、そして将来的に別宅や仮住まいとして使うことも考えて、2人で選んだ仮住まい。士官学校時代に身分を隠して実戦経験を積むために傭兵として登録した、彼女の偽名で用意した2人だけが知っている家。彼女の引退した乳母に貸し与え、今ではその人物と一緒に過ごしているはずの家だ。
――そう。ラインが殺した王太子と、カレスレアル令嬢の――存在しないはずの正当なアレクサンドリアの後継者が、そこにはいる。
続く
次回投稿は、4/22(土)10:00です。