開戦、その189~裏切り者と渇く者⑭~
それを見た瞬間、尋常ではないことが起きたのだと理解した。辺境の王種を前にしても顔色一つ変えない女傑が、真っ青になっていたからだ。
「黙っていようかと思ったのだが、さすがに事態が大きすぎて私の判断に余った。ただ一つ告げておく、決して逸るな。お前には輝かしい未来が待っているんだ」
「・・・見せてください」
努めて冷静に振る舞ったが、ディオーレ様は手紙を簡単には渡そうとしなかった。手紙をひったくるように奪おうとして、三度引っ張り返された。腕力が尋常ではないことは知っていたが、手紙がいっそ破れてしまえばよいと考えているようですらあった。
最期は諦めたように手を離したディオーレ様だったが、すぐに背中を向けてしまった。その手紙を読む俺の表情を見たくないと思ったのだろうが、果たして俺はその時どんな表情をしていたのだろうか。
少なくとも、この世が終わったような表情以下だったことは確かなはずだ。俺は手紙を読んだ。そこにはただ事実だけが書いてあった。婚姻が決まりました、と。あまりに感情を読み取れない内容に、俺は困惑した。武家でありながら詩を嗜み、必ず季節の変遷を詩に乗せて手紙に書き綴る彼女の手紙ではない。字に彼女の癖がなければ、誰かが偽造したとしか考えられない内容だった。
「・・・日付が、一ヶ月前のものだ、これは。なぜ、これを今まで隠していたのです?」
「知っての通り、手紙の内容は検閲官が改める。その検閲官から報告が怪しみ、私に報告をした。その私の判断だ、お前に見せない方が良いと思った」
「他に手紙は?」
「ない。それだけだ」
「馬鹿な」
彼女は筆まめだ。一月と開けず手紙を書いてくれていた。そのおかげで、手紙を書くのが苦手な俺でも文書作成が上達した。彼女と手紙を作成した副産物だ。
それが、この半年で一度だけ。忙しくなる俺を慮ってのことと思っていたが、これは異常だ。踵を返す俺に向けて、ディオーレ様からの鋭い声が飛んだ。
「どこへ行く、第四師団長」
「・・・今、なんて?」
「正式に辞令が下りた。私が中央に申請していたのだが、月が明ければ貴様は新設させる師団の師団長に正式に任命される」
「なら、その前に休暇をいただくことは構いませんね?」
「月が明けるまで10日もない。その間に、カレスレアル令嬢との領地を行き来できると?」
「できますよ、俺ならね」
「だめだ、行くことは許されない」
ディオーレ様が執務机を叩いた。感情を露わにしている。ここまでするのは初めて見た、いや、俺がそうさせたのか。それだけ、まずい事態ということか。
熱していた俺の頭が冷静に戻る。それだけに、逆にすべきことが明らかになった。
「それは命令ですか、ディオーレ様」
「勅命である。師団の運営が軌道に乗るまで、少なくとも一年は辺境より出ることはまかりならん」
「なるほど。では自室待機としますが、数日の休暇をいただきます。師団の編成もありますので」
俺はわざとらしく敬礼すると、ディオーレ様の執務室をあとにした。部屋の扉を閉める時の、あの苦悶の表情。隠していることがあるのだろう、本当に素直な人だ。
ディオーレ様は勅命と言った。おそらくは、任命書に俺が辺境から出さないように命令があったのだろう。そして「命令」ではなく「勅命」である以上、彼女の意志ではなく王、または王族に連なる者からの命令であることは確実だ。
手紙も不自然な点が多かった。彼女は貴族だ。俺が恋人だろうが、上位貴族から婚姻の申し出があれば、受けざるを得ないことは当然ある。だが俺が師団長に就任することで、暫定的ではあるが俺の立場は彼女より上になる。それに就任時、王に拝謁した時に婚儀を申し出れば、必ず通るという前例があった。かつて平民から成り上がり、師団長となった者が剣術指南をしていた侯爵令嬢を娶った逸話は有名で、ほんの数十年前の話だ。俺もその逸話に倣うつもりだったのだ。
貴族どうしの婚姻を確約するには上位貴族の同意が複数必要で、最低でも準備に半年はかかる。どう考えても、俺が申し出て婚姻を確約する方が早い。そのことは当人も、父親もわかっていたはずだ。俺が辺境に旅立ってからすぐに動いたとしても、この間合いでは決まるまい。だからこそ、俺は手紙のやりとりもそこそこに、辺境での出世を急いだ。それが一番確実だと思ったからだ。
そもそも、相手の名前が書いていない。書いていないとなれば第二夫人や後妻などのやや不名誉な婚姻ということも考えられるが、特に借金や汚点のない家系の伯爵令嬢をそうできるとなると、公爵でも難しいだろう。そうなると――
「彼女の兄、か」
王太子殿下の取り巻きをしていたはずだ。王太子の命令なら、無理も無茶も通るだろう。それなら納得できる。だがもし、俺の想像通りだとすると、相当危ない橋を渡る必要がある。
いかに動くべきか、肚は決まっている。ただ、そのための手札がどこまで揃えられるか。すでに俺には監視が付いている可能性もある。レイドリンド家の連中は本当に不気味で、この辺境で共に戦っていても、未だに底も知れなければ感情も読めない。平民出身である俺を疎んじるでもなく、褒めそやすわけでもない。ただそこにある事実として、俺のことを捉えているようだった。奴らは王家に過剰なまでの忠誠を誓う連中がいる。奴らには悟られない方がいいだろう。
俺は打ち合わせをするふりをして、バーゼルを呼んだ。そして、一連の行動に関して相談をした時の、奴の驚き呆れる顔が滑稽で、思わず吹き出したほどだ。思えば、あれがアレクサンドリアで笑った、最後の思い出になった。
続く
次回投稿は、4/10(月)11:00です。不足分連日投稿します。