開戦、その188~裏切り者と渇く者⑬~
カレスレアル伯爵家。武辺の家柄としてアレクサンドリア創世記初期から名を連ねる、名門の家柄。それでありながら中央の政治からはやや遠く、政治的な駆け引きを代々の当主が苦手としていたのだと、同期の令嬢は苦笑していた。父は剣を振るうこと一辺倒の無骨者で、自分はそれにそっくりだと。兄は平和な時代において、騎士と言えど政治的な駆け引きとは無縁でいられないと言って、王太子殿下の取り巻きに入るべく、政治的な駆け引きを色々と画策していると言っていた。
自分もまた、政治的な駆け引きは苦手なのだと。同じく、恋愛の駆け引きも。だからなんとなく傍にいて、なんとなく剣の稽古をするようになり。ただなんとなく共に行動し、時にぶつかり、時に協力して、共にいる時間が増えたから、いつの間にか家族のようになったと言われた。
無骨者と評判だった父親に引き合わせられると、無言で剣を渡された。刃はひいておらず、問いかける雰囲気もなく、ただ全力で手合せした。剣の技量は、辺境に行く前の俺と令嬢でほぼ互角。その令嬢が一本も取ったことがないのが、父だと。その父親の剣が、ゆっくりにすら見えた。辺境で最前線に近い場所で戦うことが、いかなる意味を持つのか初めて理解した。俺の剣は、伯爵の剣を弾き上げると首筋でぴたりと止まっていた。
「辺境で休息なく、一年を過ごす者はほとんどいない。できるとしたら、将来の師団長候補だけだ」
伯爵にそう言われて思い返せば、帰省していない同期は俺と、バーゼルだけだった。それ以外は、本人が志願して帰省するか、軍から休息のために命令が出ている。辺境で出世する、あるいは本当に必要とされる人材は、残るように命令されるのだと言われた。
なお、伯爵も辺境での従軍経験はあるが、三か月おき、合計九ヶ月の従軍が限界だったと言われた。部門の家柄といえど、非才の身ではそのくらいが限界なのだと。
「辺境で複数年を務める者は、その周辺の土地から強制的に徴収されているか、レイドリンド家関連の者。そして犯罪奴隷と、人格破綻者くらいだ。行き場のない者だけが、あの過酷な任務に耐えられる。ちなみに、師団長を務める者は準侯爵に相当する権限を与えられる」
それならば伯爵家の者とも婚姻関係を結んでもなんら不自然ではないだろうと、令嬢が横を向いたまま説明した。その頬が赤く見えたのは、夕陽のせいではなかったようだ。
そっと添えた手は女性のものに変わっていて、士官学校時代の剣を持つ手ではなくなっていた。士官学校で庶子に負けた貴族の女は、もう騎士として前線に立つことはできない。せいぜい突発的に湧いた魔物を掃討する際のお飾りの指揮官か、あるいは賊徒討伐をするくらいが限界だろうと。つまり、彼女に騎士であることを諦めさせたのは、俺だった。そんなことも知らず、貴族で手練れの女に勝ったことにあの時の俺は浮かれていた。
父の方針で今までは婚姻も断っていたが、もう少しすれば兄がそういった類の話を持ってくるはずだと告げられた。そうなれば、庶子の俺との恋人関係も強制的に解消されることになるだろうと。気持ちは通っていた。だが時間がなかった。俺は、出世しなければならない。それも、歴史上最短で。
もう数日を過ごして、辺境に戻った。見送る彼女の表情は寂しそうだった。伯爵は一言、「期待している」と言ってくれた。やらなければならない。これは、俺の物語なのだから。
辺境に戻り大隊長に就任すると、ディオーレ様を含めた師団長たちに謁見する機会が増えた。そもそも指揮官の数は多くないが、今までは彼らからの命令をただ一方的に聞くだけの立場だったのだが、今では対等な意見を求められるようになった。ここでは貴族も平民も関係なく、ただ生きるために何ができるのかということだけが問われる。緊張感のある日々は、それでもなお楽しかった。
さらに半年が過ぎる頃、大隊長の顔ぶれが三分の一ほど代わっていた。引退、勇退、死亡など理由は様々だが、既に一番の若手でありながら熟練の大隊長へと変わりつつあった俺は、最前線から辺境の民を追い返す攻撃指揮官の任務を賜った。その時、二ヶ月にわたる任務で俺の部隊の損耗率は一割以下。前線を十舎以上押し上げた俺の功は、ここ数年では一番だと褒められた。
この時ばかりは鬼のような師団長だちも、俺のことを称賛してくれた。ディオーレ様も、珍しく笑顔だった。だが何より俺は、仲間がほとんど死んでいないことと、彼らと共に駆ける戦場が愛おしかった。
「新しく師団を増設し、その長を任せたいと思う」
辺境での損耗率が下がったことで、配備される人員がいつもより増えている。そのため、師団を改めて増設し、その長へと出世するのはどうかと、ディオーレ様直々に相談された。辺境に来てから、三年目に入る直前のことだった。
ディオーレ様麾下の部隊が、5千人。各師団が5千人で、今までは3つの師団があった。それ以外の予備兵がおおよそ3万。その中から人材と兵力を見繕い、3千人から5千人を選抜しろと言われた。準備にふた月。辺境に来てから一番目まぐるしい時間が始まったが、バーゼルが自分を副長にしろと申し出てきてから、あっという間に志願者で俺の師団は形成されていった。むしろ、志願者が増えすぎて選抜をしなければならないという有様で、嬉しい悲鳴しか上がらなかった。
どうしてそうなったのかと呟くと、バーゼルが書類を捌きながら、呆れたように答えた。
「誰もがお前に夢を見る。自分の夢を重ねたり、あるいはそれ以上の夢を、お前に。かくいう俺もそうだ。もっと自覚しろよ、阿保が」
そう言うバーゼルの表情は、皮肉めいていてもどこか楽しそうで。そして師団の紋章と師団名を決めている最中に、その手紙が来た。俺を呼び出したディオーレ様の表情は、苦悩で歪んでいた。
続く
次回投稿は、4/6(木)11:00です。元の投稿ペースに戻ります。