開戦、その187~裏切り者と渇く者⑫~
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――これは、きっと夢だ――
騎士として、騎士の一軍を率いていた。隣には、美しい騎士がいた。彼女は濡れそぼった目で俺のことを優しく見守り、隣には多くの同僚が俺の命令を待っている。遠くに見える家からは、母と父が俺のことを誇らしく見てくれている。
後ろからは、子どもたちが走って来る。俺のことを輝く目で見上げ、誰もが俺のようになりたいと叫んでいる。ああ、わが祖国よ。俺は騎士として、この大地のために戦うと誓おう。
振るう剣に迷いはなく、敵を打ち払い、傷ついた友を救い、家に帰って妻となった美しい貴族の女を抱き、朝になれば登城して陛下からお褒めの言葉を下賜され、報償を賜る。なんと輝ける日々よ。
だが、これは俺の物語ではない。
母に手を引かれて、輝く騎士たちの凱旋を憧れの目で見ていた。彼らがいなくなっても、母が帰ろうと促しても、いつまでもいつまでも彼らの背中を見つめていた。父の背中を追うことはできなかった。だけど、きっと父も彼らと同じような背中をしていたと思うことにした。彼らは誇りであり、目標だった。
騎士になってからわかったことだが、彼らは貴族ではなく現場のたたき上げの騎士たちだった。アレクサンドリアの良いところは、意欲と鍛練次第で、平民上がりでもそれなりの立場ある騎士になれるところだ。それを知って、ますます訓練に没頭した。俺が出世すれば、女手一つで子育てをする母を楽にもしてやれるだろうと思って。
給金は母に仕送りをしても十分すぎるほどでた。従騎士から務めあげ、その真面目さが見込まれて騎士学校へと推薦状を書いてもらえた。一部の学費は免除、従騎士時代の給金を貯めておいたおかげで、金銭的な苦労はなかった。不足しそうなときには時にギルドの雑用もこなし、金を稼いだ。この時の伝手や経験が、後の人生で生きるとは思わなかった。
士官学校はそれなりに楽しく過ごし、貴族の連中とも知り合いになった。鼻もちならない連中も多かったが、おおよそさすが騎士の国よと思われるほどの立派な若者が多かった。その彼らが俺のことを褒める。時には嫉妬も。その理由がどうしてかはわからない。ただ剣技だけに少々優れるだけで、学問の方はさほどでもなかったはずだが。まぁ、機転はそれなりにきく方だろう。近所の悪ガキどもと、散々戦争ごっこをしたからな。
従騎士から正規の騎士に格上げされ、しばらくして辺境への転属の話が出た。騎士としては栄達の道を歩むことになるが、士官学校に通ってからこっち、実家には滅多に帰っていないことが後ろ髪を引いた。半年前に帰省した時、母は痩せていた。本人は元気だと言い張るが、ある程度医療の心得もあるのだから何らかの病だろうことは一目でわかった。医者にかかれと言ったが、薄く笑っただけではぐらかされた。母が作るスープを飲んだのは、それが最後になった。子どもの時よりも、味付けが濃くしてあった。量が少ないと思ったのは、俺がデカくなったせいか。少しは楽をさせてやれたのだろうか。
辺境への転属を伸ばし伸ばしにしているうちに、辺境に大量の欠員が出たので強制的に召集されることになった。平民である自分に、断る権利はなかった。出立の前に、母の訃報が届いた。隣の家に住んでいた、雑貨屋の店長の奥さんからの手紙で知った。三か月前から臥せっていたようだが、母は俺の仕送りを医者にかかるために使うのではなく、自分の葬儀の費用として貯めていたらしい。中には二重の封書があり、いざという時のために金を隠してあると書いてあった。どこに隠したかは、母子にしかわからない場所だと。
きっと、村で二番目に大きな木の麓だ。一番大きな木は偉そうだから気に食わないと、俺が二番目に大きな木の麓に、宝物を埋めた場所だ。大きくなったら開けるのだと、母に告げた。なぜそんなことをするのかと言われ、大人になっても騎士としてちゃんとやれているか、問い質してやるのだと。そして不真面目な大人になっていれば、その脚を蹴飛ばしてやるのだと息巻いた。
母が死んだことで涙は出なかった。ただまともな親孝行もしてやれなかった後悔だけが残った。士官学校に向かう前日、母は別に騎士にならなくても良いと俺に言った。無事でいることが一番だと。俺はその言葉を否定した。これから立派な騎士になろうとしている息子に投げかける言葉がそれかと。俺は不貞腐れたまま、行ってきますとも言わずに翌日家を出たことを思い出した。その時の気持ちを思い出し、辺境での任務に集中することにした。
辺境での任務は過酷だった。ほぼ連日のように負傷者が出て、3日から7日の間に1度は死人を見た。ただただ生き延びることに必死だった。ある日は、任務が終わって営舎に帰ろうと談笑していて、隊の後方の人間がまるごと魔物の襲撃を受けて死んだ。いつも無愛想で隙のなかった副隊長は警戒の声を上げる暇もなく上半身がなくなり、中隊を率いていた熱血漢の隊長は隊員を逃がそうと奮戦して死んだ。あと3日で一時帰郷し、辺境配備中に生まれた子どもの顔を見るのが楽しみだと言っていたのに。
拾えるだけのタグを拾ったが、3つにも満たなかった。それを持って営舎に帰ると、上官は中隊長の判断ミスだと、顔色一つ変えず冷酷に告げた。その場で襲撃を受けた一部を切り離していれば、もう少し生きて戻っただろうと。俺はその大隊長を殴りつけた。そして杖刑を受けて、営倉入りとなった。その時、初めて母親が死んだことが悲しくて涙が出た。無事に帰るのを待つ者の気持ちは、どんなだろうと。騎士である夫を亡くした母の気持ちが、今初めて想像できた。俺を見送る時、どんな気持ちだったろうか。余計な心労をかけたのは、俺だ。俺が騎士にならなければ、もう少し長生きしただろうか。
営倉から出た時、俺が次の中隊長だと言われた。俺を推薦したのは、俺が殴り飛ばした大隊長だった。大隊長の中でもっとも厳しく強かったと言われた彼も、半年後の任務中に死んだ。家族もおらず、少ない荷物に残っていたのは、自分の死後の部隊編成だった。10日ごとに修正されているその手帳には、半年前から大隊長だけは常に俺の名前が書いてあった。
期待されていたのだと、初めて知った。同時に一言、「大切な者が多いほど、長く生きる」と書かれていた。大隊長は辺境に近い村の出身で、家族も友人も全て魔獣の襲撃でなくしていたと、その時知らされた。どんな思いで騎士になり、どんな思いで戦い、そしてどんな思いで後輩たちを指導していたのか。
一度も聞く機会はなかった。いや、聞こうともしなかったのだ。俺は、人の心の機微に疎すぎるのか。彼女から来る手紙の返事を放り出したままにしている。手紙への返事を拙い文字で書くと、大隊長に就任する前に休みをもらい、彼女の元へと向かった。待っていたのは、士官学校時代より一層美しくなった彼女だった。その場で、父親に紹介された。俺たちは、正式な恋人になった。
続く
次回投稿は、4/4(火)11:00です。