開戦、その186~裏切り者と渇く者⑪~
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「飛竜の飼料が足りない?」
「は、はい」
食料担当官からの報告を受けて、アウグストが怒りを露わにした。傍でそれを聞いていたドニフェスト、クラウゼルは平静を保っていたが、食料担当官が委縮しているのは明らかだった。
食料担当官は軍の地位も高くはなく、貴族ではあるが三層に自分の屋敷を持てるほどの財力や身分もない男だった。本来ならこうして王族と直に会話する機会すらない。ただでさえ委縮しているところを、温厚な性格として知られているアウグストに怒りの形相で睨まれれば委縮もするというものだ。
食料担当官は傍目にわかるくらいに委縮し、縮こまりながら説明を続けていた。
「せ、正確には干し草が足りません」
「事前に準備していたのではないのか?」
「ローマンズランドから持ち運んだものに関しては予定通り――いえ、大目に持ち出しておりました。ですが、その――途中で手に入れられるとされていたものが、半数も手に入らず」
「はっきり申せ!」
アウグストがテーブルを叩いて威圧したので、ドニフェストが窘めた。
「軍を飢えさせないようにするのがそなたの仕事だ。それが全うされないとなれば、厳罰――極刑もありえるぞ!」
「そ、そんな」
「まあまあ殿下。国内から持ち出したものに関しては此の者に責任がありましょうが、途中で確保されるものに関してはこの者に責務があるとはいえず、秘密裏に用意されたものです。その構想を描いたのは、そもそもスウェンドル王にございますれば。クラウゼル殿なら知っているかもしれませんが」
ドニフェストが矛先を逸らしたので、クラウゼルがこほん、と小さく咳ばらいをして答えた。
「たしかに。進軍経路を確保する策を提示したのはそもそもがスウェンドル王で、私はそれに多少の色を付け加えた程度ですな。だがその立案段階でも、飼料や水は大目に確保していたはず。それが足りないということだろうか?」
飛竜は肉食だが、普通に暮らすだけでもかなりの餌の量を必要とする。ローマンズランド全体でも、空軍が確保する飼料だけで、スカイガーデン全体の食料と同等になるほどだ。それがローマンズランドの財政を圧迫する一因となっている。
そして原則肉食の飛竜は、空を飛ぶ時には大量の干し草を食べて便通を良くする。彼らなりの本能なのだろうが、普段はあまりしない排便を空を飛ぶ前には一気に済ませて体を軽くするのだ。彼らは決して空を飛びながら排便をすることはなく、必ず決まったリズムと場所で排便する。それが飛竜が気位が高いとされる理由の一つであり、そして世話が難しいとされる所以でもある。
これらが守れないと、飛竜は体調を崩すか、飛ぶのを嫌がり始める。天馬に比べて速度がありながら長距離飛行ができない理由も、このあたりにある。クラウゼルももちろん知ってはいたが、ここまで面倒だとは思っていなかった。だから大目に飼料なども確保させていたのに、それでもなお進軍が予定より7日分ほど遅れているのだ。もちろん、それでも十分な余力を見てはいるのだが。
「(食料担当官とは、遠征軍の生死を分ける程重要な役目だ。今まで短期的な遠征の経験しかなく、それでいて他国を圧倒してきたローマンズランドゆえに、その重要性を指摘できる者がいなかったのか。本来ならばドニフェストに次ぐ地位くらいの者が就任せねば、各方面に睨みも効かせられないでしょうに。スウェンドル王もこのことには気づかなかったのか? いや、自分で直接命令して調達させていたのだから、さもありなん。それともわざと、か)」
クラウゼルも全体の戦略を練ることに関しては契約をしていたが、軍内部に直接命令権があるわけではないので、そこまで配慮していなかったことを後悔した。大陸に東側では当たり前になっていたことが、ローマンズランドでは当たり前ではなかったのだ。
アウグストとドニフェストが不毛な口論をしている様を冷めた目で眺めながら、クラウゼルはそんなことを考えていた。そして不毛な議論に飽きたので、彼らを無視して食料担当官に質問した。
「干し草の量が少ない――つまり飛竜の飛行距離が出ない、と?」
「はい、おっしゃる通りです」
「具体的には、どのくらいの進軍速度になりますか?」
「予定の半分です」
「そんなに・・・」
これにはクラウゼルも思わず唸った。当初の戦略では国境は速攻で陥落させ、アレクサンドリアの領内に入ってから十分な食料を確保し、少し休息を取り、拠点を構築してからゆっくりと南下する予定だった。撃破だけではなく制圧を考慮するなら、どのみち急いだ進軍は不可能だと思っていたからだ。
だがこれでは、自慢の竜騎士団も戦力が半減する。戦える飛竜がいなくなるからだ。
「(いや、半分ならよいのだが、それ以下になることも十分にありえるのか。そして人間は命令を聞くが、飛竜に命令を聞かせる方法などどんな指南書にも載っていない。いかに賢かろうが、誇り高かろうが、彼らは畜生だ。我が身を捨てて戦友や主人のために戦うことはあっても、国のために戦うことはなかろうさ)」
それでも進軍を止めるほどではない。だが、一抹の不安がよぎる。アレクサンドリア領内に入って、十分な食料が確保できなかったら。
クラウゼルは食料担当官を天幕から出すと、罵り合いに近くなっていたアウグストとドニエストを宥め、進軍の速度を落としても問題ないことを説明し、その場をおしまいにした。
天幕から出た食料担当官は、とぼとぼと歩きながら不満を漏らしていた。
「・・・食料集積所の干し草が湿っていたことなんて、俺の責任じゃない。そんなの、作戦を練った奴の責任じゃないのかよぅ。アウグスト殿下もそんなことで俺を極刑にしようとするなんざ、大した人物じゃねぇのか・・・?」
この食料担当官が陸軍の中ではとてもまっとうな人物で、地位の低さに寄らず多くの仲間から信頼を寄せられていることなど、ドニフェストやアウグストは知らない。その彼をぞんざいに扱ったことで、軍の中に不穏な空気が蔓延する可能性についても、彼らは想像しようがない。
そしてその様子を物陰から見ていた者が合図をすると、見事な馬に跨った者が静かにローマンズランド軍の野営地から離れていったことも、彼らは知る由もなかった。
続く
次回投稿は、4/3(月)11:00です。