開戦、その185~裏切り者と渇く者⑩~
「もちろん反乱軍の詳細は数少ない伝令と偵察でしか把握はできませんが~、住民からの噂でも反乱軍が首都を目前にして~突然その進軍が止まったようですね~。アレクサンドリア中央の近衛軍は教書通りの展開で~、とてもディオーレ殿が苦戦するようには見えません~。これでは落としてみろと言わんばかりですが~、ライン副長の予言が当たったのでしょうか~」
「そうだな。残念ながら、予想通りになっちまった。予言ってほどのことはなく、ディオーレ様のことを知っているなら、ある意味当然ともいえるが」
ラインの想像では、ディオーレは首都を陥落させることはできないのではないだろうかということだった。なぜなら、精霊騎士としての誓約に反するからだ。
ディオーレはアレクサンドリアを守るために精霊騎士になった。だからいかなる理由があるとはいえ、自らアレクサンドリアを滅ぼすようなことがあってはならない。精霊騎士が誓約に反すればどうなるのか。それに関しては、ユーティやアルフィリースの知識を活かした憶測でしかないが。
「おそらくは、精霊騎士としての力を失う。いや、その程度ならばいいが」
「それだけでは終わらない~?」
「命すら失う可能性もある。最悪、アレクサンドリアという土地そのものに影響が出るかもな」
「そんなに~?」
精霊騎士として役目を全うした者の記録はほとんど残っていない。その多くが大戦期に消耗され命を落とし、あるいは精神を壊して歴史の闇に消えていった。まだ隠れるように生きている者がいるかもしれないが、現役の精霊騎士で世に知られている者はディオーレ=ナイトロード=ブリガンディだけだ。
だからこそ、ラインはその動きが読める。
「おそらくは、周辺国にもディオーレ様の行動を予見できる者はいるだろう。その中には、当然ながら今後の反乱軍が取る行動も」
「つまり~?」
「おそらくは、緩やかにディオーレ様は撤退する。そして、首都の守備隊と同盟国を引き付ける。そして」
「そして~?」
「自らの力をすべて失ってもなお、という精霊騎士の覚悟を見せた。それが何を意味するのか。ナイツオブナイツ、あるいはレイドリンド家のことを考えれば、自分の意に添わぬ本当の反乱軍がいると想定しているはずだ。それらに首都を落とさせる。そして、自分がその首都を制圧する。そうすれば、反乱軍を制圧した辺境軍として、首都に凱旋できる」
「そんなにうまくいきますかねぇ~」
コーウェンの疑問はもっともで、全て想定でしかない。だがこれがもし現実となれば、ディオーレ中心の強固なアレクサンドリアが誕生することになる。それが意味するところは、つまり――
「俺らの行動まで想定しているとは思わないが、このままだとローマンズランドとの泥沼の戦争が待っているな」
「今のローマンズランドと、アレクサンドリアが良い勝負になりますかねぇ~?」
「ローマンズランドは退けない。肥沃な大地を手に入れない限り、奴らに生き延びる術はないからだ。そして飛竜は開けた草原でこそ、その本領を発揮するだろう。それでようやく、ディオーレ様が率いる精鋭と互角。そしてアレクサンドリアを守護する正当な理由があれば、周辺国が必死に援助する。そうなればもう、戦局が読めない。お前はどうだ、コーウェン?」
「そうですねぇ~」
コーウェンが髪をねじるように弄りながら、答え澱む。それが悩むふりだとラインは知っているが、コーウェンの好きにさせてやった。コーウェンの頭の回転は速すぎる。おそらくはラインとの問答が始まる前から、あらゆる可能性を考慮していることは知っているが、少し時間をおかないと、自分もまともな問答にならないのだ。
コーウェンと舌戦をするつもりはないが、まるで応答できないと、コーウェンは興味を失くす。語るに足りないと思われたが最後、コーウェンが想像する盤上の駒と同等の扱いを受けるだろう。それは、自らの身を裸で猛獣の檻に入れるに等しい事。会話をしていて緊張するのはアルフィリースも時に同様だが、コーウェンとの会話には特にラインは緊張を漲らせていた。
それを知っているから、コーウェンもわざとラインが答えられるくらいの会話速度にするのだ。一度アルフィリースと作戦を練っている様子を聞いていると、何をしゃべっているのかわからないくらい早口だった。
コーウェンがどこまで想像しているのか。ラインが緊張しているのがわかっているかのように、くすりと小さく笑う。その思わせぶりな態度が悪戯だとしても、味方が多くない女だろうなと思う。
「どちらかが勝つ、ということであれば~、私はローマンズランドだと思っていました~」
「その心は?」
「ディオーレ殿の本気を知らないこともありますが~、軍を率いる者として制空権を取ることがどのくらい有用かは理解しているつもりです~。敵の陣地は丸見え~、こちらは一方的に攻撃できる~。それで勝てない軍隊がいるとでも~?」
「事実、俺たちもオークの大軍を撃破した」
先の戦いで敵の陣容を先に知ることの利便性を実感し、そしてフリーデリンデ天馬騎士団が大陸重用される理由がそれだとも知っている。それでもなお、ディオーレ率いるかつての同僚たちが強いと思うのは、先入観が勝っているだけではないとラインは思っている。
そう説明しても、コーウェンはそこまで楽観的ではなかった。だから、一つ仕掛けをしたのだ。コーウェンの口元が、嫌な形に歪んだ。
「軍師というものは~、悲観主義者が向いていると思いまして~」
「ほう? 疑り深いことも必要か?」
「もちろんですとも~。私はアルフィリースの見立ても~、副長の見立ても正確ではない可能性を考えて~、念には念を入れています~」
「策士に勝てるのか?」
「いやがらせとは~、地味に行うのがよろしいかと~。そして戦いで常に勝つのは~、己の弱味を認め~敵の弱味を知ることがいつだって重要です~」
コーウェンは、実際の戦争においてクラウゼルに勝つ可能性は低いと自分で見定めていていた。賢人会でクラウゼルと軍議を戦わせると、その勝率は三割以下。全ての相手に九割以上の勝率を誇るクラウゼル相手には立派な戦績だったのだが、だとしてもあまりに不利。理論上の戦いでその戦績になることがいかな意味を持つのか、命のかかる戦場で試すほどコーウェンは傲慢ではない。
だからアルフィリースの戦い方を真似ることにした。勝てる所だけで勝ち、全体の戦局で合計の勝ちを競う。局地的な勝利など、いくらでもくれてやればいい。大切なのは、不要な誇りを捨てること。そして、いまひとつはクラウゼルが一度だけ完膚なきまでに負けた時のことを参考にする。
「安心してください、副長~。イェーガーにとってだけではなく~、私にとっても負けられない戦いなのです~」
「期待している。さて、ここからは時間と間合いの勝負だ。間違えてくれるなよ」
「勿論ですとも~」
コーウェンをまだ完全には信用していないラインは疑り深い視線のまま全体の指揮を執るために離れたが、そのコーウェンの傍にルナティカがすっと寄った。
「どうしたの?」
「・・・アルフィリースから言われています~。この戦い、確実にライン副長は暴走すると~」
「確実に? じゃあどうする、鎖をつけて閉じ込めておく?」
「それができる相手ではないでしょう~。ですからあなたの出番ですよ~」
「私でも、副長を実力行使で止めるのは難しい」
「でも、殺すことならできますね~?」
コーウェンの言葉に、さしものルナティカも表情が歪んだ。
「暴走するようなら、殺せと?」
「より深く、アルマスが調べたカレスレアル令嬢の話を私やアルフィリース、リサは知っています~。私がライン副長の立場なら~、確実に暴走します~。よくぞここまで冷静でいられるものだと~、感心するくらいには彼は我慢強い~。だから彼がイェーガーを道連れにするほどに暴走するのなら~、その時は躊躇わないでください~。これはオルルゥでも~、レイヤーでも無理なことです~。できるのはあなただけ~」
「・・・それは、アルフィリースの命令だね?」
「アルフィリースは反対しました~。ですが私とリサは同じ気持ちです~。アルフィリースのために~、彼女に恨まれようとも泥を被る覚悟はおありですか~?」
「・・・少し、考えさせて」
「もちろん~。あなたは道具ではありません~、意志ある刃なのですから~」
コーウェンはにこりとしてが、ルナティカは思い命令を受けたと、さすがに表情が暗くなった。そのまま影に溶けるように姿を消したが、命令を強制できないあたり自分も甘いものだとコーウェンもため息をついていた。
続く
次回投稿は、4/2(日)11:00です。