開戦、その180~裏切り者と渇く者⑤~
「そうだ、あの女傭兵・・・あのような者を、初めて見た」
「あなたの特性が効かない、ということですか?」
「いや、まったく効いていないというわけではないようだった。特性を打ち消す力というものは現状、見つかっていないが・・・あの女傭兵は、精霊の助言だけではなく、自らの意志の力で私の特性に抗ったのだ。私の記憶にある限り、そのような女は2人目だ」
「2人目?」
「1人は、私の母だ。それも、庇護欲という欲求に支配されてはいたが。エネーマは耐性が高いが、近づくと完全に私の支配下に入ってしまう。だからあの女は依頼と見せて、一定の距離を取る。その方が冷静な判断を下せるからだ。だがあの女傭兵は――アルフィリースは一刻を共にしても、自我を明確に保っていた。あんな女は初めてだった」
クラウゼルはぞくり、とした。ゼムスの特性に抗うことができる。それほどの意志力を持つことは確かに驚異的だが、同時に普段から何と戦っているのだろうと思う。おそらくは普段から、ゼムスの特性に等しい何かと戦っていなければ、そうはならないはずだという結論にたどり着く。
同時に、そんな戦いを繰り広げながら、正気を保っているとでもいうのか。いや、あるいはとうに狂ってしまっているのか。対峙して何度も会話をしながら、微塵もそんな気配を感じさせなかった。そのことを今初めて恐ろしいと、クラウゼルは感じたのだ。
ゼムスは腕組みをしたまま、真剣に、そして楽しくてたまらないといった様子で、それでも冷静さを崩さぬまま話し続けた。
「いつからかな、他人を壊しても何とも思わなくなったのは。私が恋した女に剣を突き立てても、最後までその女が愛を囁き続けた時か。いや、魔物に攫われた母親を自ら手にかけた時か。今となってはそれすらどうでもよくなるくらい、私はあの女に興味が出てきた。正直、あの女がカラミティに勝ちはしないかと、ひそかに期待している」
「・・・援助はしないのか?」
「それでは面白くない。クラウゼル、私はな。あの女と添い遂げたいわけではないのだ」
ゼムスがクラウゼルの肩を掴んだ。その手には、いつになく力が入り、クラウゼルの骨が少しだけ軋んだ。
「あれだけの意志の力を持つ女が、絶望に打ちひしがれる様を見たい。あれほどの成功を収めた女が、その全てを失い、ただ絶望に打ちひしがれるその時、私が最も傍にいたいのだよ。私は彼女の絶望が見たい、悲哀が見たい、どうしようもなく悲惨で、変えることのできない現実を前に、慟哭する姿が見たい。わかるか、この感情が?」
「わかるわけがないでしょう、この異常者め」
クラウゼルは嫌悪と共に吐き捨てた言葉を、後悔してはいなかった。元々異常だとは思っていたが、ここまでだとは思っていなかった。これだけの言葉を、目を爛々とさせて幼子のように期待に満ちた目で語るのだ。これが異常でなくて、なんだというのか。
そして同時に、思ったよりも自分がアルフィリースを気に入っていることに驚いた。どうやら自分は、アルフィリースがもたらす変革を想像以上に期待していたらしい。そのようなことを考え、ひょっとしたら彼女と共に歩むような選択肢もあったのかと、ふっとどうしようもない世界を思い描いてしまった。そう、本当にどうしようもなく、希望に満ち溢れた世界のことを。
「だから、軍団をあそこに置いてきたのか?」
「そうだ。何かあったとしても、アルフィリースだけは攫ってこいと命令している。軍団ならばローマンズランドが滅びようが、アルフィリースを助けて脱出するくらいはやってのけるだろう」
「軍団とは何者ですか? あれの正体を私は知らない」
「さしもの策士クラウゼルも、奴の正体には気づかなかったか。いや、不確定要素であり、なおかつ『あんなもの』を戦略組み込むと面白くなくなるからな。お前はきっと、本能であれを避けていたのさ」
「本能で?」
「いいか、軍団とはな――」
ゼムスが軍団の正体を語ると、クラウゼルの目は驚きに見開かれた。そんな奴とは知らず今まで長らく傍にいたとは、さすがに己の不明に恥じ入るばかりだった。
「・・・勇者ゼムスの一行も、所詮は間抜けばかりですか。いや、違和感を抱かせないのが上手いのか? では、我々の傍にいたのは――」
「そういうことだ。かつては我々に、そして今はイェーガーに興味がある。奴が動くとしたら、大きく情勢が変わった時だけだ。イェーガーに危機が訪れれば、奴は動く。その時何が起きるか――私にもまだわかっていない。ただ一つだけ、奴は私と契約をした」
「それが、アルフィリースに関する身柄の安全ですか。だからあなたは安心して、こちらに来た。少なくとも、そうするくらいには軍団の強さに信頼を置いている」
「アレに単体で勝てる人間がいたら、見てみたいものだ。私でも無理だった。人間では――いや、いかなる種族でも、個人で軍団を倒すことは不可能だ。できるとしたら、それは人間を辞めているよ」
そう言って自嘲気味に笑うゼムスを見て、クラウゼルは気付いた。ああ、そうか。軍団はゼムスの仲間になったのではない。ゼムスは軍団に負けて、仲間でいることを強制されたのだ。
ゼムスはそれ以上何も語らなかったが、軍団こそがゼムスの行動を制御していた可能性すらある。いや、あるいは対等な共犯者だったのか。
理解できぬ者を放置した迂闊さにクラウゼルは背筋が寒くなりつつも、次の戦略を考えなければならなかった。そう、このローマンズランドの軍隊を維持するための食料が徐々に減りつつあることを、まだ自分とドニフェスト、それに食料担当官以外は知らないのだ。
このままでも飢えはしない。だが確実に、食料不足の状況でアレクサンドリアに到達することになるのだと。
続く
次回投稿は、3/22(水)12:00です。