開戦、その177~裏切り者と渇く者②~
「その王がおっしゃるのだ、もうローマンズランドに将来はないと。我々に下された命令をもう一度言わねばならぬか?」
「・・・いえ、それには及びませぬ。しかし、『祖国を捨てて新天地を求めよ』とは、あまりにも・・・なんのために我々は、あの過酷な土地を開拓してきたのか。祖先に申し訳が立ちませぬ」
「何事にも限界があり、また形あるものはいつか滅びる。新しい国を興すことは一大事業だが、それができると思われたから、王は命令を下された。さ、もう休まれよ。行軍はまだ続くのだ。紛争地帯ではそうそう何も起こらぬように露払いをしてあるとはいえ、油断はできぬ。万全を保たねばな」
軽く酔っていたアウグストは、ドニフェストの言葉に従って素直に休みに入った。だがドニフェストの仕事はもう少しある。明日の行軍に備え、上がってきた物資の残存や各部隊の体調などの確認を行うのだ。
本来ドニフェストがやるようなことではないかもしれないが、元々スウェンドルの下でやっていた作業だ。そしてスウェンドルが若かりし頃、スウェンドルもまた自らこれらを常に確認していた。細かな配慮をすることがどれほどの意義があるのかドニフェストはその時は理解していなかったが、スウェンドルが率いた部隊は勝つだけではなく、損耗が異常に少ない。これは彼の部隊の戦績を見ていて、そして共に戦っていて気付いたことである。
ドニフェストは、自らが手の届く範囲では、兄の教えを行わなかったことはない。そしてふと笑うのだ。
「怠惰な王、暗愚の王と呼ばれても、兄上の若い頃を知っているとな。あれほど細かな配慮のできる戦士が、ただ色欲に溺れるものかよ。この命令にもきっと意図がある。少なくとも、アレクサンドリアまでを落としてから兄上に問いただす必要があるが――」
「そんな必要はありませんよ」
天幕に無断で入ってきたクラウゼルに対し、ドニフェストは容赦なく睨み据え殺気を叩きつけた。
「何用だ! 王族の天幕に無断で入るなど、無礼にもほどがあるぞ! 見張りはどうした!」
「ああ、今の時間の見張りは私の子飼いですよ。私が通してくれと言ったら、快く通してくれますとも」
クラウゼルのその言い方には腹が立ったが、王族の親衛隊の体たらくに失望の色を隠せないドニフェスト。
だがクラウゼルは彼を慰めるように手を下に向けて、落ち着くように指示した。
「ご心配なく。私も半年以上かけて、ようやく篭絡した二人です。それに貴方の命に関わるような命令は聞いてくれませんよ。貴方はたしかに目立たないが、軍部には実に尊敬されてもいるし、何より有能だ。貴方を失うことは損失にしかならない」
「・・・世辞はいい。それで、何の密談だ。そこまでするには、この時、この間合いですべき話があるのだろう」
「話が早くて助かります。では早速。新しい王国の、王になってもらえませんか?」
クラウゼルの提案は突拍子もないものだった。少なくとも、クラウゼルはそう考えていた。だがその提案を聞いたドニフェストはさほど驚きもせず、クラウゼルは初めてこのドニフェストなる人物を、面白いと思っていた。
「あまり驚かれませんね?」
「いや、驚きはしている。そしてお前という人物を測りかねてもいる」
「と、言うのは?」
「お前自身か、あるいはゼムスが王になりたいのだと思っていた。違うのか?」
「ああ、そういうことですか。残念ながら、少し違います」
クラウゼルはこのドニフェストなる人物を過小評価していたと思い、彼への評価を改めることにした。
「何人かには告げたのですが、私はこう見えて腑の病でしてね。仮に私が王となったとしても、統治する時間が残されていないのですよ。それに性格上、困難に立ち向かうのは得意ですが、何かを建設的に丸く治めるのは苦手でして」
「なるほど、難儀な性格だ。では勇者ゼムスは?」
「あの人格破綻者に、そんなことができるとお思いで? そんなことは本人が一番良く分かっている」
「なるほど、愚問だったか」
ドニフェストが納得したのを見て、なるほどよくゼムスのことを見ているとクラウゼルは納得した。ドニフェストは宮廷の誰とも適切な距離を保っていたが、その中でも特にゼムスは意図的に避けていたように思う。彼に魔術や特性に関する知識があるようなそぶりはなかったが、本能的にゼムスを避けたのだろう。
それだけでも、この男が為政者としての素養が十分であることがわかる。クラウゼルは確信した。この王弟もまた、本来王になるべき器だったと。なので包み隠さず伝えることにしたのだ。
「正直を言いますとね、スウェンドル王とは別にこの大陸を統一する計画を練ってはいたのです。ですが、そのほとんどは机上の空論に過ぎない。私は貴族的な立場を持たず、またこの安定した世の中では大義名分も立たない。せいぜい紛争地帯の小国をまとめあげるのが精一杯だ。だがそんなもので私の欲が満足しないことも知っていたのです。そこに現れた乱世の奸雄とでもいうべきスウェンドル王。ええ、唆しましたとも。ですがそもそも、スウェンドル王も私と同じようなことを考えていたのです。つまり、我々は似た者同士でした」
「・・・なるほど、わからないでもない」
愚かなと王と呼ばれるようになる前、スウェンドルは一人悩んでいることが多かった。そのことを兄王に問い質しても、「お前は知らなくていい。関わるな」の一点張り。どういうことかとドニフェストは常々思っていたが、このことだったのだ。
今ならわかる。そして、どうして王が自分に「あんなこと」を言ったのかも。
続く
次回投稿は、3/15(水)12:00です。