開戦、その176~裏切り者と渇く者①~
***
「今頃、スカイガーデンは必死の防衛戦をしているのだろうか・・・」
「未練ですぞ、殿下」
時間は少し遡る。ローマンズランドより東側に向かった遠征軍の中、総指揮官である第一皇子アウグストと、王弟ドニフェストは、天幕で軍議の後のひと時の安息の時間を過ごしていた。
第一皇子アウグストは皇太子として本来ならばスウェンドル王の補佐をすべきだが、そのスウェンドル王本人が出陣を命じた経緯がある。アウグストのみならず、第二皇子のブラウガルドもこの命令に異議を唱えたが、スウェンドルが強硬に押し切る形で決行された。
アウグストはスウェンドルとは全く違う為人との評判で、文才、特に内政面が抜きんでており、スウェンドルが決済をしない際には止むをえずアウグストが決済を行ってきたという事実がある。アウグストがいなければ、国政はあと5年は早く傾いていたと、皆が評価していた。
だが文弱の徒というわけではなく、竜騎士としても最高位竜騎士に任命されるほどの腕前も備え、なのに気性は穏やかで、軍からも民衆からも信頼は厚かった。流れる長髪と優しい目元はスウェンドルとは対照的で、アウグストが早く王になってくれれば。そう思っている者は、貴族にも平民にも多かった。軍才や実績そのものにおいてはやや第二皇子ブラウガルドに劣るものの、皇太子が催事などで王の代行を務めることを考えれば、それも無理からぬことだったというのが周囲の評価である。
一方そして遠征軍の実質的な軍務を担当するのが、王弟ドニフェスト。彼の評判は、王宮でも民衆の間でもさほど高くはなかった。というより、なぜ生きているのかということを、多くの者が知らないのだ。
スウェンドルよりも年上の兄姉は、全員が権力闘争の末、死亡している。弟妹も多くが死んだが、その中でこのスウェンドルとさほど歳の変わらぬドニフェストは、権力闘争で負けたにも関わらず、ただ隙間をぬって生き延びたというのが周囲の評価だった。王宮内で軽んじられることはないものの、彼は派閥を作らず、ただひっそりとスウェンドルの補佐をして生き延びてきた。
見た目はスウェンドルよりも頭一つ大柄な見事な体躯を誇っており、軍人として鍛えられていることが一目見てわかる壮年の竜騎士である。だがローマンズランドに何人もいない最高位竜騎士である彼の戦いを見たことがある現役の竜騎士は、ほとんどいなかった。多くの者がスウェンドルとの血筋から最高位竜騎士を授けられたと思っているし、軍部の最高責任者というお飾りにも近い立場とはいえ、最高位竜騎士でないと格好がつかないから任命されたのだろうと思い込んでいた。彼が実際に戦ったところを知らない、ごく一部の者たちを除いては。
そして、誰もがドニフェストを国と王に忠実な騎士だと思っている。アウグストは、当然彼の事実を知っている者の一人だ。彼は冷える夜をしのぐために少しだけ酒を注いだグラスを傾けながら、他の者には言えぬ愚痴を漏らしていた。
「しかし叔父上、そもそもこの命令には無理があるのです。父上の――スウェンドル王の命令はわかります。活躍の場がない軍ならば、今後に備えて版図を広げる意味も含めて他の地域に出撃することは。ならば、そのための指揮は王が執るべきだ。あるいは、我々だけで成し遂げるか。何を考えているかわからぬあの策士に、主導権を握らせるべきではなかった」
「滅多なことをお言いになるな。それも、王がお決めになったことだ」
「叔父上は何とも思われませぬか?」
一杯でもう酔ったのか。やや頬を赤くしたアウグストを見て、ドニフェストがかぶりを振った。
「思うところはある。だが、私もそなたも、これほどの規模の軍勢を動かしたことはない。策士とてないはずだが、ここまでは見事な運用だ。糧食などは鉄鋼兵に命じて予め準備させていたとはいえ、なんら障害なく紛争地帯の真ん中を超えた。このまま行けば、冬が本格的に深まる前にアレクサンドリアに到達することができる。策士の予想でも、現時点の偵察の報告でも、アレクサンドリアはディオーレめが反乱を起こしたせいで、混乱の極みとのことだ。軍のほとんどは東側に集中しており、西側の守備はがら空き。このまま攻め寄せれば、アレクサンドリアの肥沃な大地が労せずして我らの物になる。これを見事と言わずして、何と言う?」
「そんな火事場泥棒のような真似をして、なんと子々孫々に伝えますか。騎士として名折れです」
ぷい、と横を向いたアウグストを見て、若いな、とドニフェストは残念がった。アウグストは何でもできてしまうゆえに、完璧を求めすぎる。それは戦果だけではなく、過程にまで清廉さを求めているのだ。戦争など、どうあがいても血で血を洗う、醜い争いでしかないというのに。それは骨肉の権力闘争を経験したドニフェストが、身に染みて知っていることだった。
続く
次回投稿は、3/13(月)12:00です。