開戦、その172~真冬の戦場㊹~
「レクサス!」
カナートが思わずレクサスの方に反応した隙をついて、両手斧の虫が襲い掛かってきた。
「はっ!?」
カナートの反応速度をもってして、互角のつばぜり合いが限界。背後にダリアがいなければ、別の戦い方もできるのだろうが、今はこれが限界だった。
そのダリアは足でまといになっていると感じたのか、ずりずりと尻をつけたまま背後に下がっていく。その背中が、何かにぶつかり思わず見上げると、そこには優位な立場にある者が浮かべる笑みを浮かべたリゲラが、いつの間にかダリアを見下ろしていた。
「あ・・・」
「ダリアさん、生きていましたか」
ダリアは思い出した。この屋敷に来た時から自分を含めた貴族の対応をしていた、方言の抜けないちょっとおっちょこちょいな女中のことを。彼女は親切で、思いやりがあって、ちょっとくらい粗相があっても、貴族も笑って許せるくらいの人間味と温かさがあった。
その時に見ていた笑みとは、全く違う微笑み。形だけは同じだというのに、その意図が全く違うことくらい、今のダリアにもわかる。女中の態度は全て、嘘だったというのか。
「リゲラ、そなたは――」
「ええ、決して皆さんのことを嫌いではありませんでしたとも」
ダリアの感情を察したかのように、リゲラが寂しそうな笑顔で答えた。その表情とは裏腹に、言葉遣いや態度は見たこともないほど堂々としていた。
カナートはあと数歩を近づこうとして、どうしても動けない。焦りが、剣先を鈍くする。
「オラはね、ローマンズランドに攻め滅ぼされた小さな村の出身だ。ローマンズランドが軍事演習と称して行う魔物掃討の際にあった、名前もないような小さな村。畑ではろくな作物も取れず、いつも飢え死にと隣り合わせの、狩り以外に大した産業もない開拓村の成れの果て――。そんなことすら知らないほど、オラは幼かっただ。
その年は運が悪かったのかどうなのか、本当にそこそこの数の魔物がいたんだ。対するは魔物の相手をあまりしたことがないような、新兵が中心の部隊。彼らは必死に戦ったけども、村にも部隊にも少なくない被害が出た」
リゲラの表情が何かを懐かしむかのように、うっとりとする。その恍惚とした表情に浮かぶ狂気に、ダリアは戦いた。
「すぐには動けない怪我人を多く抱えたローマンズランドの連中は、やむなくオラの村に滞在しただ。ただでさえ少ない食料は徴発され、追い詰められた軍人たちはオラの村の女たちを慰みものにしただ。オラのおっとうはおっかあの目の前で殺され、おっかあも器量良しのおねぇも、オラの前で動かなくなるまで慰みものにされ続けただ。もちろん年端のいかねぇオラも、独りだけ仲間外れは嫌だろうって理由だけで駆り出された。この館で起きた光景は、かつてオラの村であったことそのままだ。
怪我人が動けるようになるまでに、およそ半月。その頃には村の人間は半分以下になっていただ。そして村を去る時、生き残った村長が難癖をつけただ。多くの軍人は衛星国の寂れた開拓村に何ができるかとたかをくくっていたのに、小心者の隊長は狼藉がばれてはまずいと、村の者を皆殺しにするように隊長が命令を出しただ。
オラはその時の奴らの顔が忘れられねぇ」
リゲラの顔が歪む。憎しみで、変化で、その目が虫のように複眼になり、口は横に裂けてキチキチと甲殻を鳴らしていた。
「あいつらは、躊躇ったわけじゃねぇのさ。命令された時の対処の対応は、ため息だっただ。殺すのが嫌なわけじゃなく、ただただ面倒くせぇ。それだけだった。あいつらにとってオラたちなんて、殺しても殺さなくても同じだったんだ。
オラは怪我をしていた一番若い軍人が、オラのことを憐れんでそっと隠してくれただ。だから助かりはしたが、その軍人も自らに疑いをかけられないために、他の村人を手にかけただ。オラは一人だけ生き残った。だども、オラ一人で生き残って何になる? 隣の村の場所すら知らねぇオラが、独りで生き延びられるとでも? 若い軍人がやったことは、只の責任放棄にしかすぎねぇ。決してそれは慈悲じゃなく、ただ後ろめたかっただけだ。
オラは運よく、様子を見に来た隣村の人に保護されただ。そこも疫病で村がやがて潰れることが決まると、オラは奴隷になるか、奉公に出るか二つに一つだった。当然オラはローマンズランドに奉公することを願い出ただ。縁故がなく、政治的に問題がないことからここの採用になったことは運が良かっただ。いつか、連中に復讐してやると心に誓っていただ。だども、こいつらは腐り過ぎていただ。あまりにも腐っている連中が多すぎて、誰を殺しゃいいのかわかりゃしねぇ。そんなオラに道を示してくれたのが、オルロワージュ殿下だ」
「ダリア殿!」
虫の向こうからカナートが叫んだが、ダリアは一歩も動けない。元々大柄なリゲラの体が、さらに大きく、硬く、肥大化していく。
「ああ、そうさ。殿下が人間じゃないことなんて最初から知っていただ。殿下は言った。死んだ者は元に戻せないし、身分も生まれつきのもので金で買えやしない。のし上がっても、なんのかのと理由をつけて蔑まれる。だけど、力だけは平等だ。お前たちが恨みを忘れないでいられるのなら、必ず復讐を果たすだけの力を与えてやろうって約束してくれただ。私たちは皆姉妹、志を同じくする家族だってさ。
そう言われた時のオラの感動、お前らにはわかるめぇ」
「ええ、さっぱりわかりませんね」
屋敷の中から声がした。そこには全身を返り血と虫の体液で赤か緑かもわからなくなったアリストが立っていた。彼は剣を振るい血糊を払うと、調度品のカーテンで剣を丁寧に拭いていた。
続く
次回投稿は、3/7(火)12:00です。
投稿遅れてすみません。不足分連日投稿します。