開戦、その170~真冬の戦場㊷~
「カナートさん、階下の状況をセンサーで探ってもらっていいっすか」
「もうやったが、アリストがほぼ全滅させている。階下は安全だな」
「そうじゃなくって、一階には誰もいません?」
「一階? ・・・誰も、いないが」
レクサスの言わんとすることをカナートは考え、そしてはっとした。
「誰も、いないだと?」
「そうなんっす。ハメられたんっすよ、俺たち」
「そういうことか。だが、ダリアを助け出しただけでも成果はあった」
「無事に連れて帰れればね」
「どういうことだ?」
怪訝そうな表情をするダリアに対し、レクサスとカナートは互いに頷き合った。
「これ以上の探索は無意味か」
「ええ、アリストさんをむしろ待つのも惜しい。すぐにでも脱出すべきだ」
「見殺しか?」
「あの人なら一人でもどうとでもしますよ」
「納得だ。ならば俺たちだけでも脱出だな。ダリア殿、走れるか?」
「あ、ああ。そこまで速くは走れないかもしれないが」
ダリアは立ち上がり足元を確かめたが、そもそも裸に近い恰好をしていた。それに体力だって限界に近いだろう。本来ならこうやって会話して、立てるだけでも驚愕の体力と精神力だ。
凍死しないように、レクサスとカナートはそれほど血に汚れていない衣服と靴を彼女に見繕って準備した。幸い、階上の連中は降りて来る気配がない。
「行きましょう」
「貴族の建物で、敷布が無駄に分厚いのが幸いだな」
足音は絨毯が消してくれる。おかげで足音への配慮は少ないが、ダリアは足元がやはりおぼつかない。走るのは無理だと感じたカナートが、ダリアを抱え上げた。
「おい、よせ。重いだろう」
「東側の貴族階級のお嬢様よりは、多分」
「足手まといになるくらいなら――」
「俺が死なせない。それに貴重な生存者で、情報提供者でもある。格好つけさせてくれ。レクサス?」
「あいあい、お任せあれ」
レクサスにも、カナートの言いたいことはわかっていた。敵がいれば全て自分が斬り払うつもりで、レクサスは剣を抜いたまま走っている。アリストがおおよそ殲滅してくれているが、まだそれでも完璧じゃない。
2階まで降りてきたところで、アリストは離れたところにいた。同時に、上階の敵が動き出したことをカナートが視線でレクサスに知らせた。
「あまり時間はないっすね。やはりアリストさんは一度放置します」
「やむをえんな」
レクサスたちはそのまま外に向かう。外套を羽織ろうとしてレクサスはその手を止め、外套をダリアの方に放り投げた。カナートもダリアを一度降ろした。
「敵だな。3体か?」
「地上の奴は。残りは雪の中に伏せてます。10体はくだらない」
「ダリア、降りてもらう。戦いが始まったら、我々は仲間の元に向かう。異論はなしだ」
「わ、わかった」
レクサスには誰が敵がわかっていた。正面の扉を押し開き、雪原となった門までの間に、女中が一人立っていた。
「リゲラさん、寒くないっすか?」
「ええ、寒いですとも。本当は寒いのは苦手なんだぁ」
潜入した時に真っ先に出会った女中のリゲラが、そこには笑顔で立っていた。雪風吹き荒ぶこの天候の中、彼女は外套も羽織らず、笑顔で彼らを待っていたのだ。
「でも、まさかあんたらが第三層まで潜入してくるとは思わなかったものでねぇ、さすがに準備を急いたんだわ。できりゃあこのまま大人しくしておいてくれりゃあ、こちらとしても手間が省けていいんだけんど」
「いやに優しいっすね?」
「優しくはねぇけども、気に入った相手っちゅうのはいるんだな。あんたらは、人間の中じゃ随分マシで、面白い相手だ。ここで食い散らかすには惜しい」
リゲラの舌が一瞬伸びて、それが百足のようなのを見ると、ダリアが「ひっ」と小さく声を上げた。
レクサスは顔色を変えず、質問を続けた。
「あんたらっすね、エクスペリオンを撒いたのは」
「よくわかっただな?」
「エクスペリオンは食事だけでなく、酒や飲料水にも入っていたっす。誰が敵なら、それをばらまけるか。料理人だけじゃないことは明らかで、下働きの女中が仲間なら簡単でしょうね。俺でも立場がそちらならそうするっす。それに」
「それに?」
「仲間の女騎士や憲兵にも手を出すほど統率がなくなった連中の中で、あんただけが無事なのは変でしょ。答えは一つ、この館の本当の支配者があんただから。最初に出会ったんじゃなきゃあ、出会い頭に切り捨てていたはず。だから最初にわざと、俺たちの前に出てきて、その足で援軍を呼びに行ったっすね?」
「なはは、正解」
楽しそうに笑うリゲラの傍に、雪風の中から男が二人登場した。男たちはその体を変形させ、巨大な甲虫へと成り果てた。一体は斧のような両手、一体は角を備えた全身鎧のような姿へと。
そして地面からは、上半身を人間に変形させた巨大な蟻のような虫が大量に湧き出てきたのだ。
続く
次回投稿は、3/1(水)13:00です。