開戦、その147~真冬の戦場⑲~
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「使者が殺されたですって!?」
合従軍の天幕で激昂したのはエルザ。ウデリ公の首のない死体が突き返されると、おおよその合従軍の将は怒りの形相となった。和平の使者を殺すというのは、全面戦争を辞さないということと同義だ。戦争の世において、今までにもそういった事例がなかったわけではないし、今でも紛争地帯や、西側の諸国ではそういった事例は報告されている。
だがアルネリアが関与する戦争では今まで聞いたことがないし、エルザ自身もそこまで殺伐とした戦争に立ち会うのは初めてだった。唖然とするエルザとアリスト、そして諸侯。殺されたウデリ公と親交のあった者は、怒り、あるいは悲痛な面持ちになっていた。
そして特に深刻な顔をしているのは、マサンドラスとドライアンだった。その彼らの心境を代弁するかのように、トレヴィーが発言する。
「尋常な戦ではありませんな。黒の魔術士でもいますかな」
トレヴィーの言葉にはっとして顔を上げる者こそいれ、既にトレヴィーのことを空気を読まぬと思う諸侯はほとんどいなかった。考えても見れば、城攻め屋という傭兵団は常に戦場を生業としており、ここにいる誰よりも戦場を良く知る戦争屋でもあった。
トレヴィー自身自覚のあることだが、平時の空気は読めなくても、戦争の空気を読むことは得意なのだ。マサンドラスもまた、トレヴィーに話を向けた。
「黒の魔術士――いると思うかね?」
「いるでしょう。でなきゃただの大馬鹿か、破滅願望か」
「その心は?」
「和平を本当に結ぶにしろどうするにしろ、交渉して食料や物資を得るか、非戦闘員は離脱されることも可能でしょう。それを初手から使者を斬り殺すなど、愚か以外の何だと言うのです。
ローマンズランドにそれだけの蓄えがあるとも思えないですし、そろそろ物資は厳しいはず。第二層を制圧して皆さんもわかっているでしょうが、食料や物資の保存施設、軍事施設はおおよそこの第二層にあるのです。貴族だけならまだしも、現在第三層に立て籠もる陸軍と傭兵を生活させるだけの備蓄が第三層にあるとお思いか?」
「なかろうな」
ドライアンが重々しく同意した。それは諸侯もアルネリアも同じ思いだったが、ならば彼らはどうするというのかとざわついた。
トレヴィーはさらに空気を読まない発言を続ける。
「この暴挙、アルフィリースは前線にいないでしょうな」
「なぜそう思う?」
「あのえげつない女傑が前線を指揮していて、こんな愚行を冒すとお思いか。私は数々の戦場を渡り歩きましたが、完璧な不覚を取ったのは彼女が相手の時だけだ。想像の三段ほど斜め上の行動をする傭兵ですよ、あれは。それが和平のふりをして攻め込んでくるならともかく、使者を殺すだけなどとい、意味のない行為をやるはずがない。そうなれば別の人間が仕切っていると思うべきでしょうな」
「ではアルフィリースはどうなったと?」
「そんなこと知るわけがないでしょう。疎まれて殺されたか、軟禁されたか――後者はあっても前者はなさそうですがな。ただ一つ言えるのは、ここから先は相手も決死の戦いになるということですよ。まもなく攻め込んでくるのだけは間違いない」
トレヴィーの発言に、将兵たちに動揺が広がった。今までローマンズランドが専守防衛していたから、さほど合従軍の被害もなかった。シェーンセレノの人形兵が、あるいはシルメラやイークェスが先陣を切っていたから、どこか他人ごとのようにこの大戦を戦っていたのだ。あとで計算してみれば、二の門の激闘ですら、諸侯の将兵にはさほど大きな被害は出ていなかった。
それがローマンズランドが反撃に出るとなれば、どれほどの被害になるのか。ざわつく諸侯を前に、ドライアンが静かに口を開いた。
「落ち着かれよ、方々。この寒気では逆落としといえど、攻め込んでくるのは容易ではなかろう。迎え討つならいかようにでもなる。だな、トレヴィー殿」
「ええ。城攻め屋は防衛戦はさほど得意ではありませんが、今回に限れば防衛戦の方が楽でしょうな」
「その方針とは?」
「第二層まで相手を引きこめばよろしい」
トレヴィーの方針に、諸侯がさらにざわついた。せっかく取得した相手の土地を手放すなど、という声もちらほら聞こえる。だがマサンドラスもトレヴィーの方針に頷き、トレヴィーはあっさりと言い放った。
「もちろん一工夫は必要ですが、逆落としの弱点を突きます。それは攻めるには破竹の如き勢いがあっても、退くは難いということ。特にこの地形と気候では、その傾向は強くなります。そして相手に当たるには、その最も強き時に当たる必要はございません。平地に引きこめば、ただの練度の低い寡兵。合従軍の方が余程練度は上でしょう」
「とはいえ、こちらの被害も広がるのでは――」
「戦争ですよ? 誰も死なないなんて、そんな話もないでしょうよ。とはいえ、準備が必要ですから、早速取り掛かるとしましょう。使者を斬り殺しておいて、何もないなんてことはないでしょうから、早ければ一日経たずしてローマンズランドは攻め込んでくるでしょう。方々、準備にかかりましょうぞ」
ぱんぱん、と手を叩くと、諸侯ががたがたと席を立って動き出す。いつの間にかトレヴィーが仕切る立場にいても何も言わなくなった諸侯を見て、マサンドラスとドライアンは少しおかしな気分になった。随分と数は減ってしまったし練度が高いとも思えないが、妙な誇りが邪魔をしない分、今の合従軍の行動は素早く連携も強い。シェーンセレノがいなくなったことが、良い方向に作用していた。
トレヴィーが次々と指示を出す中、合間にドライアンの直垂をくいと引っ張り、密かに声をかけた。
続く
次回投稿は、1/14(土)16:00です。