開戦、その140~真冬の戦場⑬~
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「まだ行かないの、シルメラ。少し焦らし過ぎではなくて?」
「・・・そうだな。そろそろ行くか」
背丈には大きすぎる長剣に身を預け、仮眠をとっていたシルメラがゆっくりと覚醒した。ほぼ吹き曝しになる幅の狭い階段に無理矢理天幕を張り、仮眠を取っているシルメラとイークェスを見て、屈強な神殿騎士も信じられない気分になっていた。
風向き次第では天幕ごともっていかれかねない暴風が吹き、下手に巻き込まれればそのまま奈落の底に真っ逆さまとなるこの場所。砦の残骸を利用している時はまだよいが、足元が確かな場所で睡眠をとれないことがこれほど過酷とは、ジェイクは初めて知ることになった。
神殿騎士は、ジェイクも含めて全員が魔晶石の鎧に身を固めている。ジェイクも魔術への適性はある――というか、魔力を内在しない人間などほぼいないのだが、その魔力を使用して、鎧の中は適切な温度に保たれるように構成されている。原理は神殿騎士たちも理解していないが、熟達すれば水中すら地上のように行動できるようになると言うが、そこまでの訓練をジェイクはしたことがないので知らない。少なくとも、闇の眷属でもない神殿騎士はこの魔晶石の鎧がなければ凍死は確実だ。
もちろん過酷な環境ほど魔力を消耗するので、ここまで数名の神殿騎士が魔力枯渇で脱落した。魔力は休息と食事、睡眠でしか回復しないので、睡眠が阻害される場所ではいつ魔晶石の鎧が作動しなくなるのかも定かではない。ジェイクを含めた神殿騎士たちは眠っている間に魔晶石の鎧が動作を止め、凍死する恐怖とも戦いながらここまで過ごしている。
それなのに、イークェスとシルメラは、声をかけても反応しないほど熟睡しているが、3歩以内か、あるいは敵襲があった時には誰よりも鋭く反応し、一瞬で対応してみせるのだ。そしてこの極寒の中でも、まるで我が家のようにくつろぐその度胸に、神殿騎士団一同感心していた。
「あんたら、疲れていないのか」
ジェイクが呆れたように声をかけたが、イークェスは笑って流した。
「私は氷、あの子は炎。その適性があるから、この極寒の中ではあなたたちよりも恵まれているわ。ま、それを差し引いても300年前のこの大地より寒さはましよ。大陸全体が温かくなっているしね」
「そうなのか?」
ジェイクにとって、はーシアでの雪景色が原風景なので、その発言は信じられないような顔をした。
ただ思い返せば、あれ以降ミーシアに雪は降っていないことにも気付いた。
「以前は、ターラム近辺にもよく雪が降ったものよ。それこそ冬のターラム周辺は雪に覆われることもあったけど、今は滅多にないそうね。私たちも驚いているけど、大陸全体が温かくなっているのは確実でしょう」
「グレーストーンの影響だろう。あそこにエンデロードがいるから噴火が押さえられている反面、行き場のないマグマと熱が大陸を温めているのさ」
「そうなの?」
「そんな気がするだけだが、まあ当たっているだろう。精霊騎士だった頃の名残くらいある」
「曖昧ねぇ」
小馬鹿にしたように笑うイークェスに、むっとしたシルメラ。
「お前こそ、元シスターのくせに氷使いとはどうなんだ。精霊騎士でもないくせに」
「昔は魔術協会とアルネリアはもっと協会が曖昧で、互いに行き来する人材も沢山いたのよ。今だって、魔術を使う僧侶やシスターもいるじゃない。今更だわ」
「適当な奴め」
「まっ、なんて言いぐさ」
口を開けば言い争いをする2人を見て、まさに炎と氷だとジェイクは思う。だがそれよりも、今はこの2人がその気になればあっさりと三の門まで突破できる段階となったせいで、連日気が気ではなかった。
さすがに三の門まで開いてしまえば、合従軍には攻め寄せない理由がなくなってしまう。事前の話で第三層は台地になっており、それこそ軍が展開できるほどの広さがあるそうだ。であるなら、第三層まで到着した段階で、グルーザルドがローマンズランドを蹴散らすだろう。竜騎士団も展開してくるだろうが、これだけの寒さとなるとほとんど飛竜は役に立たず、それまでに竜騎士の宿舎と離着陸の場所を押さえてしまえば勝ちが決定するようだ。
当然、イェーガーを始めたとした傭兵たちも全力で戦うことになるだろう。早々にローマンズランドが降伏すればよいが、まだどうなるかはわからない。言いようのない不安を感じて、ジェイクの口は堅く結ばれている。その不安を後押しせんばかりに、シルメラがぼそりと呟いた。
「砦はあと10程か・・・一気に落とすか」
その言葉に、ジェイクがひゅっと息を呑む。リサのいるところまで、一挙に到達してしまう。イェーガーに多数の死者が出るかもしれない。ひょっとしたら、リサも巻き込まれるかも。
その様子を見て、シルメラがさもおかしいと言わんばかりに鼻で笑った。
「何とも言えない表情だな」
「当たり前だ、戦いの前に緊張しない方がおかしい」
「そうだな、それが普通だ。大戦期の戦いでは沢山人が死ぬことが当たり前だった。だからアルネリアは人を守る戦い方を編み出した。そのことが間違いだったとは言わないし、膨大な研鑽と実験、試行錯誤が成されての成果だとは思うが、今の時代の人間は人が死ぬことに慣れていなさすぎる。戦争が起これば人は死ぬ、当たり前のことだ」
「人が死ぬのが当然だって言うのか?」
「ある程度まではな。神殿騎士団の死亡者が、この1年で何人いたか数えてみろ。病死か不慮の事故以外、ほとんどいないはずだ」
言われてジェイクは報告を思い出す。まずクルーダスの顔が浮かび、その後長らく病床に伏していた高齢の騎士と、辺境の騎士団に指導に赴いていた騎士が独り予想外の崩落に巻き込まれて死んだ以外、今年一年の死者はいないことに思い当った。
アルネリア近辺での戦いや魔物討伐、あるいは人を派遣しての戦いまで含めれば、大小千を超える戦いをしているはずなのに、である。
続く
次回投稿は、12/31(土)17:00です。それで今年は最後の予定です。