開戦、その139~真冬の戦場⑫~
「なんだ、開かないぞ?」
「リサ!?」
「いえ、外には何の気配も――」
「アルフィリース殿」
外からは、内務大臣であるヴォッフの声が聞こえた。好色で、粗野で、それでいて卑屈な小男の印象しかなかったが、政治的な手腕だけはそれなりにあるというのがアルフィリースの印象だった。その気配に一切気付いていなかったのか、リサがびくりと反応した。
だが、今外から聞こえる声は、今までの印象とはまるで違う圧力と凄みのある声だった。そう、ライフリングが思わず扉の取手から手を放す程度には。
まるで扉一枚隔てたそこに、得体の知れない猛獣がいる。そのくらいの覚悟でアルフィリースがヴォッフに話しかけた。
「ヴォッフ殿、扉が開かないのですが。あなたが何かなさったのです?」
「ええ。失礼だとは思いましたが、少々軟禁させていただきたく」
「軟禁とは穏やかではありませんが、理由は教えていただけるのでしょうね?」
横暴ともとれる扱いにも、アルフィリースは冷静さを崩さない。この手の相手は感情を剥き出しにするほどに、手を叩いて喜ぶと知っているのだ。
ヴォッフは、いやな間を作る。アルフィリースには、ヴォッフが忍び笑いをしているのようなくぐもった音を聞いた。
「ヴォッフ殿?」
「あ、いや失礼。貴官の手腕に疑問を呈する者が多くおりましてな。先ほど、スウェンドル王との閣議で決まったのですよ」
「閣議? そんなものがあったことを知らされておりませんが?」
「当然でしょう。国の王と重臣、軍の責任者で行われる閣議に、一介の傭兵風情を呼ぶ必要がどこにありましょうか」
「現在戦っている傭兵の責任者の一人は私ですが? それに、直接の雇い主であるアンネクローゼ殿下から沙汰を告げられるのならともかく、あなたに軟禁されるいわれはない」
アルフィリースは正論をもって反論したが、扉の外から哄笑の渦が巻き起こったことで、思わず青ざめた。無数の声が響いたこともそうだが、話や理屈が通じない相手程不気味なものもいない。ヴォッフは野卑でこそありさえすれ、知性の面ではやり手だと思っていただけに、余計に恐ろしく感じてしまう。
ひとしきり笑い終えると、ヴォッフの嘲笑じみた声が聞こえてきた。もはやアルフィリースのことを小馬鹿にしていることを、隠しもしない。
「ふー、笑ってしましましたよ。いや、失礼。私の命令はスウェンドル王の下知も同然、そこに世継ぎでもないアンネクローゼ殿下ごときが口を挟むいわれはない。よろしいか、いつでもあなたがたの命は我々の胸算用一つであることをお忘れなく」
「・・・なるほど。納得はできませんが、理解はしました。一つだけお聞きしても?」
「なんでしょう?」
「下の戦線の指揮官は誰がされますか? 陸軍の指揮官たちは既に何日も軍議にすら参加していませんが」
これは事実かつ素朴な疑問だったが、ヴォッフは即答した。
「なるほど、責任感が強いようですな。心配せずとも、『軍団』を向かわせましたよ。それにいざとなれば、親衛隊から指揮官を出します。ご心配めされるな」
「軍団を? 彼一人で大魔王の眷属2人を抑えられるのですか?」
「心配せずとも、あれならば大丈夫ですよ。軍団はあなたがたが思うよりも、ずっと強い。では忙しいので、そろそろお暇させていただきますよ」
ヴォッフの無機質な声と共に、それきり扉の外の不吉な気配は消えた。まるでざわめきが消え去るかのような気配の去り方に、アルフィリースたちはヴォッフが去った後、背中から大量の汗が流れ出るのが止まらなかった。
ライフリングが、額に一筋の汗をかきながら呟いた。
「・・・我々はいったい、何と対峙していたのだ? あれほどの威圧感を、感じたことがない。あれではまるで――」
「辺境の、王種並み?」
「下手をすると、それ以上だ」
「彼が、カラミティの本体ですか?」
リサの鋭い指摘に皆がはっとしたが、アルフィリースだけは納得いかない表情だった。
「正直、わからないわ。威圧感だけなら納得するのだけど、精神性がどうなのだろう――オルロワージュからは、たしかにカラミティと得心できるだけの内容と、魂を感じたのだけど」
「魂とはまた、曖昧な表現を」
「そう、曖昧だわ。だけど、影と一緒の私だから理解できることもある。ヴォッフからは、魂を感じないの」
「ならば、あの威圧感で使い魔のようなものだと? カラミティ本体の威圧感は、どれほどだというのですか。敵の強大さを、少々見誤っていたということですか」
「かもしれない。だけど、まだ私たちは見落としをしているような気がする」
「見落とし。それは、何を」
リサの質問にアルフィリースは答えることができなかった。その思考はまだこれからいくらでもできるだろうが、今はやることがある。まだ想定の範囲内の出来事なのだ。取れる手段はいくらでもある。やれることを全てやっておかないと、天命に任せることもできない。
おそらくは、どこかでアルフィリースの想像を超える事態になることを、アルフィリース自身が想定し、期待もしていた。予想外の出来事がなければ、今回の戦いには勝てないと思っているからだ。その賽子の目の如き事態が、どちらに転ぶのか。そのためにできる予防線はいくつも張ってあるが、結果だけはどう転ぶかわからない。
アルフィリースは自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやき続けた。まだ大丈夫なはずだ。きっと自分と仲間なら、どうにかできる。限界を越えてなどいない、まだ最善から数えた方が早い。
そう、今は、まだ。
続く
次回投稿は、12/29(木)17:00です。