開戦、その123~憐れむ男と哀れな女⑯~
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クイエットはゲルゲダの爆発の魔術でできた衝撃を利用し、遠く離れた岩棚へと逃れていた。吹雪や風を利用し、オービットの回転による衝撃で弾かれ続けることで疑似飛翔を可能とする移動方法。これこそクイエットがあらゆる戦場に出現し、そして短時間で誰にも見られることなく移動できる手段である。
たとえ超一流のセンサーとて、空に警戒網があるわけではない。空の警戒は、真竜やあるいはローマンズランドが一部行っているだけで、空の世界はいまだ自由なのだ。
ただ、アノーマリーが最終的に考えていた魔王の形態には、サイレンスも危惧していた。アノーマリーは空を飛ぶ魔王を作ろうとしていたからだ。もしそれらが空を埋め尽くすとなると、人間は確実に滅ぶだろうが、それ以上に魔王の絶対支配が動かないことにも違いない。そうなれば支配者がアノーマリーになるだけで、なんら変わらないどころか余計に厄介になるだけだ。そうなる前にどこかで阻止してやろうと思っていたが、あっけなくアノーマリーは死んだ。そして今、彼の残したクベレーも。クベレーを結果としてヴァルサスたちが始末してくれたのは、サイレンスにとって僥倖だった。
サイレンスの望みは、地上の生命全ての消滅なのだから。
「それが・・・ぐっ、こんなところで」
少なくないダメージを受けた。修理士たる人形が消滅した段階で、片腕がなければもう修理しようもない。シェーンセレノの代わりの個体も、もうすぐ殺されるだろう。あの場にはヴァイカとチャスカがいるのだ。完全な戦闘用ではないシェーンセレノごときでは、もうどうしようもない。合従軍は崩壊し、今回の戦いの目論見は『半分が』崩れた。
あとは暴走するローマンズランドとアレクサンドリアがいかなる打撃と爪痕を残すかだが、それもなぜか期待できない気がした。人間の世界はまだ自分が思う以上に複雑で深かったのか。そう考えざるをえない結果だった。
「ゲルゲダの奴め・・・私の姿を見ていただと? 今までそんなことがないように念入りに痕跡を消してきたのに、私を倒すためだけに周囲にも10年以上嘘をついていたとは。どれだけ執念深いのだ」
「執念深いのは、そっちもでしょ? ねぇ、剣の風」
聞こえるはずのない声に、クイエットは思わず面を上げて剣を向けようとして右腕がないことに気付いた。オービットの挙動は核に依存しているため、核が傷ついた今もまだ16本は起動できるのに、そんなことすら忘れてしまっていた。
人間はおろか、鳥ですら吹雪で羽が凍って折れてしまうために飛んで来れないはずの岩棚の上にいたのは、レイヤー。まるで最初から待っていたと言わんばかりに、剣を地面に刺して吹雪の中に片膝を立てて座っていた。
肩にも頭にも相当の雪が積もっていたことから長い時間を待っていたことがわかるが、雪が積もったローブを脱ぎ捨てたレイヤーは血色がよく、まるでこの戦いを待ちわびていたと言わんばかりに好調そうだった。
まさか、待ち伏せしているはずがない。自分だとて、咄嗟にここを選んだのだ。もちろんここに岩棚があることは知っていて、万一の逃走手段や足のつかない移動経路に利用できそうだとは思っていたが、なぜここにレイヤーがいるのかは説明がつかなかった。
レイヤーはゆっくりと立ち上がって、レーヴァンティンに手をかけた。
「意外そうな顔だね?」
「・・・当然だ。なぜここにいる? どうして私が剣の風だと?」
「ゲルゲダって人のお願いさ。万一我々が仕留められなかったら、剣の風にとどめを頼むと。あまり他人を凄いと思うことはないんだけど、あの人は凄い人だ。入念に下調べをして、逃げそうな場所の候補をいくつかに絞っていた。ここはそのうちの一つで、ここを僕が選んだのは本当に偶然さ。ま、どこであれその剣の風が起動した時点で、逃がすわけがないけど」
「どういうことだ?」
「剣の風自体が弱点になりうると、考えたことはないかい。その独特の駆動音、聞き逃すわけがない。半径一万歩以内なら、絶対に聞き逃さないね」
レイヤーの説明は、クイエットにとっても理解不明だった。このオービットに駆動音などない。少なくとも、人間よりも可聴閾の広い自分たちですら、無音にしか聞こえないのだ。それを聞くなど、わけがわからない。
それに、続けたレイヤーの説明はもっと理解不能だった。
「それに、三度もそれをくらったんだ。その時にあなたの顔くらい、見ているさ。だからヴァルサスにある時言ったんだ、なぜ剣の風を連れているのかとね。そしたらゲルゲダって人をこっそりと紹介されたわけ。そんなことにも気づかないなんて、間抜けなんじゃないの?」
「・・・は、顔を見た? それこそ――」
ありえない、と口にしようとしてクイエットはやめた。オービット起動中は、あまりの高速回転のため剣の風の内部は光すら乱反射して正確に中が見えない。だからこそ、剣の風を起動する時に自分は敵を確認した後、周囲一帯を微塵に変える必要がある。中からも外の光景はまともに見えないからだ。中からすら見えないのに、それをどうやって見たというのか。
不便だと考えたが、正体を確認されない利点を考え、クイエットは人間の中に紛れ込むことにした。数百年誰にも知られることがなかった正体を、どうしてここで、こんな小僧に。理解できない相手を前に一歩あとずさったことに、クイエットは気付けない。
レイヤーは剣の柄に手をかけたまま、まるで襲い掛かる直前の猛禽のように前かがみになった。そしてクイエットを威圧するように存分に殺気を放ち始める。
「これで四度目だ。今度こそ逃がさない」
「・・・それはこちらのセリフだ、馬鹿め! それよりどうして背後から暗殺を狙わなかった?」
「正面からでも負ける気がしないからだよ。少なくともあんた、ゲルゲダさんを恐れたろ? 人間に怯える人形なんかに、負けるものかよ」
レイヤーの言葉に、クイエットは怒りで体温が上がるような錯覚を覚えた。この体の奥底に怒りを充満させているとはいえど、それで体の機能が上がったり下がったりすることなどないはずなのに。
この少年を見ていると、なぜだかそんな気分にさせられるのだ。そして同時に、恐れているとも。
レイヤーが剣を逃げる手と反対の手を、くいくいと挑発するようにこまねく。
「ほら、待ってあげるよ。剣の風を起動したらどうだい?」
「・・・少年、図に乗るな!」
クイエットが残る機能を全開にしてオービットを起動する。もうこれで壊れてしまっても構わないといわんばかりに、クイエットの全身が軋み、悲鳴を上げる。対するレイヤーは、そのクイエットを見て残念そうに、そして酷薄に笑みを浮かべた。
「サイレンスの根底は隠しようもない怒り、か。ゲルゲダって人はよく君たちを観察している。安い挑発に乗ってくれてありがとう。これでレーヴァンティンの起動条件を満たした」
「・・・起動条件、だと?」
「レーヴァンティンは別名『統神剣』だそうだ。つまり、遺跡の管理者はそもそもこの剣を扱う資格がない。遺跡は全て『神と呼ばれた何か』が造りしものなのだから。君は、それを知っているんだろう? 遺跡攻略者だもんね、君の本体は」
レイヤーの言葉に、絶句するクイエット。なぜ目の前の少年が自分たちと同じ知識を持ちえたのか、それが不思議でならない。黒の魔術士でさえ、オーランゼブルでさえ知らないことだというのに。
レーヴァンティンが鳴動を始め、それが軌道の合図となった。
「だから、レーヴァンティンを正しく扱える者とはいったい何なのか。神に対抗する生物か、あるいは僕のような――」
レイヤーが口走った単語に、クイエットは恐怖した。こいつをは生かしておいてはいけない。遺物と融合した核が命令する。ああ、だからあの闇猿の時にこの少年を見かけて攻撃を仕掛けたのかと、今納得した。この少年は、正しく自分の敵だと。
クイエットは自壊しながらオービットを放った。全力全開のオービットが吹雪を断ち、棚地ごとレイヤーを削り取らんと高速で迫る。レイヤーは眼前で発生した竜巻の如きオービットを前に、小さく息を吐いてただ一閃、静かに脱力して剣を放った。
皮肉にも、サイレンスたるクイエットが放つ攻撃が猛々しく、レイヤーの一閃は音もなく静かだった。そして、オービットはレイヤーの鼻先で静かにゆっくりと止まっていき、やがて力なくがらがらと崩れ落ちた。
「貴様・・・安寧の中で死ねると思うな」
「最初からそのつもりはないさ。せいぜい殺しに殺して、最後は無残に殺されるのが僕の宿命だろう。そういう特性の元に生まれた――いや、与えられた」
「ふん、残酷な運命だな。だが許さぬ」
「ああ、そうだね。だけど一つだけ――君たちにその与えられた怒りがなかったら、どうしていた?」
クイエットの胸から上がずれていく。ゆらりと傾いで、クイエットは自嘲気味に笑った。
「決まっている、平穏を求めたさ。誰が怒りたくて怒るものか――その理由もないのに」
「そっか、哀れだね」
「我々を憐れんでくれるな、それは侮辱だ。ただ」
「ただ?」
「我々のような者でも、愛し、必要だと言ってくれる者がいた。それは、憐れんでやってくれ」
「承知した」
レイヤーがレーヴァンティンを収めると同時に、クイエットが火に包まれた。熱で溶けるクイエットが涙を流したように見えたのは、ただ皮膚が融けたせいか、それとも。
レイヤーは剣の風の終焉を確認しながら、なぜかまだ因縁が終わらない気がしていた。本体がそもそもどこにいるのか、手掛りは何もない。ゲルゲダですら、その居場所の手掛りすら見つけることができなかった。ただ、レーヴァンティンが告げる。今この土地より人形の脅威は去り、何もすることはできないと。
レイヤーはその剣の意志を信じ、自分の為すべきことをすべくアルフィリースのために真冬のピレボスを登る準備を始めるのだった。
続く
次回投稿は、11/27(日)19:00です。